第3話

 意外と息はすぐに整った。さっきまで足が重く全く動かなかったのに今ではすっかりと動く。それどころか体が軽い。

「それ…で…絵の具ちゃんは名前とか覚えているのかしら」

 と息をきらしながらマヌエラは言った。たった少しの間走っただけで皆汗だくになっている。

「ゆめみ。ここが二番目に来たんだと思う。えーと、マヌエラ、百合、ひまりであってる?」

「うん、あっているわ」

 よろしくね、と息をきらしながら言って右手をこちらに出した。その謎の手をポカンと見ていると、彼女は私の手を同じ位置まで持っていき握った。

「握手よ。まあお辞儀もあるけどこっちのほうが今の私の気分なのよ」

 それを聞いてまた不思議な気分になった。知っているはずの行動、言葉。思い出すたびにその感覚が気持ち悪い、がさらに皆の事を身近に感じる。…そしてそれらが楽しく悲しい。色々な感情が混ざって喉や胸がつっかえた。

「よろしく。行くあてがないからたくさんお世話になるかもしれない」

「じゃあ、えーと、ゆめみ!しばらく一緒にいるの??」

 今度はいつのまにか百合が隣に来て私の手を握った。瞳がきらきらと輝いてとても可愛い。自分という存在をこうも受け入れてくれるというのは本当に嬉しく思う。前の時もそうだが、こういう事にたいして何か――今は分からないその何か――を思う。

「うん。そうなっちゃう。まだ右も左も分からないから」

 緊張して顔が動かなかった。いや、一方的にお世話になるという事に対してうしろめたい気持ちもある。それもあって無表情で言った。それでも百合はパアァァと華やかせて、やった!お友達と遊び放題!と言ってくれた。

 突然お邪魔した私にくれた優しさで胸が満たされる。

「こーら、百合。今日はもうご飯の調達よ。歩きながら話しなさいな」

「はーい!」

 この中ではマヌエラが母みたいな存在なのだろうか。母子とは少し違う気もするが今私が考えられる中ではその言葉しかない。

 ひまりが周りを走りながら、ケーキ!ケーキ!とはしゃいでいる。前の家族の空間も楽しかったがここも楽しい…。




   ―――   

 ハンバーガー屋と言われる店の裏に置かれている箱の中身を見ながら、こっちにはない、となるべく小さな声で言った。

 もう何軒目か多くて忘れた。それでも次の店に向かって歩く。

 あまり人の少ないところを選んで、目的の場所まで着くとマヌエラとひまりが見張りに立って百合と私で箱の中を確認する。それを繰り返していった。

「他にもライバルがいるし最近私たち向けに対策されてるからなかなか手に入らないや…昨日もなかったし…」

 困ったなあ、と眉毛を八の字にしている。

「仕方ない。今日もバイトだぁ」

「バイト?」

 とは仕事だろう。たしかそうだったはずだ。その事は知っている、いや思い出したがやった記憶がないので、仕事とは何をするのか分からない。

「うん。最近ねはじめたの。ご飯がとれなくなって数日間ぐったりしてたら知らないおばさんが家の事をしてくれたらご飯とかお風呂とかくれるって。いつでもおいでって言ってた」

「そうなんだ?私バイトってしたことないから楽しみ!言葉は聞いた事があるけどやったことがないからどんな感じなのか分からないんだ。どんな事をするの?気をつけることは?」

「お掃除とかが主だよ。ご飯はおばさんが作るからそれを食べたり、お弁当をもらうの。お掃除してお風呂に入りながらお風呂掃除をして、買い物があったら買い物!くらいしかないかな。他は特になしだよ」

