第3話 小冒険2

「進路調査の紙をもらってから、将来何するんだろうって、暇があったらずっと考えてたんだ。だから先生にも、進路希望の提出を待ってもらってる。変な顔はされたけど」


 駅中のベンチに座った大間さんは、こちらに向けて決して変な顔ではないそれを指さした。先生もまさか、あの紙一枚でそこまで深刻に考えるものとは思っていなかっただろう。目の下にくまをトレードマークの様につける、あの担任の先生の困惑する顔が思い浮かぶ。


「そういうのを決めろって言われたと思ってた。だから、どうしようどうしようって悩んでた。まだ私十四歳だし。でも、そろそろ将来の方向性を決めないといけないとは思ってる」


「……僕よりずっと色んなこと考えてる。尊敬するなぁ」


「そんなことないよ」


「ううん、ちょっと意外だったけどね」


「そう?」


「あ」


(今のは失言だった。でもずっと授業中寝てるし、少しはいいよね)


 こちらが少し動揺をしていることも気に掛けずに、大間さんは続けた。


「色々考えて思ったんだ。私が今やるべきなのは、目標を自分で決めるんじゃなくて、決められた目標の中から自分に合うものを選ぶことなんだって。自由に決めるんじゃなくて、見えるものから選べばいいんだって、思った。でも見つかんなかった」


 大間さんは遠くを見つめながらつぶやく。少しだけその顔に笑顔が戻ってきたような気がした。


「私は、あまり選択肢を狭めるような選択はしたくない。学校とか仕事とか、人付き合いだってそう。だからきっと、私はほっとしてるんだと思う」


「……大間さんは、小学校の卒業式で将来の夢、なんて答えたの?」


「獣医って答えた。病気がちだった、うちの猫を治せる獣医になるって。でも数学苦手だし、そもそもうちの子はもういないし。笑えるよね」


 悲しそうな笑みをこちらに向ける。右頬だけ夕日に照らされた顔は、いつもと比べてさらに大人びて見えた。


「……」


「だから白紙だったんだけど、まだ決めなくていいって聞いたから安心した」


 何も言えない僕を前に、大間さんは座り直して、改めてこちらを向く。


「私も公立高校に行きたいって、なんとなく思ってたから」


「え、そうなの?」


「うん。だから明日出すよ。今日帰ってから書く」


 同じ学校に行くかどうかもわからないのに、一瞬胸があたたかくなった。


「まあそれもわからないけどね。私、成績はいいから」


 大間さんは子供っぽく鼻を鳴らした。


「内申は足りるの?」


「……それは、その、だって」


 こめかみを人差し指で触る大間さんは、わかりやすく焦っているように見えた。


「ふふっ」


「も、もう! 次の電車に乗るから、準備しといてよ!」


 珍しく声を静かに荒げる大間さんは、立ち上がって前に進んだ。

 今日は色んな大間さんの一面を見ることができた。

 少し考え症なところ、少し社交的なところ、少し―――というか結構喋る時は喋るところ。でもきっと、まだまだ僕は大間さんのことを知らない。

 でも、今日はそれだけで十分。隣で電車を待つ大間さんを、僕はこれからも知っていきたい。



*****



 でも、やっぱり大間さんは大間さんだった。


「……すぅ」


 都市部―――その中でもおそらく、この辺りでは一番大きなショッピングモールに向かう人が多いのか、帰りの電車は行きより混雑していた。僕たちはロングシートの席の前にぶら下がったつり革を掴み、並んで立っていたのだけど……。


「…………すぅ」


 車輪がレールに擦れる音の奥からそよ風が聞こえる。つり革を両手で握り、L字に曲げた肘に乗った大間さんの寝顔がこちらを覗く。いつも机に突っ伏しているから、寝起きの顔と比べると寝顔は案外レアだ。


(でも隙があったら眠っているのはいつも通りか……)


 ―――ガタン。


 突然、電車が大きな音を立てて揺れ、その拍子に大間さんの手がつり革から離れる。


「あっ」


 僕は咄嗟に、前に倒れそうな大間さんの体の前に自分の腕を回した。危うく僕の腕ごと倒れそうになったけど、何とか左腕の頼りない筋肉と通学で鍛えた両足で踏ん張る。想定していたより重さは感じなかったのが救いだった。

 少し時間が経ち、列車のスピードが緩まってきた頃、腕に乗った重さがだんだん軽くなった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 急に意識が戻ってきたからなのか、大間さんは僕の腕に体を預けたまま背中を上下させる。ふわっと浮いた髪の毛が扇いでこちらに甘い香りを飛ばし、僕は自分の腕が―――体勢がどうなっているのかを改めて認識する。徐々に早くなる拍動から意識を逸らすように周りを見たけど、周囲の乗客はおろか、どうやら前に座った会社員ですらこちらに気づかずにうたた寝をしているようだった。


