愛は尊く、死は永遠に
「あ、お兄ちゃん、お帰り」
陽気な声でオレを出迎えてくれた。
「ああ。ただいま」
オレは優しい声でそう言った。
大学の講義が終わり、オレは直帰した。部活動もサークル活動も行っていないから、わざわざ大学内に残っている必要がない。だから、すぐに家に帰るのだ。
理由はそれだけではない。ただ、スミレに会いたいからだ。
スミレは、今、オレを出迎えてくれた子。オレの実の妹だ。
スミレは愛嬌がとてもよく、誰からも好かれるような女の子だ。そしてなによりも嬉しいのがお兄ちゃんっ子だ。子供の頃からいつもべったりで、両親からは「いい加減にしなさい」と怒られるほどだ。
オレは別に構わないのだが。だって、オレもスミレの事が大好きだから。むしろ嫌いになる要素がどこにもない。
料理は出来るし裁縫だってやってしまう。清楚で、可愛くて、頭が良くて、まさに非の打ち所がない。そんな女の子。兄として誇らしく思っている。
スミレはまだ中学生で、オレよりも六つ下だ。オレは今年で二十歳。だからスミレも今年で十四歳のはずだった。歳は少し離れてしまってはいるが、仲の良さに歳など関係ない。
「今日は、お兄ちゃんが大好きな肉じゃがを作ってあげているよ」
屈託のない笑顔で言った。オレは「やったぜ!」とガッツポーズをした。
オレは親元を離れて一人暮らしをしている。そして、なんやかんやあって妹がついてきてしまった。この事を親はまだ知らない。いや、知ったとしても信じないだろうな。病院に入れられるかも、と冗談ぽくいってみる。
「なあ、スミレ」
「なあに? お兄ちゃん?」
小首を傾げた。
「今日も可愛いな」
オレはそう言ってスミレにキスをした。
スミレは嫌な顔はしなかった。むしろ受け入れていた。
「うふふ。ありがとう」
スミレは嬉しさに揺れるような笑みを浮かべる。女の愛嬌がその顔いっぱいに溢れ出ていた。
オレはスミレの柔らかい頭を優しく撫でる。スミレは小さな腕をオレの腰に巻き、胸板に顔をうずめた。
「幸せだね」
「ああ、幸せだな」
オレもスミレの体を抱きしめた。小さくて、柔らかくて、今すぐにでも消えて居なくなってしまいそうな儚さがその体にはあった。
スミレが死んだのは、去年の夏だった。
唐突だった。
自殺だ。
学校から飛び降りた。
虐め? という噂が飛び交ったようだが、違うようだ。
この時、オレはもう下宿していたからスミレの死について知るのにラグが生じた。
母親から電話がかかってきて、そして知らされたのだ。スミレの死を。
最初オレは言葉を飲み込むことができなかった。まるで呪文のように日本語としてその言葉を認識できなかった。時間が経つにつれて頭が冷静さを取り戻し、その言葉を受け入れられるようになり、ようやく現実に戻れた。
なんで? そう疑問に思ったのも無理もない。だって、スミレは幸せな人だったんだから。何か重いほどの悩みがあったわけでもない。順風満帆な人の生きる道を歩んでいたはずだ。それなのにもかかわらず、死に向かったのが理解に苦しむことで、意味が不明で不透明だった。
オレはすぐに家を飛び出し、実家へ向かった。
スミレの死体は見るも無残なもので、あの可愛らしい顔はひとかけらも残されていなかった。
オレは病院でへたれこむ。頭が真っ白で、この世に絶望した。
本当に、どうしてだ?
なぜ、スミレは自殺なんかしたのだろうか。
ひょっとすると、オレの知らないところで、いじめを受けていたのだろうか? しかし、それはあり得ないということがゆくゆくわかっていった。
いったいなぜどうして! スミレは自らを殺すことを望んだのだろうか。
わからない。
わからないのだ。
苦しい。辛い。スミレがいない人生など、灰色の世界にいるようなものだ。
どうして死んでしまったんだ?
わからない。
いや、
本当は分かっているんじゃないか?