「お掃除…いっぱいあるかな…考えただけですごくわくわくしてきた」

「ご飯も美味しいしおやつもついててそれも美味しいからね。楽しみだよ」

 彼女も想像しているのか目を閉じてムフフと笑った。



―――

 百合の説明によるとその家は今まで居た場所からそう遠くはなかった。

 たくさん歩いていたと思っていたから不思議なものだ。どうやら全体的に見て中心部分にあるらしい。

 どんな感じなのだろう。知らない事が多い中で次に起こる出来事に胸が躍る。

 ぽつりぽつりと人々とすれ違う中。たまに遊園地に行くか行かないで喧嘩をしている親子や、立ち話をしている人たちもいる。この場所は他の場所とは違ってすごく自由なのだろうか。地べたに座り込んでお酒を飲みながら空を眺めている人もいるし、そしてそこへ友達らしき人が両手いっぱいにお酒をかかえて話しかけていた。

「ここね、私も最初はびっくりしたんだ!」

 と百合は笑顔で話す。

「皆自由にゆったり過ごしているから。でも他人には迷惑かけないように、こう見えて色々と決まりはあるんだ。そだ、面白いイベントだあるんだよ。月に一回は皆、公園に集まって食べ物持ち寄りで交流会したりとか。持ってこれなかったら最後にお掃除する決まりなんだって。ここの人たちも優しくてね、自分たちも苦しいのにたまにおすそ分けしてくれるんだ。前も焼いていた魚をくれたよ」

「そんな優しい所があるの?」

 全く記憶にはないはずなのに、そんなに助け合ってる所はそうそうないという思いだけはある。なんでだろうか。

「他の場所は冷たいけどね。ここだけ特殊なんだよ」

「そうなんだ」

 隣で小さく、喉が乾いた、という独り言が聞こえたあと会話は止まった。たしかにそうだ。長い間、話し続けて歩き続けた。喉が乾いて、喉と喉がひっつく感じがする。

 似た建物の角を何回か曲がり、似たような道をしばらく歩いていると、百合が突然走って塀の中に入っていった。

 塀の中の家はエイプリルの時に見た家の形とは違った。二階建てで外に階段がついている。真四角な家にはたくさんの窓や扉がついている。その窓もそれぞれ何かしらで飾られている。家の中の飾っているものはわからないが、外に飾っているのは花や葉っぱ、銀色の何かなどで楽しい。一つの家にこんなに色々な物を使って楽しい空間を作る事ができるのだろうか。

 百合は、たったったったっと階段を上がっていった。

 一階が玄関なわけじゃないのか。なんとも不思議な家だ。

 階段を上がると、目の前の扉の隣についている黒くて四角い箱に触った。すると突然どこからか、ピンポーンと音が聞こえた。

「これはね、インターホンよ。ほら、ここ。このボタンを押すの。高い物だと、インターホン越しに外を見る事とか話す事ができるのよ」

 ふぇーとほうけながらインターホンを見る。知っていたはずのインターホン。相変わらず、中身がどうなっているか分からない。こんなに小さいのに、色々な機能がついているのだ。もちろんここのは音だけだが、中の構造が全くの謎でできている。

 百合が二回目を押そうとした時、がちゃりと音がした。

「いらっしゃい、ゆ、あら、その子は?」

 中からなんとなく疲れていそうな女性が出てきた。会ったことがないのに、なぜか、服と本人の雰囲気が合っていないと思った。いや、たしかに可愛い、ふんわりとした服だ。形も色も柄も。よく分からない何かが違えば――小物とかの飾りではなく――よく似合うような。今の彼女は一人のように見える。だから合わないように見えるのだろうか。

「ええっと、ゆめみです」

「そう、あなたも百合のお友達なのね。どうぞ中へ。私はご飯を作ってるからお掃除お願い」

「はい」

「任せて!ゆめみが居るから前より早く掃除が終わるよ!」

 マヌエラが小さく失礼しますと言って入ったので、後に続いた。

 玄関は小さく一人ずつしか入れない。外から見たら大きい家なのに。窓だってあんなに物を飾っていたのに。とても変わった作りをしているのだろうか。

 靴を脱いで振り返って見える家の中は本当に狭かった。狭い通路を真っ直ぐ歩く。開いたままの扉を通る。通った先はたった一部屋があるだけだった。これでは外から見た形と合わない。

