29話 蛍星の花に誓う

 ヒエンコは初夏の頃に完成した。

 構想から、実際に創り上げるまで半年。かなり早いペースだったけれど、ハヴィクの時に比べれば設定も単純な部分が多かったので、特に大変だという実感はなかった。


 大きな体に、黄金に黒いしまの入った毛皮。その背中には猛々たけだけしい猛禽もうきんの翼が生えている。核に使った火精石かせいせきの影響で、瞳の色は深い赤色になった。


 僕は研究棟の中庭で、工房長と、希望する何人かの工房生たちにヒエンコのお披露目をした。

 攻撃命令を出していない状態のヒエンコは大人しく、おそるおそる手を触れた工房生たちに上機嫌に頭を寄せていた。

 工房生たちが去った後、僕は工房長にいくつかの品を手渡した。

「工房長さま。これが命令用の笛と、ヒエンコの設計図、回路図になります」

 ヒエンコを創った際、僕は一緒に核の四精石しせいせきを混ぜた笛を二つ作っていた。

 戦場なんて想像がつかないけれど、ヒエンコが味方を傷つけるようなことがあってはいけない。万一に備えて、その笛を持つ人の指示に従うようにという設定をヒエンコに付けておいた。

「笛の一つは予備です。奪われる心配があるのなら、そちらは安全圏で持つように伝えてください」

「たしかに受け取った。君の代わりにしっかりとフィリエル工房に伝えよう」


 フィリエル招来術工房には本当ならヒエンコを創った僕自身が届けに行って説明を行うべきだった。

 けれど僕の年齢や体調などを考慮して、今回は工房長がその役目を請け負ってくれることになったのだった。

「できるだけ、長生きするんだよ」

 僕はヒエンコの毛皮に抱きついて小さな声で囁いた。


 工房長とヒエンコがメルイーシャの工房を出発すると、僕は妙に気が抜けてしまった。読書も、新しい研究も、何となく手が付かなかった。


「お出かけしよう、ハヴィー」


 ある晴れた日、朝食をすませた僕はハヴィクを連れて工房を出た。

 まず町外れの孤児院に行って寄付をする。

 義父上が生前よくそういうことをしていたのだとハルビオから聞いていて、少し前から僕も真似をするようになった。

 一緒に来た背の高いハヴィクに子どもたちが怖がったのも一瞬のことで、すぐに彼らは遠慮なく彼によじ登って遊び始めた。困った顔で僕を見てくるハヴィクがちょっとだけ面白くて微笑ましかった。

「じゃあ、僕たちそろそろ帰るね」

「また来るー?」

「うん、また来るよ」

 お昼時になったので、僕たちは手を振って子どもたちと別れた。

「ねえ、町の外まで行こうか」

「体調は大丈夫なのだ?」

「今日はけっこう平気。少し遠くに行きたいんだ」


 町を出て人の目がなくなると、僕は第三形態になったハヴィクに乗って初夏の風を切る感触を楽しんだ。

 ハヴィクが駆ける先は、緑が一面に広がる野原だった。

 青空の下、春の花と夏草が混ざり合い、風に揺れながら咲いている。少し上った丘の先には一本だけ背の高い木が生えていた。

 汗ばむ体で木陰に入り、用意してきた蜂蜜を塗ったパンを食べる。小鳥のさえずる声がどこかから遠巻きに聞こえていた。


「……平和だねえ、眠くなっちゃう」

 言って、僕は少しだけ自嘲じちょう気味ぎみに笑った。


 創ったばかりのヒエンコを戦場に送り出しておいて、呑気に遊んでいるなんて。それは僕の中で僕が響かせる批判だ。最近、何をするにもやる気が起きない原因は、たぶんそれなんだと思う。

『外で眠るのは体に良くないのだ。それに、いま寝ると夜に眠れなくなるのだ』

 僕に抱きつかれながら、第三形態のハヴィクが小言を言った。

 第三形態の白山羊しろやぎの姿はなめらかで温かな毛皮と、格好良い大きな巻き角という僕のお気に入りの姿だった。

「はぁい。君、最近ちょっとだけ口うるさくなったよねえ」

 苦笑しながら体を起こすと、木陰の向こうに薄青色の花が空を仰ぐように咲いているのが見えた。


「見てハヴィク、蛍露草ほたるつゆくさだよ」

 言って花に近づく。見ればその一帯には蛍露草がたくさん咲いていた。

 僕がしゃがみ込んで花を摘み始めると、人の姿に戻ったハヴィクも側に来て僕の手元をのぞき込んだ。

「この花が蛍露草なのだ?」

「うん。この花はね、僕と君にとっていわれのある花なんだよ」


 蛍星けいせいの花、──蛍露草はシウルとラエルの神話に登場する花だ。

 弟星ラエルの機転によって、ひとり天上の世界へと戻った兄星シウル。

 彼が弟を、大切な半身を喪った悲しみに嘆いていた時。見下ろした大地の一面に蛍露草が咲いて、その香りを天に伝えるのだ。

 それは、ラエルとアルアーラの仔である星の花。

 天上と地上に隔てられて二度と会うことは叶わなくても、朝も夜も天に向かって咲くこの花が二人のきょうだいの絆なのだと物語は伝えている。


 まあ実際は、農家の人たちに雑草扱いされてる花なんだけど。なんて、やや夢のないことを思いながら僕は手の中の蛍露草を編みはじめた。

「何をしているのだ?」

「んー、ほら、義父上ちちうえのお墓参りの時に花輪を作ってもらったじゃない。あれの真似をしてるんだけど……」

 たぶん、手順はこれで合っているはず。僕は見て覚える作業はけっこう得意だった。

「これを繋げて、……ほらできた、花冠。僕ってすごい、才能ある!」

「それで、これをどうするのだ?」

 不思議そうな顔をするハヴィクにくすりと笑いかける。僕は立ち上がると、できたばかりの花冠を彼の頭の上にそっとのせた。


「まだちょっとだけ早いけど。お誕生日おめでとう、ハヴィク」


 この一年間、色々あったし、たくさん悩んだけど。

 やっぱり僕は、君を創って良かった。

 この気持ちは偽りのない僕の本心だったし、そう思えるようになったことが本当に嬉しかった。

 緑の目をぱちりと瞬かせたハヴィクに、僕は笑いながら言った。

「これからもずっと僕のそばにいてね、ハヴィク」

 少しの間黙り込んでいたハヴィクは、やがて小さく頷いた。

「……無論なのだ」

 その表情を見た僕は少し驚く。


「君のそばにいる。君を助け、君の役に立つのが私の存在する意義なのだ」


 ハヴィクの顔に浮かぶのは、とても穏やかな笑顔だった。

 ぎこちなく笑うあの人とは違う、初めて見るハヴィクだけの笑顔。

 それは僕の胸をぎゅっと締めつけた。

 ヒエンコのことも、胸の中で響く批判の声も、僕の意識から抜け落ちてゆく。


 この笑顔が守れるなら、僕は何だってする。

 彼のためなら何を敵に回しても良い。たとえこの身を泥で汚しても、この手を血で染めようとも構わない。


 その瞬間、僕はそう思ってしまった。

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