第9話 香りと約束

「ちょっと向こうの方行ってくるねー」


「わかった。一応ここにいるけど、何かあったら連絡する」


 吉村さんが大間さんを引きずって別のお店に向かっていくのを、僕と藍野さんは道の真ん中に置かれた箱型のソファーに座って眺めていた。

 本当に今更だけど、僕がどうしてここにいるのかわからない。クラスの人からすると羨ましがられるのかもしれないけど、ちゃんと話したことのない女子三人と僕という組み合わせは、サラダの中に入れられたトマトみたいだ。変に目立つし、一般的には厄介者だし。


「これって、ここまでの二軒はしっくりこなかったってこと?」


「ま、そんな感じなんじゃない? 私も結局初めの店であまりピンとこなかったし」


 藍野さんは疲れ切った様子で、さっき買ったフラペチーノをストローで吸う。


(藍野さんはおしゃれに興味がないわけじゃなくて、自分にしっくりくる正解が見つからないだけなのかも)


 改めて藍野さんを見ると、健康的に焼けた肌がスラッと長い手足に張り付いていて、モデルみたいな体形をしていると思う。モデル見たことないけど。


「……何?」


「え、あ、ああ」


 電車の吉村さんとの一幕を思い出し、頭がテンパる。


「ぷっ、きょどりすぎ!」


「ご、ごめん……」


「どこ見てたのか知らないけど……あ、もしかして私の服?」


「え?」


 藍野さんは何かを思い出したかのように、服の裾を掴んでこちらに向けて引っ張る。


「さっき電車の中で、私の服について話してなかった?」


「げっ」


「わかりやすっ。驚くときに『げっ』て言う人、アニメとかでしか見たことない」


「ごめん……」


(確かに降りる直前に話してたし、大間さんはともかく藍野さんは起きててもおかしくなかったよなぁ)


「……私の服、どう?」


 少しためらいがちにこちらに問いかけてきているように聞こえたが、そんなに男子に聞くことは恥ずかしいのだろうか。


(…………いや、恥ずかしいか)


 改めて藍野さんの姿を見ると、やっぱり僕が着る服と似ている。なんならズボンはほぼジーパンしか持っていないけど、他の人はそんなことないはずだし、偶然僕がシンパシーを感じる服装になっているのだろう。


「いいと思うよ。僕も同じような服着るし」


「そ、そっか……って、え?」


 乗り切ったと思ったら、藍野さんは周りの数人が振り向くほどの声量でこちらを二度見する。


「ど、どうしたの?」


「いや、今同じ服着るって」


「うん。チェックの羽織にジーパン。僕ジーパンしか持ってないからいつもダサいって言われるんだけど、藍野さんはそんな風に見えないし」


「エ」


 藍野さんはまるで石になったかのように固まってしまった。


「ど、どうしたの?」


「いや、大丈夫」


「ほんとに?」


「ほんっっっっとに大丈夫だから!」


(なら大丈夫か)


「僕は藍野さんも色んな服に合うと思うし、それこそ二人について行ったらよかったのに」


「いや、疲れたし、ああいうのはまどかに任せておけばいいから」


 僕は藍野さんを横目に、さっき買った缶コーヒーを飲む。


「あれ、島野コーヒー飲めるんだ」


「あ、うん。お父さんの影響で、昔から特訓させられてたから」


「特訓?」


「うん。うちのお父さん、喫茶店の店長なんだ」


「え、金持ち? 自営業?」


「いやいやそんなことないよ! ただ知り合いがその店のオーナーで、店長任されただけで」


「店長とオーナーって違うの?」


「え、いやそれは……」


(説明すると長くなるし、そもそも家のことをあんまり外に言ってはいけないんじゃなかったっけな……あ、でも学校の友達に宣伝しておいてくれって言われてたっけ……)


「まあいいや。じゃあ島野は将来、そこを継ぐの?」


「え、まだ決めてないけど」


「そっか」


 藍野さんはフラペチーノを飲み干したようで、ごみ箱に捨てに立ち上がった。その時に何かつぶやいたと思うけど、何を言ったかはわからなかった。


(案外あっさり……こういう時にいじってきた小学校の同級生とはやっぱり違うな……)


「島野」


 手ぶらになった藍野さんが僕の前まで来て見下ろす。


「ちょっと付き合って」


「え?」


「私も、服見ようかなって」


「わ、わかった」


 僕は急いで缶コーヒーを飲み干し、なぜかイライラした様子の藍野さんの背中を慌てて追った。



*****



「で、その服を買ったの?」


「……はい」


 買い物を終えた二人と合流したものの、気づいたらいつの間にかしおらしくなった藍野さんが吉村さんに怒られている(?)ようだった。僕たちはあの後いくつか服屋を回って試着もしてみたものの、結局藍野さんが一着上着を買っただけだった。で、その上着を紙袋から取り出して着てみせたのだけど……。


「まーたチェックかぁ……」


 藍野さんが買ったのは、茶色のチェックの羽織だった。丈が一般的なものと比べて長く、背の高い藍野さんが羽織っても太ももの真ん中ぐらいまでの長さになっている。僕もそれを買うのには同意したし、最近のトレンドですよってお店の人も言ってたし、間違いないと思っていたけど。


「言われてみれば確かに……」


「しーまーのー?」


「ひぇ……」


 明らかな圧を感じる。僕まで藍野さんの敵に寝返ってしまったらいけない。でも僕も今になってチェックの上着であることに気づいたから、仕方ない。店員さんはカタカナ言葉っぽいものばっかり並べてたし。