 きょとんとしていると、マヌエラがアパートはこんな形してるのよと耳打ちしてくれた。

「集合住宅ってね、狭い場所に何人も住めるようにこういう感じの部屋が何個も集まってるの」

「そっか、それで…」

 外と中が違ったんだ。

「さ、こっちよ。まずは掃除機から」

 そう言われて掃除機の準備をした。掃除用具は探さなくてもまとめて置いてくれている。なんて優しいのだろうか。

 掃除機の使い方はもう思い出している。けれど人の家、人の物だから自分の使うようにはしにくい。この掃除機も家の小物や家具などを傷つけないようにと考えるのはもちろん、自分の家だと大きくても吸わせてしまおうと思って無理に吸わせているゴミを事前に拾うために歩いた。

 掃除ってこんなに大変だったかな、なんて思いながらある程度のゴミを歩きながら見ていく。元々ここに住んでいる人はそんなに汚さないのか、掃除好きなのか、1つ拾えたらいいくらいだった。

 両手で持ってもずっしりとする掃除機を持つ。わかりやすい所に電源と書かれたスイッチがあり、それを動かした。その瞬間、一瞬でエコと書いてある場所が光る。

 意外と持ち手が長いのに中腰にならないと滑りが悪い。

 それでも人の家だからと、隅々まで念入りにゆっくり、何度もかけていく。

 重さもあるからか部屋の半分も終わってないのに腰が痛くなってきた。背中を後ろにそらせたいがそれをすると友達や女性が気を使いそうだ。皆優しいからそんな事はさせたくない。

 部屋を終え、廊下に向かった。廊下にあるコンセントにコードをさして掃除機をかけた。部屋よりは少ないのであっという間に終えた。誰も居ない事を確認し、背中を後ろにそらせる。腕もぶんぶんふって次の掃除をするために部屋に戻った。

 女性はひとり暮らしに慣れているからなのか、台所からは心地の良い安定した音が聞こえてくる。なんとなくお腹や体に優しそうなものが出てきそうな気がする。あの女性が優しそうだからか。

 どうしようか悩んでいるとマヌエラから雑巾を渡された。

「この消毒スプレーでテーブルとかテレビを拭くのよ」

 そういい終えると小走りでベランダに向かった。

 自分も忙しいというのにわざわざこちらまで来てくれた。前のところといいここといい、どうして他人に何かをしてあげられるのだろう。

 テーブルの所へ向かいスプレーをかけた。テーブルの上には何も置かれていない、あまり大きくはないテーブルを拭くのは簡単だった。

 こぢんまりとした4つある椅子も同様に拭いていく。ここで掃除をしていくごとになんとなく悲しい気持ちが私の中に入ってくる。

 そういえば女性からも悲しいに似た何かが混じっていたなぁ…。

 そのままテレビの方へ向かう。台座にはテレビ以外何も置かれていない。 なるべくきれいになるように隅々だと思う所も拭いていった。

 他に何かと思って周りを見渡しても特に物はなかった。飾りもない、家具も必要最低限の物だけが置かれている。あまりにも質素だった。

 他に部屋はないからここで寝るのだろうが、掛け布団が一枚あるだけだ。一度疑問に思えば次から次へとあちこち見てしまう。

 ベランダにかかっている服も2着くらいしかない。これは押入れにあるのかもしれないと思って周りを見たが何もなかった。台所もそうだ。皿も一人暮らしにしては少ない。

 本当に住んでいるのだろうか。

 なんて怖い考えを消すために窓を拭きにいった。

 窓から離れてスプレーを上からかけていく。浮遊している液がなくなった頃くらいに拭いていった。

 後ろの方で火をつける音が聞こえる。

 近くで見るとほんの少し埃ぽさはあるが、使っているような感じはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ものひろい ゆめのみち @yumenomiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画