「……島野くん、ごめん。ちょっと疲れたみたい」


「お、降りて休憩する?」


「ううん、大丈夫。一駅分くらい我慢できる」


(本当に大丈夫かな……)


 呼吸が整った大間さんは再びつり革を掴み直したけど、その目は伏せられたままで、体も全体重とは言わないまでも、僕の腕を支えとしたままだ。


「今日、楽しかったね」


 僕から会話を切り出してみる。


「そうかな。結局私ばっか話しちゃったし」


「大間さん、起きてるときは結構喋るよね」


「……ごめん。やっぱり喋り過ぎたよね」


「ううん、もっと聞きたい。僕は、もっと大間さんのことが知りたい」


 大間さんは少し弾みをつけて、もそっと僕の腕から体を引き離した。そして少し赤くなった目元をこちらに向けた。その表情は驚いているようだった。


(……うわっ)


 頭の中で今繰り広げられた会話を反芻し、僕はようやく、自分がとても恥ずかしいことを言っていることに気づく。僕も相当疲れてるのかもしれない。


「えと、その、そ、その、えーと」

 

「ふふっ、続き、降りてから聞かせてよ」


 焦る僕を見てか、苦笑いともとれる笑みを浮かべた大間さんは吊り革から手を離してドアに向かった。


(やばっ、降りなきゃ。あーもう!)


 僕は慌ててその後に続いた。



*****



 僕たちは駅の構内に置かれたベンチに座っていた。


(キザなことも言ってたし、ずっと何も考えずにしゃべってた気がする。大丈夫かな。何か変なこと言ってないよな……。いやいや、言ってるか。大間さんに何か変なこと思われてたらどうしよう……。ていうか、もう思われてるか。ハハハ……)


「で、私の何が聞きたいの?」


「え?」


 改札の外で踵を返し、こちらを見た大間さんは、後ろ手を組んでこちらの言葉を待つ。僕は一度頭の中にたくさん現れた『自分』を解散させる。


「ごめん、咄嗟に口走っちゃっただけで、何も考えてなかった」


「ふーん」


 大間さんは拗ねたように口をとんがらせる。


「……」


「じゃあ、聞かせてよ。島野くんのこと」


「え?」


「私の事興味ないなら、島野くんのことを聞かせて」


「そんなことない、けど……」


 思えば、隣の席になってからずっと、大間さんのことを知りたい気持ちが強すぎて、僕のことは対して話してこなかったような気がする。話すタイミングが無かったのもあると思うけど、きっと僕に興味を持っていないと、僕が決めつけていたのだろう。

 でも逆に、それはきっと不誠実だ。というかそもそも、向こうが知りたいと思っているかどうじゃない。僕が閉じこもっていることが、絶対的な問題なんだ。


「……」


 大間さんは僕が口を開くのを待っている。

 これ以上、待たせるわけにはいかない。


「僕は、あんまり人の考えてることがわかんない、んだと思う。わかりすぎて嫌になることもある。ずっと一緒にいる人だったら大丈夫だけど、そうじゃない人の話は、その中に隠れてる心を見つけたり判断したりするのに時間がかかってしまう。だから、大間さんはたくさん時間を使って、僕に話してほしい」


「でも、島野くんが考えてるときに私が話したら、もっと考えること増えない?」


「……ううん。多分僕の中で、返す言葉は一つに決まってるんだ。でもそれが信用できないから、何も話せなくなるだけで。もちろん、人の話はちゃんと聞いてるよ」


「島野くん……」


「たくさん話してほしいし、僕にはたくさん時間を分けて欲しい。きっとそうしたら、まごころが、伝わる気がするから」


(よし、目を逸らさずに言えた!)


 大間さんは仄かに頬を赤くしたものの、それ以外の表情を変えずに目線を外す。


「……」


 長い沈黙が、まだ続く。


(自分でも、結局何が言いたかったのかわからなくなる。後半はほとんどで任せだったし。でもそこまで変なことは言ってないはず……)


「……わかった」


 大間さんは目線を逸らしたまま、ようやくその一言と一歩をこちらに寄せる。


「じゃあ、これからもよろしく」


 大間さんはそう言って手を差し出す。心なしか声色は嬉しそう(?)に聞こえる。

 これはどう考えても握手のサインだろう。僕でもわかった。

 ズボンに軽く掌をこすりつけ、差し出された手を握る。

 小さくて冷たい手の感触が、明らかに他者の手だという認識を植え付けてくる。

 でも握り返された手に感じた、確かな他者のぬくもりが、僕の心の中にわずかに残っていた警戒心を溶かしたような気がした。

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