第7話 話題と邂逅

 泰河に手を振って別れた後、スマホを見る。


「結構いい時間になったな」


 九時四十六分。十五分前はちょうどいい。

 右手に見えたロータリーの階段を上り、待ち合わせ場所の広場まで行くと、口元を手で隠す見慣れた人影がいた。


「大間さん!」


「あっ、島野くん。おはよう」


「おはよう」


 白のロゴ入りシャツの上にデニムジャケットを羽織り、白のダボっとしたズボンといういで立ちは、これまた見慣れない姿で気になった。こちらの目線が変になっていたのか、大間さんはちょっと後ずさりしてしまった。


(やってしまった。流石に気持ち悪かったよな)


 僕もなんとなく一歩下がってしまった。


「島野くん」


「は、はいー」


「なんで電話に出るような声なの?」


「い、いや……」


「まあいいけど。その服、前も着てたよね」


「え? あ」


 僕は自分の胸に目線を向けると、水色のシャツに書かれた白い英字と目が合った。思えば上の服は前着たものと一緒だ。ジーパンは厳密に言うとスキニーに変えたから違うのだけれど、確かに見た目は何も変わり映えがない。


「ごめん」


「なんで謝るの?」


「え、だって…………」


 なんで謝ったのか、僕もわからない。


(手抜きをしたから? いや、そんなつもりはない。責められたから? いや、そもそも責められたのか? なんでだろう。確かにせっかくの外出ならあまり着ない服でもよかったなぁ。いやいや、そんなことじゃなくて)


「似合ってるから。また見れてよかった」


「……え?」


 僕はまた英字を見る。似合ってる……らしいぞ、お前。

 

「ありがとう」


「……」


 大間さんは間が悪くなったのか、スマホを素早く取り出して操作を始めた。


(え、今のはお礼言ったらだめだったやつ?)


 困り果てていると、駅の方からまた見覚えのある姿が見えた。

 が、それより先に後ろから声をかけられた。


「ごめーん、待たせたー!」


 あまり、見たことのないニコニコの藍野さんがやってきた。白の無地のシャツに赤のギンガムチェックの羽織を重ねて、ジーパンを履いた姿にはどこか親近感を覚える。

 でもそれよりも気になったのが……。


「え、泰河?」


「……こーた。俺は殺されるのか?」


 先ほど別れたはずの泰河が、首根っこを掴まれてこちらを見ている。その姿はまるで悪戯がばれた子猫みたいで、いつの間にか右隣に来ていた大間さんも興味津々でじっと見ているようだった。


「あの……」


「まこちゃんどうしたの?」


「わっ」


 いつの間にか僕の左隣にいた吉村さんが、驚く僕越しに大間さんの言葉を拾う。それで気づいた前の二人も大間さんの言葉を待つ。


「…………誰ですか?」


 一同は笑いに包まれた。その中の一人は苦笑いだったけど。



*****



「てことで、今日はカラオケに来ました」


 カラオケルームに入るや否や、藍野さんは手を叩いて司会口調で話し始めた。


「歌うのか?」


 解放された泰河が、首元をパタパタさせている。相当抵抗していたのか、さっきはかいていなかった汗で首筋が光っていた。


「じゃあ、何のために来たの?」


「何のためって……いや、歌う以外何かあるか?」


「そうだけど」


「じゃあなんで聞いたんだよ。っていうか、俺は来るつもりなかったんだけど」


「あのー……」


 吉村さんが言い合う二人の間に割って入るように顔をのぞかせた。


「まず、座らない?」


 僕たちは各自の場所を確保する。入り口から反時計回りに、大間さん、泰河、吉村さん、藍野さん、僕という順番だ。座ってからも二人は何か言い争っている様子だったので、とりあえずモニターの前のタブレットを手に取って机に置いた。


「……」


 ようやく落ち着いて座って周りを見ると、皆僕を見ていたことに気づいた。


(えっ、何か悪いことした? カラオケ来たら歌うもので、実際そうだってさっき言ってて……)


「こーた、トップバッター?」


「え、僕?」


「だって、それ持ってたし」


「いや、そんなつもりは」


「……まあ、そっか」


 なぜか気まずい沈黙が流れる。


「……島野くんって、カラオケ来たりするの?」


 大間さんが助け舟を出すように、対面から話を振ってくれた。


「う、ううん。友達とは来ることもあるけど、結構まれかも。来ても歌わないことが多いかな」


「そ、そうなんだ……」


「そういえば、まこちゃんがカラオケ来るの珍しいよね」


「だって、知らなかったから」


「え、みっちゃん、まこちゃんにも言ってなかったの?」


 『みっちゃん=藍野さん』というのも最近慣れた。


「だってカラオケって言ったら絶対来ないもーん」


 藍野さんが頬を膨らませる。こんな顔もするのかと、関係値が低いものの意外に思う。


「それは、そうかもしれないけど」


 大間さんは悔しそうにいじける。それを見て不敵に笑う藍野さんの顔は解釈一致だ。


「なぁー、これって本当に俺要ったのか……って痛っ」


 カバンの中からスマホを取り出していじろうとする泰河の手を、藍野さんがぺしっと叩く。


(ひえっ…………)


