第2話 小冒険1

 大間さんは、結構変わってる人だと思う。


「……?」


 一時間目が終わり、珍しく起きていた大間さんの顔を見ていると、こちらに気づいた大間さんと目が合った。


「あ、その、今日は起きてるんだなーって」


「……別にずっと寝てるわけじゃない。だったら学校来る意味ないでしょ」


「それは正論だけど……」


―――キーンコーン……カーンコーン……。


「あ、二時間目始まる」


「……」


「えっ、大間さん!?」


 目を離した隙に大間さんはいつもの格好になってしまった。


(まあ、さっき起きてたしなぁ……)


 僕も半ばあきらめたような気持ちになって、授業を受け始めた。


「じゃあ、ここを、大間」


「……すぅ」


「大、間……おい!」


 ガタッ。


「……ふぇ?」


 椅子を一瞬浮かせるほどの飛び起きを見せた大間さんはこちらを向く。さっきまでの大間さんを見ていなかった人も、この赤い顔を見れば状況を察することができるだろう。


「大間さん」


「……島野くん、乱暴に起こさないでよ」


「いや、起こしてないよ! 今は」


「え?」


「はぁ……。じゃあ、島野」


「え、は、はい!」


 呼ばれて飛び出て―――いや、飛び立った僕は、さっきまで聞いていた授業の内容がパッと出てこず、汗が噴き出てくることに気づく。


「えーと、えーと、えーと……どこでしたっけ」


「お前も授業聞いてなかったのか!」


「す、すみません。びっくりして、全部抜けちゃいました」


「……じゃあ、黒田」


「はい」


「はぁ……」


 席に着いて、安堵の息をつく僕は、座るや否や右肩を叩かれる。


「ねえ」


 やっぱり大間さんだった。


「……何?」


「怒ってる?」


「……ううん」


 僕は再び前を向く。また叱られたらたまったものじゃない。


「……ごめん」


「別にいいよ」


「島野くん」


「今度は何?」


「消しゴム、拾って欲しくて」


「消しゴム?」


 僕は大間さんの指さす、自分の椅子の下を探り、その存在を認識する。


「はい」


「ありがとう」


 そうやって微笑む大間さんの顔は、いかにも眠そうだった。



 *****



「礼、ありがとうございました、さようなら」


「……よし」


「島野くん、今日空いてる?」


 あの日から少し期間が空いた放課後、教室を出ようと席を立った所を大間さんに呼び止められた。


「ちょっと、付き合ってくれない?」


「いいよ。くろころの所?」


「ううん」


 大間さんは首を振る。


(あれ、今回は違うのか。でも毎回連れて行くわけじゃないだろうし、あれっきりの可能性だって……)


「今、お金持ってる?」


「え、何か集金あったっけ」


「ううん。そういうのじゃない、その、えーと」


 大間さんは何とか何かを言語化しようとしてくれているけど、僕にはその言語化される前の思いを読み取る能力がない。


「……」


(すっかり黙りこくってしまった……お金って、普通に財布の話なのかな)


「さ、財布なら持ってないけど」


「そうなんだ。じゃあ私も帰る」


「……え?」


 大間さんは突然、何かが晴れたような顔でリュックを背負い、そのまま教室の外にてくてく歩いて出て行こうとし始めた。


「ちょっと、大間さん!」


「五時に駅に集合で」


 呼び止めようと声をかける僕に対して、振り返ってそれだけ言い残した大間さんは、こちらの返事を待つ素振りもなく、姿を壁の奥に隠してしまった。


(結構むちゃくちゃだなぁ)


「五時……」


 黒板の上に掛けられた時計を見て、頭の中で逆算を始める。


(今は四時半。ここから家まで、急いで十分。駅まで自転車十分と、歩いて数分…………)


「…………やっばい!」


 僕は急いで帰路を駆け巡った。



*****



「島野くん、先に着いてたんだ!」


 私服に着替えた大間さんがこちらにやってきた。学校ではあまり聞かない元気そうな声とは裏腹に、落ち着いた茶色のワンピースの上に乗った白い顔が眩しく見える。学校の制服がブレザーということもあり、白黒赤の服装しか見慣れていないものだから、特別感を感じてしまうのも無理はない。


