間話 新しい関係:エミリオ
話は少しだけさかのぼる。
ハルビオがメルイーシャの
それに気づいたのは、ハルビオのいなくなった翌日のことだった。
「……ご飯、どうしよう?」
毎日僕の部屋に食事を用意してくれていたのはハルビオだった。けれど、彼はいつ戻ってくるのかも分からない。
いつものハルビオなら代わりの人を用意したり、何か案を残してくれていたはずだけれど。義父上のことを聞いて、きっと彼も冷静ではいられなかったのだろう。
空腹を抱えた僕の頭の中には、三つの選択肢があった。
まず、一つ目。
外食をする。
金の花を咲かせた僕には時間を問わず工房から外出できる権利があった。それで毎日町へ行って食事をするのだ。
けれどこの案は早々に却下になった。
工房長からできるだけ外に出ることは控えるように言われていたし、そもそもハルビオがいつ戻って来るかも分からないのに毎日三食を町で食べるなんて無理がありすぎた。
じゃあ、二つ目。
誰かに頼む。
聞いた話だと、金の花の先生方の中には、見習いの工房生に食事を運んでもらって部屋で食べる人も多いそうだ。先生のところに食事を持っていく当番、というものがあるらしい。
それを僕にも適用してもらえばいい。
名案のように感じたが、僕はすぐにため息を吐いた。
だって、僕がご飯を食べたいのは今、この瞬間なのだ。
工房長に相談して、許可をもらって、当番の工房生を手配してもらって。……たぶん、どんなに早くても今日の夕食まではかかる。そんなには待てなかった。
「……となると、もうこれしかないよね」
僕はハヴィクを部屋に残して、居住棟の一階にある食堂へと足を運んだのだった。
三つ目の選択肢。
他の工房生たちと一緒に食堂でご飯を食べる。
工房で生活してる人なら当然のような手段だ。でも、これは、僕にとっては一番勇気のいる選択だった。
「な、あれ……」
「シウル・フィーリスじゃん」
「あんな所でなにしてんだろ?」
食堂の前に立つ僕を見て、工房生たちが
メルイーシャの工房に入ってかれこれ八年。
その間、僕は一度も食堂に入ったことがなかった。当然、食堂の仕組みも、どうすれば食事が取れるのかも分からない。
かといって、その辺りの工房生に声をかけるのはためらわれた。今さら、食堂の使い方も分からずおたおたする姿をさらすのは恥ずかしかったのだ。
お腹はすごく空いてるのに。
良い匂いはすぐ近くから漂ってくるのに。
僕は食堂へと入る一歩をどうしても踏み出せずにいた。
「あれ、シウル先輩?」
「え?」
振り向くと、つぼみの記章をつけた金の髪の少年が僕を見ていた。
エミリオはにこりと笑って挨拶してきた。
「おはようございます。今日は食堂でごはんなんですか?」
「えっと、うん。そうしたいなって思ったんだけど」
僕が頷くとエミリオは青い目を輝かせた。
「じゃあ、良かったらぼくと一緒に食べませんか?」
「え、いいの?」
僕は内心深くエミリオに感謝した。
助かった、これでご飯が食べられる!
「ありがと、エミリオ。一緒に食べよう」
「わあ、うれしいです!」
「あとさ、どうやってご飯を取ればいいのか僕に教えてくれない?」
「いいですよ。まずですね、こっちに並びます!」
その日は偶然出会ったエミリオのおかげで、何とか朝食を口にすることができたのだった。
食堂の席に着くと、他の工房生たちの視線をひしひしと感じた。
僕は食事をしながら、今朝食堂に来ることになった理由をエミリオにかいつまんで説明する。
「……じゃあ先輩は、そのハルビオさんが帰ってくるまでは食堂でごはんを食べるんですか?」
隣の席でパンをちぎっていたエミリオが僕に尋ねてくる。……というか工房生の子たちってみんな、朝からこんなにたくさん食べるんだ。ちょっとびっくりした。
「でも、ハルだっていつまでも僕のところにいてくれるわけじゃないと思うからさ。僕もいずれ部屋に食事を届けてもらおうかなって」
ふうん、とパンを飲みこんだエミリオは、ふと良いことを思いついたように言った。
「それなら、ぼくが先輩のところへごはんを運びますよ!」
「え?」
ぽかんとした僕に、エミリオはにこにことした笑顔を見せる。
「さすがに三食ぜんぶは無理かもですけど。他の人たちと当番を代わってもらえば朝と夜くらいなら毎日届けられると思います」
「でも、だって、そんなの君が大変でしょ?」
「大丈夫ですよ。蔵書室に行かなくても毎日先輩と会ってお話ができるなんて嬉しいです!」
この工房内で、こんなにも誰かに懐かれたことなんてなかった。
戸惑ったけれど、僕はこの新しい関係が少しだけくすぐったく、そして嬉しく思ってしまったのだった。
「ありがと、エミリオ。そうしたら今日、工房長さまに相談してみるよ」
そうお礼を言った後、僕はずっと気になっていたことをエミリオに告げた。
「でもねえ、エミリオ。その先輩って呼ばれるのは恥ずかしいっていうか、ちょっと……」
「嫌でしたか?」
エミリオは目を丸くした。
「やっぱり金の花の
「え」
「それならぼく、今度からはシウル先生って呼びますね!」
「えっと、はい。先輩のままでいいです」
何となく、本当に何となくだけど。
僕はエミリオにほんの少しだけ、義父上に似た自由な人間の気配を感じたのだった。
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