第5話

「それじゃあ店はやっておくから、ついでにゆっくりしておいで」

「ええ、あなた頼むわね」

「いってくるわ、お父さん」

 三人はそう言って玄関から出た。なんとなく猫も連れて。二人は首をかしげていたが、私も全くよく分からない。ただなんとなくだ。

 出会った場所の広場まで歩いていく。今日もどこの家も何も売っていなかったが、時間が早すぎるせいだとエイプリルが教えてくれた。

 こうして朝――それも多分だがとても早いうちの朝――に歩くと何もかもが自分から見たら大きい事が分かる。何か、と言えば特定はできない。全てとしか言えない。空気も心なしか澄んでいるようにも思う。心も穏やかになっていくようだ。

 広場を真っ直ぐに過ぎていく。こうして見てみたら、昨日来た馬車がたくさん並んでいたところは広場から近い。家から広場へは見えなかったけど、広場から馬車までは一部が見える。

 朝が早くても馬車はもう既に居るようで綺麗に並んでいる。

 母親が行き先を言って鞄から何かを手渡した。その後に、相手の人間が扉を開けた。

 後ろは乗ったことがないため、二人のを見てから足をかけた。が、やはり初めてなので上手く行かず母親とエイプリルに手伝ってもらった。猫が腕の中で笑っているので少しだけ顔が熱い。

「ゆめみ、いろいろな事が初めてなのね!これから行くところは、お墓なのよ。人が死んだらいろいろな埋葬の仕方があるんだけどね、今回は土に埋める方なの。その埋めた場所にはきちんと名前を書いた石の目印があるから分かりやすいわよ。そこに行ってこのお花を置いたり相手と会話をするの」

「花は分かるけど、死んでいるのに会話?」

「ああ、魔術的なやつじゃなくて、お祈みたいなやつ。一方的に心の中で話しかけるの。だから厳密には会話じゃないんだけどね」

「へえ、そういう事なんだね。一方的かあ、もしかしたら聞いているのかもしれないね」

「旅人も私たちと同じ事を言うのね」

「そういえばその旅人って何??」

「んー、なんて言えばいいのかしらね。私たちが分かっている事はいつの間にか現れて消えているの。あなたのように白い髪に絵の具を落としたような色が乗っているの。昔からいるみたいで、時には不治の病を治したり死んだ者を蘇らせたり失くし物探しから色々あるみたい。それでいつの間にかいなくなってるから旅人って呼ばれているのよ」

「いろいろな事ができるの?」

「そうみたいよ。そして皆共通しているのは自身の記憶がないか曖昧な事。昔から国中でお世話になっているからこの国では見かけたら無料でお返しする事になっているの。とは言っても私は初めて会うから…人間とは違うのかと思っていたわ」

 そう言えば母猫も似た事言っていた気がする。

「いつの間にかいなくなるのかあ…どこに行くんだろう」

「それはまだ解明されてないそうよ。いったいどこに行くんでしょうね。天使のようにどこか一つの場所に帰るのかしら…」

「うーん…」

 そもそも人間なのだろうか。あまり違いが分からないから皆と同じ気がするけども…。試しに頬をつねってみたら痛いだけだった。

 外は見えないからどのくらい経っているか分からない。けどエイプリルと猫と三人で話しているとどうやらいつの間にか着いたらしい。立とうとするとお尻や腰が痛かったので意外と時間が経っていたのかもしれない。

 降りてすぐ目の前にある急な坂道を登っていく。エイプリルが言っていたような場所が左右に区切られながら存在していた。何個かその場所を過ぎいき右側のお墓がたくさんあるところに入る。母親は事前に知っていたのだろう。たくさんあるのに迷わずに真っ直ぐに向かった。

「ここよ」

 と立ち止まったところには、アイリス・ガルシアと書かれている。

 エイプリルは名前の書かれた物の下に花を置き目をつむった。

 私と猫も真似をして心の中で会話をする。

 アイリスの家に残っていたもの、家が話した内容、エイプリルが思い出したこと。最後は本人から聞いているかもしれない。けれど話した。いっきに四人から話しかけられて大変だっただろう。それを思ったらその事についても話していた。

 10分ほど経ってから目を開けると周りも終わったようで同じように目を開けた。

「それじゃあ、もう行くわね。またあなたの好きな花を持ってくるわ…」

 そう言ってエイプリルは歩き出した。その後ろを私たちもついていく。


 広場に戻った時には周りの人たちは忙しそうに動き始めていた。あまりにも忙しいせいか家の中から大きな声があちこちで聞こえる。

 時間もできたしどうしようか、と話し合っていた頃、猫が「ねえ」と話しかけてきた。

「どこか行く前にお家に帰りたい。母猫の元に帰りたい」

「兄弟はいいの?」

「…うん。言わなきゃいけないことがあるから」

「その前にまだリズからって伝えきれてない猫がいるの」

「…その猫はどこにいるか知ってる。この広場でよく会う家族にも伝えた」

「じゃあ、今日はその家族にここから離れるって伝えた方がいいんじゃない?」

「…うん、そうする」

「じゃあ今日、あの馬車の並んでいるところで待っててね」

「うん」

 と言いながら器用に腕からするりと抜け地面に着地した。それはあまりにも流れる水のように綺麗で、再び猫の凄さについて考えさせられた。

 その間にどこの店でお茶をするか決まったらしく、歩くのをもう一度始めた。

 場所はあの、いつか歌ってみたいと言っていた店だった。中に入り好きな席に座る。周りはお爺ちゃんやお婆ちゃんが多い。ゆっくりと一人で自然を楽しみながら飲んだり、友人らしき人と会話をしている。

