第6話 ゴム紐2
「こっちこっちー!」
「やばっ」
「それうますぎだろっ」
今日の体育はドッヂボールだ。内外野問わず阿鼻叫喚の応酬が続いており、結構入れ替わりが激しい熱戦になっている。そんな中僕はずっと内野で、周りの様子を伺いながらボールを避けていた。
どこかのクラスが自習になったからなのか、窓からこちらを見ている生徒がそこそこ見えた。僕と泰河のクラスがあるのは三階だから、多分同学年の他クラスだと思う。
「よっと……お」
どこかから飛んできたボールを泰河が手に取り、すぐにこちらをロックオンしてきた。
(まずい!)
「おりゃあ!」
ボールがこちらに飛んでくる。僕は間一髪かわした。
「よし!」
「チャンス!」
けど、すぐに外野にいた、同じクラスの知り合いに当てられてしまった。
「お前容赦なさ過ぎだろ」
「フン」
鼻を鳴らしてかっこつける知り合いを一瞥し、僕は外野に向かった。
ちょうどこのタイミングでカウンターが起こったのか、外野にいた人が何人か入れ替わりで入っていった。
「あ、当たっちゃったんだ」
外野の端の方から大間さんが近づいてきた。
「うん、挟まれた」
「結構生き残ってたよね」
「運が良かったんだよ」
「そうかな。結構すばしっこかったと思うけど」
大間さんはこちらに転がってくるボールを眺めながら話し、それを軽く蹴って隣の男子にパスした。
「投げないの?」
「入ったら動かないといけないし、隅で固まっていたくないから」
大間さんは隅の方で固まって喋っている女子たちを、腕をさすりながら見ていた。冷えるからなのか、いつの間にかジャージを羽織っている。胸元には『藍野』と書かれている。
「おらあ!」
内野から大きな声が聞こえ、その方向を見ると藍野さんがジャンプシュートを決めるかの如く、男子のお腹に強烈な一撃をお見舞いしていた。
「みっちゃんすごい」
「そ、そうだね」
(一層外野から帰りたくなくなった……)
「パース!」
「おっ」
僕は内野から渡されたボールを受け取り、そして投げ返した。そのボールの餌食になった女子と、その取り巻きが文句を言っている。
「危なぁ……」
「ふふっ」
笑う大間さんの所にもう一度ボールがやってきた。今度は蹴らずにボールを持ち上げ、構えた。
(え、結構様になってる)
「……」
「ひぃ」
きれいなフォームから投げられた一球は、ひ弱そうな男子の膝に当たった。
「……どう?」
大間さんはその場から動く気配なく、こちらにドヤ顔でアピールをしてくる。
「すごいけど、戻らないの?」
「島野くん戻ってよ。その方がチームに有益だから」
「そのルール、ちょっとタブーじゃない?」
「え、じゃあ俺戻っていいー?」
クラスのお調子者が何人かを挟んでこっちに問いかける。
「えっ、ちょっと、大間さ」
「うん」
「え」
大間さんを説得するために振り返った時には、もうグーサインを出していた。
「よっしゃー! 行くぞ泰河ー!」
嬉しそうにクラスメイトが内野に戻っていく。
「……」
それを大間さんは腕をさすりながら見守っている。
「大間さん、もしかして寒い?」
「えっ、ううん。大丈夫」
「ジャージ、暑くないの?」
「うん。ちょうどいい」
「……そっか」
「ぎゃあ」
「うわっ」
和やかな会話の間を割くように、内野の方から何かの鳴き声が聞こえてきた。
「まどか、お前」
「やった!」
どうやら吉村さんが、さっき内野に送り込んだクラスメイトの顔面にボールを直撃させたようだった。両手を挙げて周りの女子にハイタッチをしている。
「島野ー! ボールー!」
「えっ、は、はーい!」
転がるボールを取るために、足で掘られた線に沿って横のラインに駆け寄る。
「あ、島野くーん! いえーい!」
吉村さんはテンションが上がっているのか、なぜか線越しに敵の僕にもハイタッチを求めてきた。
「え、いえーい?」
吉村さんは、戸惑いながらも空いた片手を差し出す僕と音すら立たないハイタッチをし、女子の集団と合わせて僕から離れていった。
「島野ー! こっちー!」
「え、はい!」
「おい、横パス禁止だろ……って、うわあ!」
僕はいわゆる『横パス』をしてお調子者にボールを渡し、泰河の撃破をアシストした。
「おい、こーた。お前さっさと内野に戻ってこい。戻ってきたら真っ先に狙うから」
「そんなの言われて戻るかよ」
脅迫まがいの言葉を残し、泣く泣く外野へ向かう泰河を横目に、僕はさっきの定位置に戻った。
「……いえーい」
戻ると、大間さんがこちらに手を向けてきた。
(ハイタッチしたいのかな)
僕は極力勢いを殺したハイタッチをそこに当てた。
そこで笛が鳴り、僕は命拾いをしたのだった。
*****
「……」
僕はうつらうつらしながら社会の授業を受けている。体育で皆はしゃぎ過ぎたのか、クラスの半数が大間さん化している。視界の端でトントン、と机を叩かれてびくっと体を持ち上げた男子を見て、連鎖するように僕含む何人かの生徒が背筋を伸ばす。
そして、当の本人はというと……。
「……ん? どうしたの?」
なぜか起きていた。あの大間さんが、よりによって社会の授業で。
「いや、起きてるんだなーって」
「……悪い?」
どこか機嫌悪そうに、目線を逸らす大間さんの様子は、本当に眠気がなさそうだった。
「体育でアドレナリン出たから、眠れないの」
「そうなんだ」
「別に、島野くんが言ったからじゃないよ」
「……」
(これは俗に言う、ツンデレなのかな。いや、強がりといった方が正しいのかもしれない。いやいや、本当に今日は起きていたい気分なのかもしれない。別に学校にいる間はずっと寝ているわけじゃないし。八割は寝てるけど)
「でも、偶然君の言ったとおりになってても、変えるつもりはないよ」
「えっ?」
「私、やっぱりもう少し起きてようと思う」
「それは、よかった」
「でも、あんまり見ててわかんないな」
「日本地理苦手?」
「ううん」
(そうだと思ったけど……)
たしかに大間さんは社会が比較的苦手だけど、前のテストでは八十点を余裕で越えていた。でも、今回の範囲が苦手ではないという保証はない。
(偶然にも、僕の一番得意な科目は社会だ。わからないところがあるなら、僕が役に立てるはず!)