…………
オレはハッキリと言ってしまえばスミレが好きだった。自分にとってとても、かけがえのない存在だった。本当に、心の底から愛していた。
それは両想いだったのは間違いのないことだった。それが分かったのは、数年前であった。
幼いころから、オレたちは一緒だった。兄妹なのだから当たり前だ。スミレがこの世に生まれ落ちたときに、オレは運命を感じた。
大切な妹を、兄であるオレが守るという責務を感じた。
オレはずっと一緒にいようと心のなかで誓った。
お互いに大きくなるまでその思いは変わらなかった。そして、だんだんと、成長していき、オレたちはだんだんと大人に近づいていく。
しかしながら、その中でオレの感情にとある変化が徐々に徐々にフラストレーションがたまっていった。
スミレは月日が経つにつれて、その体になまめかしくそして美しさを備えていった。その可憐な体は奇跡のように輝いていて、美しく、魅力的であった。そのスミレの変化にオレはまるで悪魔が取り付いてしまったかのような深くどす黒い感情が心の中で育っていってしまった。 だが、その感情のなかには耽美で煌びやか心も同時に育っていったんだ。
オレの心には常に棘の鎖をまかれているかのような鈍痛が続いていた。それはスミレと傍にいることによるものとは、思いたくはなかった。常に一緒にいよう、そばで見守りたいそんなオレがスミレに対してこんな人には決して言ってはいけない表情を心の中にしまっているのだから。スミレに対して情けなく、最低であった。
だけれども、スミレはそんなオレを知らずに、いつものように太陽のように明るく、花のような美しさでオレの傍に寄り添って慕ってくれていた。
抱き着かれたときの髪から漂うシャンプーの香りや、ほんの少しの日常の仕草の一つ一つがオレの中に眠る悪魔の感情を刺激し、ふつふつと煮えたぎらせた。
そんなオレに対してスミレはなんの穢れもない美しい瞳でオレを見つめ、「お兄ちゃん」と優しさに包むような声で呼ぶ。
だけれども、それも徐々に徐々に日を重ねていくことにより、変化が生じていったのだ。オレの感情をついに見破られたのやもしれなかった。スミレはその瞳に陰りを宿すようになっていった。太陽のような表情も曇り始めていった。
思い詰めているような、苦しそうな、暗い暗い表情だった。
オレはこのままスミレがオレの傍から離れていってくれるのを願っていた。本心とは真逆ではあったが、こんなにも苦しいのならこんなにも辛いのなら、オレは身を引いた方がそのためであると信じて疑わないようにしていた。
だけれども、悪魔的感情はその寂しさを膨れ上がらせることに熱心であった。
オレはとうとう罪を犯してしまった。
いけないことだとはわかっていた。でも、辛かった。これ以上隠すことは出来なかった。彼女はわけもわからず、なのかその身をオレにすべて預けていった。
終わった後、オレは後悔とその罪の重さに耐えきれず、この身を投げようと思った。だがしかし、それは出来なかった。
スミレが止めたのだ。
スミレはオレのその罪を一緒に背負ってくれるとそう言ってくれたのだ。
オレたちはお互いに尊重し、愛し、敬い、敬愛し、歓びを得ていたのだった。
一心同体――同じことを想い、同じことを悩み、同じことを傷ついていた。
それらを認識してから、この罪は、軽くなっていった。
そして、オレたちは二人で過ちを犯し続けていくこととなった。だけれども、後悔などはしていない。最初はした。だが、それは一人であったから。でも今はそんなことはない。二人で背負うものに後悔をしようなどという気持ちは湧いて出てこようとはしなかった。
オレはずっとずっとこのまま、この時を過ごしていけると信仰していた。
だが、ある日の事オレたちの関係を両親が知ることになってしまった。
当然、両親からはまるでこの世のものではないとさげすまれ、人に対して向けるようなものではない感情をぶつけられた。
そうして、オレたちは引き離された。
ちょうど大学の受験を控えていたオレは他県へ受験するように指示された。その受験の間も、祖父母の家にオレは行かされ、接触を許されなかった。
きっとこれは罪を犯したオレたちへの神様からの罰だったのだろうか。
それ以来、オレは心の中にスミレを抱きながら日々を過ごしていった。
そうして、今に至る。スミレは、自殺をした。
死んでしまった。肉体が朽ち、焼けてなくなった。
それでも尚、スミレはオレの目の前にこうして存在している。
夢だろうが、なんだろうが、そんな些細なことはどうでもよかった。ただ、目の前にスミレが確かに存在する。それだけでオレはなにもいらなかった。
オレは一人で生きてしまう。でも、いいんだ。……いいんだ。……いいんだ。
「私、死んでよかった。だって、なんの弊害もなくずっとお兄ちゃんといられるんだから」
スミレはオレに対してこう言ってくれる。
「そうだな」
オレは深く頷き、何もない空間をただ抱きしめた。
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