「ごめんね、待っ…………てないよね」


「うん。ついさっき着いた」


 状況が整理できた大間さんを前に、僕は汗をぬぐう。いつも外に出る時に着るものを体にひっかけてはみたものの、熱くなった体と焦りにすっかり濡らされてしまった。


「じゃあ、切符買おう」


「電車に乗るの?」


「うん、二駅だけ」


 僕たちは切符を買い、電車に乗り込む。

 この駅からの移動は一日を通して基本的に都市部の方に流れるけど、僕たちが乗った電車は、逆にそこから流れてくる帰宅客が多くを占めている。僕たちの周りも下校中の高校生ばかりで、少し気が引けた。

 電車に乗ってからは無言の時間が続く。僕は閉まったドアに背中を預け、向かいドアガラスの奥の町の風景と、さらに奥の遠い夕日を見つめている。大間さんがどうしているのかを、隣を見れば確認することができる。でも変に思われるのが嫌で、目線は前を向いたままだ。


(改めて考えたら、これってデートなんじゃないか。いや、それは大間さんに失礼か。でもほぼこれってそういうものじゃ……)


 それでも意識してしまう自分が情けなくて、何も考えないようにする。

 ドアの近くの握り棒に頼らなければ倒れてしまいそうな車内の揺れが、ほのかなまどろみを誘う。



「ここで降りるよ」


 意識を手放す直前、喧騒の中からこちらに向けられた言葉に気づく。


「……ん、あ、うん」


「寝てた?」


「う、ううん、危うくだったけど」


「……そっか」


 あまり向けられたことのない優しい笑みに気づいた時には、いつの間にか掴まれた手を引っ張られていた。


「じゃあ迷わないように、私が握って連れてってあげる」


「えぇ…………え、ちょっと」


 半ば強引に電車の外に出され、そのまま改札を出て商店街に入る。眠気がかすかに体にまとわりついている僕は、その推進力に体を委ねている。

 普段の姿が柔だとすれば、今日の姿は剛だ。あまり学校でも見ない強引さに最初はたじろいだが、僕が知らないだけでこちらが本当の大間さんなのだろうか。

 でも、手を握る前に見せた笑顔だけは大間さんの本当なのだと、最近頼りない直感が訴えている。


「すみません。鶏もも二本ください」


「おお、はいよ」


 大間さんは肉屋さんの前に置かれた屋台の前で立ち止まってお店の人とやり取りをしている。会計をしている間もなぜか僕の左手は大間さんに握られたままで、もう片方の空いた手に受け取った鶏もも串を渡してくれた。


「ありがとう、えーと……」


 斜め掛けカバンの中から折り畳み財布を取り出そうとしたところ両手がふさがっていることに気づく。せめて値段だけでも、と思って膝元に書かれた料金表から鶏もも串の名前を探そうとすると、その前に茶色のカーテンが掛けられた。


「いいの、これは今日付き合ってもらうお礼。お返しは今度でいいから」


 屋台と僕の間に大間さんが割って入ってくる。それほどスペースがなかったため、危うく大間さんの体が僕に当たりそうになる。ふわっと鶏もも串ではない良い匂いがして、思わず顔を逸らしてしまう。


「あ、ありがとう」


(……これはまた出かけようということで合っているのだろうか)


 目線を戻すと、大間さんは目を細めて鶏もも串を頬張っていた。あまり表情が変わらない大間さんだけど、嬉しそうなのはこちらにも伝わってきた。多分。


(いや、社交辞令か。ちょっと浮かれているのかもしれない)


 首をかしげる大間さんを一瞥し、僕はきょろきょろと周りを見渡した。そして、鶏もも串を頬張る。一度家に帰っているから、こういうのを下校途中の買い食いとは言わないと思う。でも、これは間違いなくそれと同等の―――あるいはそれ以上の、冒険になっているだろう。


