人形にも魂が宿る

「さやかにこのお人形をプレゼントしよう」

「ホントに? やった。ありがとう」

 さやかは満面の笑みを浮かべてその人形を受け取った。それはフランス人形。金髪で青目で、白いドレスを着ている。その人形の瞳には輝きがあった。生きる人に宿る美しき輝き。それがさやかの心を撃った。

 さやかは人形をギュッと抱きしめた。そして、プレゼントしてくれた父親にもう一度「ありがとう」と言うのだった。

 父親は少し良心が痛んでいた。自分の愛娘のこの笑顔を見て。喜べば喜ぶほど胸が痛んだ。

 さやかにはその父親の気持ちを理解することは叶わない。なぜなら、もう人形の方に興味の視線がいっているからだ。

 父親は「大事にするんだぞ」と言って部屋から去っていった。

 さやかは人形を優しく撫でた。「可愛い」と頬を朱色に染める。

 さやかの部屋は人形だらけだった。人形だけではなくぬいぐるみもある。それで埋め尽くされていた。さやかはベッドの上でそのお人形たちに囲まれて日々を過ごしているのだった。

 さやかは、新たな一員を迎え入れた。他の物たちも、それを祝福しているように彼女には見えただろう。

 彼女はせき込む。こほんと。三回ぐらいそれをした。そして、ふう、と深呼吸をする。

「さやかちゃん、さやかちゃん、あたしがこの中に加わってうれしいかな?」

 さやかはびっくりした。突然女の子の声がしたからだ。そして、恐怖した。

 部屋を見渡すが、自分しかここにいない。じゃあ、この声の主は誰なのだろうか。

「あたしだよ」

 なんということか、と、少女は驚いた。まるで漫画の世界の中に入ってしまったのではないかと勘ぐってしまう。普通ではありえない光景が目の前に飛び込んできたのだ。

「ど、どうして?」

 動くはずもない人形が動いた。普通の人のように歩いている。そして、話しているのだ。

「それはあたしのセリフ。どうしてこんなところにいるのかな? わからない。確か……ぼんやりしてて思い出せない」

 人形はため息をついた。

「なんでだろうね、とりあえず、あなたの想いがこうして人形に魂を宿らせた、ということで納得しよう?」

 この人形はなぜかぶっきらぼうに言った。そして自分にも生じた不可思議な現象に対してあっさりと受け入れてしまった。

「そ、そうだったの」

 さやかは、そんな人形をみて、無理やりに自分を納得させようとした。そして、ぐちゃぐちゃになった頭の中を整理していった。

「あなたのお名前は?」

 深呼吸をしていったん落ち着き、現状をとりあえず受け入れようとして、出た言葉だった。

「あたし? うーん……覚えてないけど……じゃあ、コトリで。あなたはさやかであってるよね? まあ、しばらくよろしくね」

 さやかはこくりと頷いて「よろしくね。コトリ」と握手する。

 コトリは、顔をそらして、その握手に応じていた。



 コトリとさやかはすぐに仲良くなった。どちらかといえば、さやかが、コトリにべったりになったという感じだろうか。それもそうだ。さやかには話せる友達というものがいなかったのだ。親や先生ぐらいしかいない。

 さやかは、コトリに色々な話を聞いた。外の世界の話や、友達の話など。大体はとりとめもないどうでもいいような話ではあるのだが、さやかにとってはそれがとても貴重なものだった。だから、すごく真剣に聞いていた。

