第8話 距離感と背筋
「以上でよろしいでしょうか」
「はい、ありがとうございます」
藍野さんがメニューを店員の人に渡す。にこやかな表情で話しているところを見ると、やっぱりいい人なのかもと思う。
カラオケを終え、僕たちは昼ご飯を食べるためにファミレスに来ていた。泰河はようやく解放されて自主練に向かったため、残った四人でテーブル席に座っている。周りは皆スマホを触り始めてしまったので、僕もスマホを取り出して、通知どころかここにいるメンバーの連絡先のないメッセージアプリを眺める。一応、とある知り合いから送られてきた写真に載ったお菓子を、見た目だけで評価してくれという依頼への返事を考えてはいたけど、もちろん集中はできていない。
(思えば男子一人に対して女子三人って、どうなんだ……? いや、どうなんだって何が、どう……)
自分の立場に混乱して、まさしく堂々巡りしていると、スマホの画面を下に向けて置いて、吉村さんが口火を切った。
「まこちゃん、授業中寝てばっかりなんでしょ?」
「……最近は起きるようになってきてるよ」
人がもう一人座れるほどのスペースを空けて隣に座る大間さんは、両肘をテーブルに乗せてスマホを触る。返事はいつも通りの声色だけど、少なくとも背中が伸びているのが新鮮だ。
「本当に?」
「本当だよ」
「島野くん、本当に最近起きるようになってる?」
「え…………」
僕は手を顎に当てて、最近の大間さんの姿を思い浮かべようとしたけど、どうしてもすやすや眠る大間さんの顔が邪魔をする。
「ほら、言葉失ってるじゃん」
(まあ、確かに昨日はこれから起きるようにするって言ってたけど、六時間目の数学は寝てたしなぁ……あ)
「あっ、でも昨日の社会は起きてたよ」
「それ以外は?」
「それ以外は……うーん」
僕が弁護の言葉を考えていると、ほらね、と言わんばかりに目を細めて、吉村さんは大間さんの視界に割り込むように顔を覗き込んだ。
「だって」
「だっても何もない」
大間さんが間に入って弁明しようとしたけど、吉村さんにすぐ制されてしまった。
「
「お母さんかよ」
ようやくスマホを置いた藍野さんが堪らずツッコむ。
「島野くんはどう思う? 起きて欲しいよね」
「それはもちろんそう。先生にも言われてるし」
「島野って、どんな起こし方してんの?」
隣に座った藍野さんから問われ、僕はまた、普段の起こし方を頭の中で思い浮かべた。
「起こし方? えーと、声かけて、肩ポンポンして」
「……あのさ」
「は、はい」
「そんなので起きるなら初めから寝てないでしょ」
「え、でも大体それで起きるけど。ね、大間さん」
「……」
なぜか大間さんは持っているスマホをよそに俯いたまま黙っている。助けを求めて向かい合わせで座った二人を見ると、驚いた様子でこちらと大間さんを交互に見ている。
「私たちが隣の時は全然それじゃ起きなかった。な、まどか」
「うん。もっと大胆な方法でやるんだよね。こんな感じに」
吉村さんは大間さんの両頬を人差し指で突いてぷにぷにしている。
「……なにすんの」
「ん? 気持ちいいなーって」
「……」
その後、吉村さんはほっぺたを軽くつまんだり掌で挟んだりと、大間さんを好き放題に触った。でも、当の本人は何も気にしてなさそうだった。
(流石にこれは男子がしたらまずいでしょ)
会話の終わりに合わせたかのように料理が届き、スパゲッティを食べ始めてからは皆無言が続いた。普段から食べる時には話すタイプではないけど、妙な違和感を感じてしまい、変な緊張感がテーブルを支配しているような心地がした。
今度はいち早く食べ終わった藍野さんが、水の入ったコップ片手に沈黙を割いた。
「あのさ、もしかしてだけど、真心が起きないのって、島野に構ってもらうためなんじゃないの」
「え?」
僕が驚きの声を上げて間もなく、隣でカタンと食器のぶつかる音がした。その音の鳴った方を見ると、大間さんが銅像のように固まってしまっていた。どうやらフォークを皿の上に落としてしまったようだ。
(あまりにも見当違い過ぎて、驚き呆れて落としてしまったのだろう)
「……え、まじ?」
聞いた藍野さんがなぜか困惑している。吉村さんが大間さんのフォークを持って、元あった場所に戻すと、大間さんは生き返ったかのようにまたスパゲッティを食べ始めた。
「そ、そんなわけないじゃん。もしそうだったらさ、構ってもらうタイミングで起きてないと気づけないし。ね、まこちゃん」
「……」
吉村さんの懸命なフォローを無視し、大間さんは黙ってスパゲッティを食べきってしまった。
(まずい、怒らせてしまったかも……)
「あの、大間さん」
「……ん?」
(まずい、何も考えずに声をかけてしまった……ん?)