「どうせやることないでしょ。今日部活休みになったんだし」


「それは、そうかもしれないけどさー。俺普通に自主トレしようと思ってたんだけど」


「じゃあカラオケの後は解放してあげるから、今だけ」


「えー……」


「お願い!」


 藍野さんは両手を合わせて頭を下げる。


「……分かったよ」


 泰河は諦めたようにスマホを触ろうとすると、また藍野さんがぺしっと叩く。


「親に連絡するんだよ。いちいち叩くな」


「だったらそう言いなよ」


「あ?」


「何?」


 この二人が話すのを見たことがなかったけど、結構対等な関係らしい。だったら泰河と仲いい僕も、もしかしたら藍野さんと対等に話せるんじゃないだろうか。


「ん? こーたどうした?」


「いや、仲いいなーって」


「そりゃ同じ部活だからな」


「それだけでこの仲になるんだ」


「男女ほぼ別だけどな。アップとか片付けは一緒だから、話すこともある」


「それに、小学校の頃塾一緒だったし」


「でも二人ともやめちゃったから、私だけ取り残されてるんだよねー」


 吉村さんがニコニコしながらも、黒いオーラを出す。向かいで大間さんがくしゃみをし、僕は二の腕をさする。


「ご、ごめんなさい……」


 藍野さんがしおらしくなっている。怖い人だと思っていたけど、結構感情が出やすいタイプなのかもしれない。


「そういえば聞いたことなかったけど、島野って何か部活やってるの?」


「あー……」


(聞かれるとは思っていたけど、まあ今の流れなら聞かれても仕方ないよなぁ)


 部活は、入ろうと思っていたけどやめた。興味ある部活が無かったのと、部活に入るメリットが見いだせなかっただけ。やりたいことはあるけど、やらないといけないことは、放課後にたくさんある。でもそんなこと言ったら、きっとまた怪訝そうに見られるだけ。


「こーたは帰宅部。ゲーム好きだし。な?」


「あ、うん」


(ありがとう泰河!)


「へー、ゲームやるんだ。私もやるよ。あの、ほら……」


 吉村さんは名前を思い出そうとしているのか、上を向いて固まってしまった。


(まあ吉村さんがやるようなタイプのゲームって、大体想像できるかも)


「動物が出てくるやつ?」


「ううん、銃打つやつ。なんだったっけー」


「え?」


 僕の問いかけに即答した後、平然とした顔で吉村さんは考え込んでしまった。


(吉村さんの口からそんな物騒な単語が出てくるなんて……)


「はいはいこの話はここまでにして、じゃんけんで負けたやつ、ドリンクバー取りに行くよー」


「そ、そうだな! 二人で五人分はきついから、三人ジャン負けで!」


 間を縫い合わせるように藍野さんが手を叩き、狼狽気味の泰河がそれに応じる。

 僕は現時点で、藍野さんより吉村さんの方が怖い。



*****



「……島野くんって、どんな音楽聞くの?」


 二人取り残された空間で、大間さんから話を切り出された。


「うーん……色々聞くかな」


(実は最近はあんまり聞いてないんだけどね……)


「そっか」


「お、大間さんは?」


「私は聞かない」


「え、何も?」


「そういうことにしてる」


(大間さんは音楽が嫌いなのかな。だからカラオケも来たがらなかったのかな)


「そ、そっか」


「……」


「……」


 会話が終わってしまった。せっかく大間さんから振ってくれたのに。いかにくろころにこれまで助けられてきたかを思い知る。


「くろころ」


 唐突に大間さんがその名を口にする。


「……えっ」


「なんで驚くの?」


 僕の目の奥を見るような顔で大間さんはこちらを見て微笑む。


「いや、ちょうど同じこと考えてたから」


(大間さんもくろころに助けを求めたいのかな……)


「……ふふっ、やっぱり」


「やっぱりって?」


「いや、そうかなって思ってたから。後で会いに行く?」


「い、いいけど……」


「……」


(大間さんはまた黙ってしまった。今度は僕が何か言わなきゃ……)


「お、大間さんはカラオケ、なんで嫌いなの?」


「え、言わなきゃだめ?」


 大間さんは少し不機嫌そう(?)にこちらを見ている。


「ご、ごめん。言いたくなかったらいいし。というか、もう大丈夫……」


(僕はどれほど気の利かない人間なんだろう。嫌だってさっき言ってたんだから言いたくないに決まっている。よく考えればよかったのに、全くだめだ……)


「……」


 大間さんは荷物を持って、黙って立ち上がる。


(これじゃ帰っても仕方ないよな。皆が帰ってきてからなんて説明すれば……)


 大間さんはドアの前を通り過ぎて、僕の隣に座る。慌てて奥に詰めようとしたけど、藍野さんのカバンが通せんぼして動くことを許さない。


「……島野くん。誰にも言わない?」


 型が引っ付きそうな距離―――というか、かすかに触れながら、大間さんはひそひそ話す。いつかの電車で香った甘い香りに包まれて顔が熱くなる。

 大間さんの方を見ると、少し顔が赤くなっている。


(暑いのかな。後で軽く冷房を付けよう……っていやいや、今はそれじゃなくて)


「いい言わない」


 やっとのことで約束の言葉を口にしたけど、大間さんも秘密を打ち明けるのに少し時間を要した。そして、こう続けた。


「……私、音痴だから」


「あ、ああそうなんだ」


(結構ありきたりな理由だった)


「小学校の時、他の友達といったカラオケで、音痴だねって笑われて」


「……わかった。じゃああとでマラカス取りに行く?」


(それなら歌わなくても楽しめるはず)


「いや、それはいい」


 大間さんは手でバッテンを作る。


「カラオケのマラカス、うるさいから」


「あー、確かに」


「……ふふっ」


 どちらともなく、沈黙より先に笑いが込み上げてきた。


「そういえば皆遅いね」


と、僕がつぶやいた時、偶然ドアが開いた。

 ドアの奥には手ぶらの泰河と、うなだれる藍野さんと、なだめる吉村さんがいた。

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