「ま、でも合格かな」


 吉村さんは裾を触り、張り詰めた空気を押し出すように言った。


「え、ほんとに?」


「色合いはいいし、ジーパンに合ってるし、オーバーだし」


「そうでしょ? やっと認めてくれた……」


「でもチェックがなぁ……まあいいや。ちょっとお手洗い行ってくるね」


 吉村さんは奥歯に物が挟まったような言い方それだけ言い残し、お手洗いに行った。藍野さんは一安心した様子で、空いた丸椅子の方に上着をしまいに行った。


「……島野くんは何も買わなかったの?」


 少し離れたところで二人のやり取りを見ていた大間さんがこちらに近寄ってきた。


「あ、うん。あんまりファッションわかんないし、買うならさっきのお店のだけど高いし……ほら」


 僕は念のため周りを見渡し、大間さんの耳元まで顔を持っていく。


「くろころの所に行くために、あんまりお金を持ってない設定にしてるから」


「そ、そうなんだ」


 大間さんは少し気まずそうに離れていった。


(もしかして、僕のせいで買い物ができなかったんじゃって思われたかも。別にそんな意図はなかったけど、そう捉えられても仕方ない。あ、もう丸一日外にいるわけだし、もしかしたら汗臭かったのかも……って、あれ?)


 僕は心の中での反省タイム中に、さっき感じた―――というか仄かに香ったものが気になった。


「大間さん、香水つけた?」


「……え、本当にそう思う?」


 静かな口調の中に、どこか驚きの感情が含まれているような気がした。


(こういう時に細かい所まで気づく人がいいってどこかで聞いた気がする……よし)


「うん、なんか普段と違う匂いがした気がして。何というか、石鹸っぽい匂い?」


 大間さんはきょろきょろ周りを見渡して、お手洗いから帰ってきた吉村さんを見つけるや否や、逃げるように駆け寄って行った。


「まどかちゃんまどかちゃん、本当に気づいた」


「……でしょ?」


 吉村さんは僕の想像していない何かまでを見通したような目でこちらを見た。

 背筋が凍る思いがする。怖い、というより……恐ろしい。一緒か。


「島野くん、良い匂いだったでしょ?」


 吉村さんはグイッと距離を近づけてきて、大間さんを自慢するように問いかける。


「え、う、うん」


 吉村さんからも何か良い匂いがするけど、何の匂いかまではわからなかった。

 僕たちがそう話している間も、大間さんは声にならないような音を発しながら顔を伏せている。故障寸前の機械みたいで壊れないか心配になる。


「でも、よく香水の匂いってわかったな」


 元の上着を羽織り直した藍野さんがこちらにやってきた。


「そ、それは、いいにおいするのって、お香か香水かだと思ったから……」


「お香……アロマディフューザーのこと?」


「あろまでぃふゅーざー?」


「だめだ、こいつわかってない」


 顔を上げた大間さんの言ったかっこいいカタカナ語を改めて反芻するけど、結局ピンと来なかった。


「それはもういいから。この匂い、好き?」


 大間さんがこちらに近づいてきて僕に問いかける。匂いの話をしているからか、僕は思わず息を止めてしまう。


「い、いいと思うよ」


 僕は明後日の方向を向きながら答え、思い切り息を吸った。


(あ、でもこれって大間さんに失礼じゃ……)


 僕は慌てて大間さんの方を向くと、少し眉をひそめてこちらを見ていた。


「ねえ、島野くん。せっかくおしゃれをしてるのにそれはないと思うけどなー」


 その後ろから吉村さんが槍を投げてくる。


「ご、ごめん。変に意識しちゃって」


「ま、まあそういうもんじゃない? こいつあんまり女子と話したことないだろうし」


「ちょ、それは光里ちゃん……あ」


(事実だけど傷つくなぁ。別に話したくなくて避けてたわけじゃなかったんだけど、話す話題が思いつかないだけだし、そもそも話しかけられないだけで……)


「お、おい悪かったから、戻ってこーい!」


 藍野さんに肩を叩かれて、僕は我に返った。


「あ、ありがとう藍野さん」


「別にいい。逆にごめん」


「話を戻すけど、じゃあ島野くんの好きな匂いって何?」


「え、わ、わかんない。考えたことないから」


「それもそっか。じゃあ嫌いな匂いは?」


「え、それは……まあごみの匂いとか、おならとか?」


「それは誰でもそうだろ」


「その……」


 大間さんが何かを言いかけた時に、ショッピングモールの外から『遠き山に日は落ちて』のメロディーが聞こえた。


「あ、そろそろ帰らないと」


 吉村さんが腕時計を見る。


「もうこんな時間だったんだ。なんか今日楽しくて、あっという間だった気がするなー」


 藍野さんは地面に置いてた紙袋を持つ。


「じゃあ、駅に行こっか」


「そうだね」


「ま、待って」


 歩き出そうとする僕たちを大間さんが止める。


「私、買わないといけないものがあるから」


「え、先言っといてくれたらよかったのに。荷物持ちもいるし」


 僕は向けられた指を気に掛けず、大間さんの方を向く。


「わかった。じゃあまた来週学校でね」


「……」


 僕は手を振って前を向くと、こちらを見る二人がいた。


「……」


「……」


 二人とも黙ってこちらを見ている。真顔だ。

 僕はその目が背中より後ろに向けられているのにようやく気付いて振り返る。


「……」


 いい香りなど吹っ飛んでいきそうな冷たい風が体を撫でたような気がした。


「……大間さん?」


「いってらっしゃい!」


「えっ」


 後ろから吉村さんの声と藍野さんの手に押されて前に出る。

 僕は後ろを見ると、こちらに手を振って出口に向かう二人が見えた。


「こっち」


 意図せず僕はそれとは別の方向に引っ張られる。僕の右手は大間さんに掴まれていた。


(……あっ、くろころ!)


 僕は最低だ。約束を忘れて帰ろうとしていたのだから。

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