「もしよかったら、何かわからないことあるなら聞くけど」
「え、別に大丈夫だよ」
「……え?」
「だってわかんないの、授業の面白さだもん」
「ちょ、ちょっと!」
結構な声量で爆弾発言をする大間さんを、僕は圧力強めな小声で諫める。
「大間さん、声大きいって。もし聞かれてたら……」
僕は黒板の方を向きなおったけど、黒板に板書を書きながら何かを話している最中だったようで、何も聞こえていない様子だった。
「……とにかく、大間さん。面白くなくても起きてた方がいい。お願い!」
すぐにそこから目を離し、改めて大間さんの方を向いて小声で頼み込む。
「なんで?」
「それは……とにかく後で説明するから!」
「……わかった」
大間さんはなぜか納得下に笑みを浮かべて、授業の板書を取り始めた。僕もそれに倣って板書を取ろうとすると、すでに黒板一枚分書いていないことに気づき、慌てて追いつこうとシャーペンの先をノートに当てた。
(えーと、九州地方、(1)地域特性。で…………あ)
続きを見ようと黒板に向き治ったところ、地域特性、に続く板書は見つからなかった。他の場所を見る限り、どうやら初めの方の板書は新しい板書に上書きされてしまっているようだった。
(大間さんショックのおかげですっかり眠気が覚めたのに……。仕方ない、続きだけ板書しよう)
僕は泣く泣く続きだけスペースを確保して板書を書いた。結局チャイムが鳴るまで板書を書くのに集中し、話は全く入ってこなかった。
(ダメ元で頼んでみるか。もしかしたら書いてるかもしれないし)
僕は隣の席を見る。ちょうど大間さんは両腕を枕として机の上に置き、顔をうずめているところだった。
(……まあ少しは成長かな)
僕は慌てて教室を飛び出し、社会の教師を追った。見た目の年齢の割に歩くのが速く、追いついたのは職員室の前だった。
「先生」
「ん? どうした?」
声をかけると、背は低いものの圧力をまとう老年教師が振り返った。
「え、えーと……」
(やっぱり何でもないです、で逃げようかな……いや、だめだ。こういうのは後回しにしたらやらなくなるんだ。でも怒られるだろうな。どうせうつらうつらしてたのは見てただろうし)
「……どうした。早く言ってみろ」
(ええい、もうどうにでもなれ!)
「さっきの授業の板書、途中で追いつかなくて書ききれなかったので、板書の内容を教えていただけませんか!」
教師の声は小さかったけど、その周りのあるオーラを吹き飛ばす勢いの声で頼み込んだ。素直に言ってるだけだし、これで怒られようと構わない。というか、そもそも普段から起こったような人だから、それでも通常運転だろう。
「……ああ、わかった」
老年教師は、声色一つ変えずにそうは言ったものの、なぜか職員室に帰って行ってしまった。
「……え?」
(これは待っておけ、ということ? でもそうは言われてないし。え、でも後でノートを見せてもらえるなら、その時間を伝えるはず……っていうか、今借りたら先生も授業できないか。六時間目あるかは知らないけど)
そんなことを考えていると、六時間目のチャイムが鳴ってしまった。
「あ、やばい。戻らなきゃ」
僕の脇を何人もの先生が通り過ぎていく。中にはいつもの担任の先生もいたけど、軽く笑顔でこちらに会釈してくれた。とりあえずこの遅刻は、担任の先生には怒られなさそうだ。
その人の流れからワンテンポ遅れて、老年教師が戻ってきた。
「お待たせ。これ、板書のコピーだから」
「え? あ、ありがとうございます」
(そっか。ノート印刷したら先生もノート使える)
「あんまり他の人に見せるなよ。こういうの、よくはないから」
「は、はい」
「それと、ありがとな」
「え?」
老年教師は満足気に職員室へと戻っていった。
(なんでお礼言われたんだろう……)
僕はもらった板書を改めて見る。ミスなのか、今回のものだけではなく、少し先の板書もまとめて刷られてあった。
(……って、授業ないんかい!)
僕は心の中で老年教師にツッコみ、慌てて教室に戻ろうと廊下を小走りで駆け抜けた。
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