第2話

 角を曲がったらいつの間にか別の場所になっていた。変わっているという事に気づかないくらい一瞬で滑らかだった。その変化に何か思う間もなく、目の前には新しい景色が広がっている。

 空は前にエイプリルに教えてもらったのとと同じ夕焼けだ。あそこで見た夕焼けも綺麗だけが、こっちの夕焼けも綺麗だ。色が時間によって次々と変わる空は、心が跳ねる。この頬を撫でる心地の良い風の涼しさも、気持ちが切り替わるものだ。

 んーっと背伸びをすると広い場所を私だけが使っているみたいに感じた。下から楽しそうな笑い声が聞こえている。

 あまりにも楽しそうなので下の方を見てみると、二人が一人から走って逃げているように見えた。何をしているのだろうか。そう思ったらいつの間にか下に降りていた。

 下に降りて、あの…と声をかけると三人ともこちらを向く。一人は黒い髪の女性だ。腰まで流れるそれは、よく焼けた焦げ茶の体によくあって夜空から切り取られたかのようだ。誰よりも背が高い女性は全てを知っているような、いや、どこか遠くを見ているような不思議な目をしている。

 もう一人は黒い色や灰色や白色があって短時間で色が変わる夕方のような髪色をしている。こちらも髪は長く、しかし波打っていて、決して固くはなく、柔らかい。顔は髪で隠れていて分からないが優しげにこちらを見ているのがわかる。

 もう一人は黒猫だ。前に会った猫とは違って毛は短くとても滑らかだ。私よりはるかに小さいのに凛としていて、私を見つめる目は頼もしさを感じる。

「それは何をしているの?」

 と聞くと髪の毛で顔が隠れている女性がくすりと笑って、鬼ごっこだよ、と言った。

「私も入っていい?」

「うん、いいよ。今は私の後ろに居るマヌエラが鬼だから彼女に捕まらないように逃げて!ほら、早く!」

 と言うやいなや彼女は駆け出した。

「ああ、待って百合!ああ、行ってしまったわ。ごめんなさいね、私はマヌエラ。あの走った彼女は百合で黒猫はひまり、ええっとあなたは…」

 と一瞬止まるが、すぐに微笑んだ。

「よろしくね絵の具ちゃん、終わったら改めて教えてね。それじゃ10数えるから逃げてね」

「う、うん」

 マヌエラと呼ばれた女性はそう口早く言うと、1、2、と数え始めた。

 入れてもらえたのはいいが、あまりにも突然でどこに逃げたらいいのか分からないので百合とひまりの間まで行って後ろを振り返る。

 マヌエラは数え終えるとこちらへ向かって走り出した。けれど私含め三人のうち誰に向かっているのか分からない。左右を見て二人を確認するがじりじりと一歩後ろへ下がっているだけだ。

 けどその静けさもすぐに終わった。半分くらいまでマヌエラが近づくと二人ともいっきに坂を駆け上がった。私は完全に出遅れたためマヌエラはこちらに狙いを定めている。どこに逃げようか考える間もないので二人の後を追いかける。

 走っている時の風がとても心地良い。解放感、自由感がある。走れる動物は皆こんな気持ちで自然と遊んでいるのだろうか。自然と一緒になっている感じがしていつまでも走れそうだ。

 隣で叫びながら笑う声が聞こえた。いつの間にか狙いは百合になっていたようだ。ひまりと私はぐるりとまわって最初に話しかけた場所に戻った。

 たった少ししか走っていないのに、はあはあと息がきれる。さっきはいつまでも走れそうだと思っていたがそうはいかないらしい。それが少し寂しい。

 追いかけっこはどっちが勝つのだろうと見ていると、百合は手一つ分、身をかわしてこちらへ一直線に走ってきた。

 どこへ逃げればいいのだろう…と周りを見渡していると、ひまりはもうとっくに後ろの方へ走っていた。

 私も続けてひまりの後を追いかける。さっき疲れていたはずの体は、疲れていながらも楽しさを感じていた。きっと私の顔は今、笑っているのだろう。

 後ろの方で、あー!鬼になっちゃったー!と言う声が聞こえる。

 ちらりと後ろの方を見ると今度は百合が1、2、と数えている。そのうちに疲れをなるべくとるため歩きながらひまりに近づいた。マヌエラも歩きながらこちらへ来ている。

 10と言うと百合がこちらへ走り出した。今度は遅れないように後ろへ下がっていく。今のところ誰を狙っているか分からない。ちらちらとお互い鬼を押し付けようと見合う。どうやったら楽な方へ逃げられるか。鬼が半分ほど近づくと後ろへ真っ直ぐ走って誰が早く息を切らすか、もしくは失敗しておかしな行動をして狙われてくれないか、その事だけを考えていた。

 私は少し焦っていたので一歩分坂の方へ寄った。寄ってから後ろを見てみると百合は若干マヌエラの方に向いて走っていた。

 それでも安心はできないだろう。いつこっちに来るか分からないのだから。

 こうして走っていると一歩一歩が、一秒一秒が切り取られているかのように楽しい。それがずっと続いてくれたら…なんて思う。このたくさんの綺麗な色に囲まれて、きっと友人になるであろう人たちをこうやって遊んでいく。

 しばらくしてもう一度後ろを向くと今度は三人の誰を狙っているか分からない位置についていた。疲れが出てきたのか、私とマヌエラ、次にひまりの順番で足が遅くなっていった。百合もさっきとは違って遅くなっているものの、きちんと近づいてきている。試しに坂の方へ近づくと百合も同じ方向へ近づいた。

 この時、心の中でどっちか狙われてくれないかなと願っている自分に気づいてぞわりとした。その淀みを見たくなくて空を見る。

 その一瞬の間にもうあと少しのところまで来ていた。その頃にはもうひまりも疲れていてさっきより遅くなっている。

 百合は私に手を伸ばした。その時勝手に、いやー!と叫びながら笑った。別にそうしようと思っていたわけではない。本当に勝手に心の底からそう笑いながら叫んでいた。その手もぎりぎり届かなくてほっとする。

 鬼ごっこと聞いた時はその遊びについて思い出したのだが、こんなに楽しいものだとは思わなかった。遊び方は知っているが実際に遊んだ記憶がないのだ。

 今度はひまりが叫びながら笑っている。そうこうしているうちに皆疲れて、歩いて追いかけっこになっていた。

 私はそれでも耐え切れず膝に手をつき息を切らす。百合は私の腰に手をそっとぽんぽんと叩いて「はいタッチ。でも疲れたからこれで終わり。ご飯食べよ」と言った。喉は冷たく息を吸うのに必死で頷くしかできなかった。

 もう我慢ができずにドサっと座った。喉はカラカラで息の合間に頑張って唾液を飲むが、喉を通る感覚もなくすぐ蒸発するようで意味がなかった。そのまま走ってきていた場所を見る。あそこから全然走れていないのだろう。近くにあるように見えた。少ししか走っていないのにこんなに疲れるなんて思わなかった。

 皆も呼吸を整えることしか出来ないらしく、しばらくは四人分の息を忙しく吸ったりはいたりする音だけが響いていた。

 走っている時は気づかなかったが、いつの間にか空は別の色になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る