「ついてる、ここ」
僕は大間さんの口元についた唐辛子を、自分の口元を指して教えてあげる。僕は右の方を指したのだけれど、大間さんは反対の方を指してしまった。
「あ、逆逆」
(こういう時に指で取ってあげられたらいいんだけど、嫌だろうし、仕方ない)
「あ、ありがとう」
「いえいえ」
大間さんは少し顔を赤らめてしまった。僕の伝え方が悪く、時間がかかってしまったからだろう。
「……」
前を向き直すと、藍野さんが肩肘をついてこちらを見ていた。
(こわっ……くなくなった)
これまで見えていた怖いオーラはかなり薄くなった。どちらかというと、頼れるお姉ちゃんのような、どっしりとした安心感があるように感じた。もはや怖いと思うのも失礼だろう、きっと。
僕はなるべく自然な笑みを浮かべて話しかける。
「どうしたの? 藍野さん」
「いや、別に……なんか気持ち悪っ」
「えっ」
顔から血の気がさっと引いていくのが分かった。
思わず背中を丸める。
「あっ、いや、そんなマジで思ったわけじゃなくて、急に、その、何ていうか……」
「みっちゃ」
「光里ちゃん、謝って」
吉村さんの言葉を遮るように、強い言葉が隣から飛んできた。
隣を見ると、大間さんが見たことないほどきりっとした目で藍野さんを見ていた。
「え、ご、ごめんなさい」
「私じゃなくて島野くんに」
「は、はい!」
藍野さんは改まったように手を降ろしてこちらを見る。
「ご、ごめんなさい」
「いやいやこっちこそ、急に、なんか、すいません……」
僕は結局何を謝ったらいいのかわからなかったけど、とりあえずそう返す。でも、少なくとも僕が嫌に思っていないことを伝えるため、言葉を続ける。
「で、でも、僕は藍野さんのこと、いい人だって思ってるから、安心して」
「あ、安心?」
藍野さんは首をかしげる。
(あ、あれ、藍野さんって不安になってたんだっけ、あれ?)
「……ぷっ」
耐えきれなくなったのか、藍野さんは吹き出して笑いだした。それにつられたのか吉村さんも笑いだし、ましてや大間さんまで笑い出した。僕はその笑いの中一人取り残されたけど、別に悪い思いはしなかった。
そして全員十分に笑いを放出してから、藍野さんは一息ついてこう続けた。
「やっぱり島野って変わってる」
そろそろ出よう、と藍野さんは伝票を持って立ち上がった。
*****
「じゃあ、次はどこ行く?」
「えー、決めてなかったの?」
吉村さんの声色には少し驚きが混じっているように聞こえた。
ファミレスで腹を満たした僕たちは、特に予定を決めずに再び駅に戻ってきていた。電車に乗らなくとも、駅は十分遊びに使える。
「じゃあ私は帰ろうかな」
「ちょっ」
「ぐえ」
隣で大間さんが帰ろうと踵を返すと、前の方から長い腕を伸ばした藍野さんにリュックのひもを引っ張られて止まった。
「せっかく昼ごはん食べたんだし、もう一か所行こうよ」
「でも……」
大間さんはこちらに助けを求めるような目(?)でこちらを見つめる。
(あ、もしかしてくろころの所に行きたいのかな……)
「なるほどね……」
吉村さんが僕の右肩に右手を置いて、名探偵の表情をする。
「まこちゃんは島野くんを連れてどこか行きたいのかなー?」
「えっ」
お菓子を隠れてカートに入れて叱られた子どものような声を出し、大間さんは明らかに動揺をし始めた。
(まずい、このままじゃくろころのことがばれちゃう。僕にしか話していないのなら、何か事情があるはず。ここでばれるのはまずいんじゃ……。何かしなくては)
「だったら島野くんだけ借りて、三人で他のところ行こうかなー」
吉村さんの伸ばす手が徐々に胸の辺りにまで延び、だんだん背中に感じる圧が大きくなってくる。
自然と背筋が伸びる。
「ちょっ、それはさすがに気まずいって」
「じゃ、じゃあ行く!」
大間さんはこれまでに聞いたことのないような大声で、僕の後ろにいる吉村さんに呼びかける。
「ふふふ、じゃあみっちゃん、どこ行く?」
「……お前、デリカシーを考えたことあんのか?」
「えー?」
「それより、早く島野くんを放してあげて。嫌がってるでしょ」
「えー、そんなことないよね。島野くん」
「そ、それは……」
(嫌というよりかは気まずい。ドキドキしてしまう……)
「まあ、いいよ」
吉村さんから解放された僕は、すぐさま大間さんの元に逃げる。後ろを見ると、どうやら吉村さんは藍野さんと一緒に場所を探してくれているようだった。
「ごめん、助けてくれてありがとう」
「ううん、いいの。別にくろころの所は夕方に行けばいいし」
「そ、そうだね」
「それより、さっき一瞬喜んでなかった?」
「え……あ、さっきのあれ? いや、どうしたらいいかわかんなかったから戸惑ってたんだけど」
「ふーん……」
早口の弁明も実らず、大間さんはどこか不機嫌そうに下を向いてしまった。
「じゃあ、電車乗るか……って、二人どうした?」
「え、えーと」
「ううん、気にしないで。行こ」
「ちょ、ちょっと」
大間さんはそのまま藍野さんの手を引っ張って改札の方に行ってしまった。
「怒らせちゃったの?」
「……わかんない」
「私達も行こ!」
僕と吉村さんも、二人の影が見えなくなる前に慌てて改札を通った。
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