 さやかにとって本当に新鮮味のある話だった。コトリは適当な話をしているだけに違いないが、それでもさやかにとってはすごくおいしいものである。

 コトリは徐々に思い出していった記憶の中で自分なりに脚色を加えながら話していった。読んだことのある小説も要所だけをまとめて簡潔に話をしていた。

 ほとんどお話をするだけで一日が終わる。

 コトリは、少しだけ疑問を持った。このさやかという少女について。だから、尋ねた。

「ねえ、さやかは、幸せ?」

 唐突な質問にさやかは困惑した。でも、すぐに言葉が出てきた。それは偽りがないのだ。だから一番にこの言葉が出てきたのだろう。

「幸せだよ」

 さやかは屈託のない笑顔を見せた。コトリは沈黙する。表情は変わらないが、何かを真剣に考えているようだった。

「家に引きこもっているだけなのに? まるで、箱の中にいるみたいだよ。まさに、箱入り娘みたいなかんじで」

「言葉通りだね。うん。確かにそうだよ」

 さやかはコトリの言葉に微妙な笑みを浮かべた。そして、カーテンを寝たままで開けた。外の景色が入って来た。月の光が差し込む。星々が点々としている。ガラス越しに見えるそれは、手が届かない所にあった。伸ばそうと思ってもそれは届かない。

「私だってずっとこの部屋に引きこもっていたくないよ。みんなと同じに、外で元気よく遊びたいよ。どろんこになって、服を汚して、それでお母さんとかに叱られて、お風呂に入って、いっぱい動いた体を洗って、それでごはんを食べて、今日もいい一日だったって思いながらベッドに入って眠りたいの」

「だけど、それはかなわないんだろ?」

「うん。もう……駄目みたい」

 さやかは泣きそうだった。

「あたしも、どうだろう。多分さやかと同じで家に、いや、病院にずっといたんだ。ずっとずっと。きっと寂しかったんだと思う。だから、こうして出会えたのかも。さやかと出会えてうれしいよ」

「本当に? 私も嬉しいわ」

「さやかの体の調子はいいの?」

「先生は大丈夫だって言っているけど……。よくわからないわ」

「そっか。まあ、いいや。あたしがいる間は、さやかの不安を全部忘れさせてあげるよ。なんだろうとね」

「ありがとう」

 さやかは笑う。そしてコトリの頭を撫でた。コトリは崩せない顔で笑った。

 こうして、また一日が過ぎていった。



 その数日後だった。少女の様態が急変した。突然激しくせき込む。そして、辺り一面に血を吐き出した。コトリは急いで親を呼んだ。しかし、一人ではこの部屋のドアを開けられなかった。だから、大声を出して呼んだ。しかし、中々こない。声が届かないのだろうか。さやかは苦しみもがく。

 やがて、父親がかけつけ、さやかをだきかかえた。父親はその時にこの動く不可思議な人形を目にしたが、そんなのに気にしている様子はなかった。

 父親はその人形も連れて行った。

 さやかは病院に運ばれる。手術が始まる。


 だけど、助からなかった。さやかは死んでしまった。

 父親は涙をたいして流していなかった。もう、覚悟していたのだろうか。


「しんじゃったのか……」

 コトリはうつむいた。昨日はあんなに笑っていたのに。なのに、なんであんなに苦しみだしたんだ……。

 コトリはぶつけようのない怒りが沸々とわいてきた。

 わずかだけだけど、さやかとの過ごした時間が次々と流れてきた。

 コトリは泣けなかった。そんな体を持っていなかったからだ。

 コトリは、少女の動かなくなった体を見ても泣くことができなかった。

 ただただどこにあるかわからない感情がふつふつと湧いて出てくるだけだった。


「ありがとう」


 父親はコトリにそう言った。

「どうしてあたしにそんなことをいうんだ?」

「さやかは生まれつき体が弱くて、学校にも行けなくて、友達すらいなかったんだ。きっと、さやかは友達が欲しかった、会話がしたかった、笑いたかった。きっとそうだったんだ。君が、この数日だけでもさやかの望みを叶えてくれたんだと思う。ありがとう。……ありがとう」

 父親は唇を震わした。目を隠した。頬から涙がつたっていた。

 コトリはさやかをみているだけだった。

 コトリは、さやかの頭を撫でてあげた。自分にはこれぐらいしかやることが出来なかった。

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