 鶏もも串を頬張った後、両手が解放された僕は大間さんに連れられて色々なところを回った。楽器店、書店、スーパー。もちろん、そんなお店で平日夕方の中学生が買うものはあまりない。目に留まったものはあったものの、結局はウインドウショッピングだった。

 どこに行っても商店街ということもあり、場所によっては冷やかしを受けることもあったが、大間さんはうまく笑ってごまかしていた。僕はその横顔を、長く続く商店街の通りや、所狭しと並んだ商品棚の隅に見ることしかできなかった。

 でも、その細かな表情の変化を見ているだけで、この上なく楽しかった。


「付き合ってくれて、ありがとう」


 オレンジ色になった駅前の、入り口の近くに立つ電灯の横で、大間さんがこちらに振り向いてお辞儀をした。


「いやいやそんな、こちらこそ」


 僕は慌てて両手を振り、迷惑なんかじゃなかったという意思表示をする。


「……つまんなかったでしょ?」


 呆れた―――いや、諦めたような顔を上げて、僕を見る。


「そんなことないよ。楽しかった」


「どこが?」


「え、えーと……」


 とても、大間さんといるだけで楽しいなんて言えない。きっと気持ち悪がられる。でも、気の利くことは何も思いつかない。どうしようもない。


「まあいいや。島野くんは、進路希望どうしたの?」


 しびれを切らしたのか、大間さんは話題を変える。


「進路希望? ああ、先週出したやつか」


「そうそう」


「僕は、公立高校にしたよ」


「そうなんだ。ちなみにどこか、聞いてもいい?」


「うーん、まだ決まってないかな。まだ内申点決まってないし、できるだけ過ごしやすいところにしたいから、これからかなぁ」


「え、でも進路調査出したんだよね。じゃあ、将来の夢は?」


「うーん……昔はあったけど、今は未定かな……」


「……え?」


 大間さんは顔をしかめる。明らかに驚きの表情だ。僕でもわかる。


(何も変なことを言っていないはずだけど……)


「もしかして、進路希望ってそれでよかったの?」


「え? それって?」


「その、高校行くとか、卒業してから働くとか」


「そ、そうだけど」


「え、職業とか言わなくていいの? 飲食店で働きたいとか、服を作りたいとか、動画投稿者になりたいとか」


(最後のはともかく、大間さんは何か勘違いしてるっぽい? そんなに詳細には答えなくてよかったはず……)


「だってホームルームで言ってたよ? 今回のはざっくりでいいって。また来年のこの時期にはちゃんとした進路を聞くって……あ」


「……」


 大間さんはみるみるうちに頬を赤く染めて下を向いてしまった。


「そういえば、その時寝てたっけ」


 大間さんはこくんと小さく頷く。


「ごめん。僕が伝えてあげてれば」


「ううん。私が百悪いから」


「でも」


「島野くんには、迷惑かけちゃった。ごめんなさい」


「そんな、迷惑だなんて」


「私、そんなに友達いないから、今日空いているのは多分島野くんだけだったの」


「がっ……」


 唐突に僕が選ばれた理由を暴露され、僕の脳内にあったいい可能性がついえる音がした。


「どうしたの?」


「えっ? いっ、いやいや、何でも。こっちのことはいいから。それよりも、今日来たのって」


 大間さんが今日ここに来た理由。それは聞かなくてもわかったけど、先に口が出しゃばった。


「……将来やりたいことを、探しに来たんだ」


 大間さんは赤い顔を上げる。何か隠し事がばれた子どものように笑う大間さんは、後ろにある改札の機械にパスケースをタッチし、線路の方に歩いていく。


(えっ、ちょっと)


 僕は置いていかれないように、慌ててポケットからパスケースを取り出し、改札を通る。しかし、僕が置いていかれる、というのはとんだ勘違いだったみたいだった。


「もうちょっとだけ、話さない?」


 改めてこちらを振り返った大間さんの後ろに、僕たちが帰る方向へ向かうはずの電車が到着する。


「ごめん、時間大丈夫?」


「別に、大丈夫だけど」


「そっか。じゃあ座ろ。ちょうど人がいなくなったし」


 行く人来る人が行き交うホームを、僕たちはそれと平行に進んだ。

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