「ホットジャムジュースを三つで」

 とエイプリルは元気よく頼んだ。相手は驚いていたがすぐ笑顔になり、はい、と言って奥に戻った。

「ホット?」

「うん。温かいの。ここはね、ジャムジュースは朝しか置いてないのよ。これも秘伝レシピみたいで分からないんだけど、ここのジュースを飲むとお腹の調子が良くなるのよね…」

「そうなのよねえ。私も長年研究しているんだけどもね。ここのようにスンとして入って爽やかで控えめな味が出せないのよ。あの独特な風味がどうしても分からなくてね…」

 そういえばよく見れば、周りの人の飲み物は皆ホットジャムジュースだ。初めて飲んだあのジャムジュースとは液体の形のようなものが違う。

「この店って謎が多いね…」

 その言葉に二人は、うんうんと同時に頷いた。

「はい、おまたせしました」

 と言いながら丁寧にコップを置いていく。

 持ち手を持って口に近づける。熱いのが触れていなくてもよく分かる。

 少し離れていても嗅いだ事のない香りがした。たしかに独特だ。ふーふーと息を吹きかけながら少しずつ口の中に含んでいく。熱いが意外と飲めないわけでもなく、かと言っていっきに飲もうとすると熱すぎる。

 味はたしかに全く違う。なんでだろうか。果物以外に入れているのだろうか。全く不思議だ。中には粒粒が残っているわけではない。色はほんのり赤くついているがそれはそれで謎が謎を呼ぶ。

「あ、ねえ、ゆめみ。さっき猫と話して猫がどこかに歩いていったけど、何を話していたの?」

「猫の家族にここを発つ事を伝えるんだって」

「ここを?私の家に居ればいいのに」

「母猫の元に帰りたいみたい。あと伝えたい事もあるって言ってた」

「ふーん…」

 なんだか、エイプリルはじとっとこちらを見ている。

「ゆめみ、もうどこかへ行くの?」

「どこか…?うーん。猫を母猫のところに連れてったら、ちょっと気になるところがあるから、多分?」

「まだもう少しここに居ればいいのに。旅人って初めて出会うからもっと話したかったのに」

「なんとなくだけど、もう行かないといけない気がする」

 本当になんとなく。猫を連れて行った時と同じ、なんとなく。ここに居たくても居られないような。

 エイプリルは可愛らしく頬を膨らませている。それを母親がなだめているがなかなかに抵抗している。

 どうしたらいいのかわからないので、ジュースをまたちょびちょびと飲み始めた。

 そうやって飲んでいると、少しずつだとしてもすぐに飲み終わってしまった。それを見たエイプリルが、そんなに慌てて飲む事ないじゃない、と言った。

「ゆっくり飲んでたつもりだけど、飲んでたらいつの間にかなくなってた」

 と言うとエイプリルは目をまるくした。その後で、うーんやっぱり旅人って私たちとは違うのかしら…などと呟いた。

 まだ二人は飲み終えていないので周りを見て待つことにした。流している歌の事もあって、馬車で疲れた心も爽やかに晴れていく。

 朝って心地いいんだな、と考えていると、すみませんと知らない男性が話しかけてきた。

「あら、店長。どうされましたか?」

 と真っ先に母親が返した。

「いえ、娘さんが声が出るようになったと店員から聞きまして。もしよろしければ、あの時にするはずだったお披露目会しませんか?」

「え!よろしいんですか?場所代が…」

「いえ、この店からのお祝いにどうぞ。もう準備は終えております」

 それだけ言うと店長が奥に戻っていった。エイプリルはきらきらした目で発声練習を小さくしている。

「あの時練習していた歌…賛美歌と、私とアイリスと先生たちで考えたお歌…」

「でも大丈夫?」

「ずっと歌ってたから大丈夫よ。歌詞も忘れた事もないわ」

 たしかに、彼女の歌は最高だった。あんなにたくさんの人の前で歌っていたから大丈夫だろう。

 練習を終えると用意されたという場所へ向かった。

「ええっと…」

 と彼女が言った途端、席に座っている人たちが彼女の事を見た。

「声が戻ったお祝いでこちらで歌わせていただけるようになりました。昔、私の友人と歌おうとしていた歌です」

 ぺこりとお辞儀をすると、パチパチパチと音がした。周りを見ると店員も店長も出てきて手を叩いている。

 ピアノの場所まで歩いて座った。手を上にのせる。

 出会った頃に聞いた天使のような歌声はすぐに皆を引き込んだ。


   ―――   

 歌い終えると、店長が彼女に紙を何枚か見せながら話しかけた。すぐ戻ってくると思ったら違うらしくしばらく話し込んでいる。さすがに心配になった母親が間に入りに行った。さらに盛り上がっているようだ。

 多分今が良い時なのだろう。誰から教わったわけでもないが今だと体が馬車のところに行きたがっている。

 なるべく音を立てずに店の外に出た。

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