30話 来訪者

 そんなことを考えてしまったせいだろうか。

 僕の元に、とても嫌な客人がやってきてしまったのは。


「……シウル・フィーリス。私と共に応接室に来てほしい」

 フィリエル領から帰ってきたばかりの工房長にそう言われた時、嫌な予感はしていた。彼が僕だけでなく、ハヴィクも一緒に連れてくるようにと言ったからだ。


「失礼致します」

 工房長に連れられて応接室に入ると、正面に備えられているソファの右手側にフェーダの祭祀服を着た男が座っていた。その横には、金の記章をつけた壮年の男が控えるように立っている。

 僕の隣に立つ工房長が客人の名前を告げる。

「シウル・フィーリス。こちらは聖都クウェンティスで祭司長をしておられる、モリドナ・マジャ・イル・アッシェドラート様だ」

 どうしてこんな所にそんな方が?

 工房長の紹介にやや戸惑いながらも、僕は姿勢を正して礼を取った。

「お初にお目にかかります。メルイーシャ工房の術師、シウル・フィーリス・イル・メルイーシャです」

 モリドナはソファから立ち上がることもなく、うろんな目をして僕のことを見てきた。

「なんと、まだ子どもではないか」

 鼻白んだ僕に、工房長は淡々と言葉を続ける。

「そして隣は、フィリエル工房の招来術師しょうらいじゅつし、ガロア・ユート・イル・クルディア殿だ」

 モリドナとは違い、ソファの横に立つガロアは僕にぴたりと視線を合わせて丁寧な挨拶をしてきた。


「初めまして、シウル・フィーリス」


 低く硬質なその声音を聞いた時、僕の体にぴりりとした緊張が走った。

 黒目黒髪の痩せた体、身長だってそこまで高い方じゃない。それなのに彼は、この部屋で一番鋭く冷たい威圧感を持っていた。モリドナではなく、このガロアという人の方が注意しなければならない存在なのだと僕は一瞬で理解した。

「君がヒエンコを創った招来術師しょうらいじゅつしで間違いないな?」

「はい、その通りです」

 ガロアの質問に僕は慎重に頷く。

 ソファに腰を沈めたモリドナはそんな僕を無遠慮に眺めまわしていた。

「信じられんな、本当にこんな子どもがあの招来獣しょうらいじゅうを創ったのか?」

 僕はそっとモリドナに視線を向ける。

 金色の髪に、肥え太った顔に埋まるような紫の瞳。僕を子どもと見下すその表情は、今まで持っていた敬虔けいけんなフェーダの司祭というイメージとは大きくかけ離れていた。


「彼の才能は、この工房でも屈指のものです。歳の問題など些細なことかと」

 隣に立ったままの工房長が静かな声で言う。

 僕だけでなく、このメルイーシャの工房長であっても着席を許されない。それはそのまま、彼らとの力の差を表していた。


「それにしても若い」

 ガロアが小さく笑って肩をすくめた。

「なるほど、これならメルイーシャ工房長がわざわざ代理で訪れた理由も納得できる。……君が連れてきたそれも、招来獣だと聞いているが?」

 僕はちらりと右手側を見る。

 一緒に連れて来られたハヴィクは不思議そうな面持ちで僕を見下ろした。

「はい。ハヴィクといいます」

「言葉は通じるのか?」

 僕は頷いてハヴィクを見上げる。視線を察すると、ハヴィクは淡々とした声で客人二人に言った。


「ハヴィク・ラウエル。あるじ、シウル・フィーリスの招来獣なのだ」

 ガロアが黒い目を瞬かせる。心底感心した面持ちでハヴィクを見つめながら言った。

「人型の招来獣と称されるものはいくつか見てきたが、まさかこれほどのものが完成していたとはな」

「いやいやガロア殿、いくら何でもこれは冗談だろう?」

 モリドナが呆れたように声を上げて僕をにらんだ。

「信じられん。おい子ども、それが招来獣だというなら何か証拠を見せてみろ」

 どうして、こんな場所に連れてこられた上にこんな失礼な言葉をかけられなきゃならないんだろう。僕はため息を押し殺すと右腕を伸ばしてハヴィクに声をかけた。

「ハヴィク、第二形態。腕にとまって」


 すぐに耳元近くで重い羽音が響く。伸ばした僕の右腕に、ばさりと翼をたたみながら白い鴉が止まった。

「なな……っ!」

「これでよろしいでしょうか、モリドナさま?」

 目と口をぽかんと開けたモリドナに、無礼にならないように気をつけながら言う。

 隣で見ていたガロアも軽く目を見張っていたが、すぐにぎらりとした視線をハヴィクに向けてきた。

「素晴らしいな」

 そう言ったガロアの顔を見た瞬間、背筋にぞくりと悪寒が走った。

「完璧な人型、クウェン語を操る能力、そしてその形態変化けいたいへんか。一つでも実現させるのが困難な回路設定を、君の招来獣しょうらいじゅうは全て備えているのか」

 彼にハヴィクを見せるべきじゃなかった。次に放たれたガロアの言葉を聞いて僕はそう強く後悔した。


「シウル・フィーリス。我々はその招来獣をもらい受けたい」


「それ、は」

 思わず上ずった声が出た。

「ハヴィクを、ヒエンコのように、戦場で使うということですか?」

「一概にそうとは言わんが。その可能性も否定できんな」

 ガロアは薄い笑みを浮かべたまま肩をすくめた。

 僕はとっさに声を上げる。

「そんな、そんなの許可できません!」

「ほう、駆け出しの術師が我々の要請に異を唱えると?」

 直立不動だったガロアがゆらりと動いて僕に近づいた。その鋭い視線に怯んで体がこわばる。

「それは君にとっても、この工房にとっても、得策とは言い難い判断ではないか?」


 ガロアの視線が工房長に向く。

 工房長は何も言わない。

 違う、言えないのだ。

 彼の立場はガロアよりも下で、本意はどうあれ真っ向から異議は唱えられないようだった。

 じゃあ、どうしたらいい?

「が、ガロアさま」

 彼の発する気配にすくみながらも、僕は口を開く。

「ハヴィクは、ヒエンコのような戦闘能力を備えてはいません。戦地で役に立つとは、その」

「判断するのは我々だ、シウル・フィーリス」

 ガロアの声がぴしゃりと僕を遮った。

「その飛行形態とクウェン語があれば斥候せっこうは十分務まる。戦闘能力がないのは惜しいが、遊撃や撹乱、使い道などいくらでもある」

「ぅ……」

「それでもなお、我々の要請を蹴ってメルイーシャ工房に泥を塗るつもりか、シウル・フィーリス・イル・メルイーシャ?」

 彼の言葉が、冷たい刃物のように僕の首筋にぴたりと当てられる。

 どうにかして彼の言葉をひるがえさせなければならないのに。その視線に怯んでしまって、舌も、頭も、上手く回らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る