32話 奪われたくないだけだ

 話し合いの後、モリドナは工房の空気が合わないからと町の宿へと移っていった。ガロアもそれに合わせたようだ。

 二人の見送りを終えた工房長が再び応接室に戻ってくる。ハヴィクは部屋に帰したので、応接室には僕と彼の二人しかいなかった。

「ガロア殿はフィリエル工房でもやや際立った立ち位置にいる方だ。招来術師しょうらいじゅつしではあるが、実際に招来獣しょうらいじゅうを率いて戦地に赴き指揮を出している」

 君のヒエンコも彼が使うことになった。ソファに座った工房長はそう僕に説明した。

「クルディア領は武芸に秀でた者が多いと評判ではあるが、……あの方はその中でもかなり特殊な人種といえる」

 戦場で、剣を取って戦うような人が招来術師。

 たしかに変わっていると思った。


 見送りの間に淹れてきたお茶をカップに注いで工房長に差し出す。かなり胃が痛そうに見えたので、内臓と頭痛に効くお茶を選んでおいた。

「モリドナ様は? 祭司長と言ってましたが?」

 お茶を一口含んだ工房長は渋い顔をして息を吐いた。

「フェーダの大祭司の候補にもなる、クウェンの九祭祀長。その内の一人だ」

「……そうですか」

 あんな人間が、という言葉を僕はかろうじてのみこんだ。


 帰りの道中、ずっと彼らと一緒だったらしい工房長は心底疲れ切った様子だった。二、三歳くらい老け込んでしまったようにも見える。

「近頃の祭祀長殿は、ガロア殿と共に戦地にまで赴いているらしい。表向きは前線の士気向上のためだが」

「招来獣の戦いを、見せ物として楽しんでいるということですか?」

 あの男が観劇でもするように戦場を眺める姿を想像して、ひどい吐き気を覚えた。僕はそんなことのためにヒエンコを創ったわけじゃない。

「シウル・フィーリス。君の気持ちは分かるが、我々は一介の招来術師でしかないのだ」

「分かっています、工房長様」


 彼らのことなんてどうでもいい。

 大事なのは今後のことだ。


「工房長様、さっそくですが予算の相談をさせてください」

 改まった声で告げると、工房長もわずかに姿勢を正した。

「戦闘用招来獣を三体となると、四精石しせいせきの量も相当だろう。どの程度と見積もる?」

かぜ融和ゆうわを一つ。それから、風精石ふうせいせきを中心に、ヒエンコの三倍程度の量と考えています」

 今回僕が申請するのは、さすがにハヴィクほどではないにしても、一人の招来術師が一回の術で使うにはかなりの規模になる。

 決して失敗は許されない額だ。

 もしも工房長の許す予算が僕の理想を下回るようなら、その時は自費と、給金を前借りしてでも間に合わせるつもりだった。


「……それで、足りるのか?」

 しかし工房長は意外そうに目を見張った。

「人型で、クウェン語を介すことのできる三体の戦闘用招来獣を。本当にそれだけで可能なのか、シウル・フィーリス?」

「これから引く回路図しだいですが、大体の目安は」

 ガロアに提案した時から、具体的な回路図は頭の中に組み立てられていた。以前から構想をまとめていた様式。十分に動かせるはずだ。

「……こんな状況で言うべきことではないだろうが」

 ソファに座る工房長が僕を見て、疲れ切った顔に苦笑を浮かべた。

「君はまさしく、招来術しょうらいじゅつの申し子のようだな」

「工房長様?」

「トフカ語の知識、新たな回路図をひらめく発想、重圧をものともしない果敢さと理想に対する執念。メルイーシャ工房長の椅子は、私よりも君の方が相応しいのかもしれない」

 彼の言葉は冗談でも自虐でもなく、心から感心しているように聞こえた。


 けれど、それは違う。

 僕はただハヴィクを、……これ以上大切な人を奪われたくないだけだ。


 工房長はカップに残っていたお茶を飲み干すと、立ち上がって僕に言った。

「ヒエンコの回路図を公開したことでフィリエル工房から君に恩賞おんしょうが出ている。あえて創りやすさを考慮した君の意図を理解してもらえたようで、高く評価されていた」

「そう、ですか」

「それとメルイーシャ工房からの予算を合わせれば、君の言った四精石はおおむね用意できるだろう」

 ヒエンコを戦場に売って、また新しい招来獣を戦場に出すためのお金にする。

 嫌な気持ちになったけれど、予算が足りなくなるよりはましだった。

「では設計図と回路図が完成したら、すぐに工房長様にお持ちします」

 ガロアに約束した期日は一年しかない。

 過ぎる一日、一瞬だって無駄にはできなかった。

「君を守ってやれずに済まなかった。心から、君の招来術の成功を祈っている」

「ありがとうございます、工房長様」

 僕は少しだけ笑うと、工房長に礼を取って応接室を出た。


「……っと?」

「あ、せ、先輩……」


 廊下に出てすぐに、僕はエミリオとはち合わせた。

 見たかんじ微妙に慌ててるし、どうやら偶然ではないらしい。

「こんなところで何してるの、エミリオ?」

 扉を閉めきってから問いかけると、エミリオは視線を泳がせながらまごまごと答えた。

「あ、えっと。さっき先輩がものすごい顔でお茶をいれてるのを見かけたので、それで……」

「もしかして、盗み聞きしてたの?」

「け、結果的にはそんなかんじに。……すみませんでした!」

 エミリオが深く頭を下げるのを見て、僕は軽く息を吐いた。

「まあ、聞いちゃったなら仕方ないし」

 なんだかんだ言って、僕は懐いてくれたこの後輩にはかなり甘かったりする。

「工房長には内緒にしておくからさ。君も今の話、他の人には話しちゃだめだよ」

 それだけ言ってエミリオとすれ違う。

 背の伸び悩んでる僕と違って、エミリオは成長期の真っ最中らしい。身長はすでに彼の方が少し高かった。……別に悔しくはないけど複雑な気持ちだ。


 廊下を少し進んだところで、エミリオが僕を呼び止めた。

「先輩っ!」

 振り返ると、濃い青色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。

「どうして先輩は、招来術をがんばるんですか?」

「ええ?」

 僕はきょとんとした。

「また変なタイミングで変なことを聞くねえ。それ、けっこう真面目に聞いてる?」

「はい、けっこう真面目です」


 僕はため息を吐くと、廊下の真ん中で少し考える。

 招来術を頑張ったのは、はじめはあの人に褒めてもらうためだった。

 それから、僕を助けてくれた色んな人たちの期待に応えるため。

 そして今は、ハヴィクのためだ。

 それらをどう言葉にすべきかは、少し難しい。

「……招来術は」

 しばらくして、僕はエミリオに言った。


「招来術は僕の運命で、人生だから。大切な人との絆で、とても大事な宝物だからだよ」


 エミリオはぽかんとしていた。

 真面目に考えて答えただけに、そんな顔をされると何だか気恥ずかしい気分になってくる。

「も、もういいよね。僕、部屋に戻るから」

「あ、はい。ありがとうございました!」

 遠くからエミリオの声が聞こえる。僕は足早に廊下を歩きながら、何だかなあと首をひねった。

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