27話 これからは、僕が

 ハルビオとお別れを交わしてひと月ほど経った快晴の日、僕はハヴィクを連れてメルイーシャ北部にある教会を訪れた。

 秋は深まり、外は日に日に寒さを増してゆく。

 僕は紺色の制服の上から羊毛で織られた上着を羽織り、襟元に金の花の記章をつけて一つの墓標の前に立った。

 白い花で編まれた花輪を墓前へ供え、小さく祈りの言葉を捧げる。その後で、僕は墓標に刻まれた文字を静かに眺めた。



『 天上だろうと奈落だろうと構わない

   僕を退屈させないでくれるなら  』



 僕は小さく笑った。

 あの人らしい言葉だと思った。

「……豪商ルアナの財産は没収、その大半はメルイーシャの家に流れたそうですね」

 墓標に小さく呟く。

 メルイーシャ家の四男、ロアン・シャリエフに毒を盛った人物はすぐに特定された。本人は否定していたそうだけど、いくつもの証拠や証言が出てきて言い逃れできる状況ではなくなったらしい。


「全部、あなたの仕込み通りですか、義父上ちちうえ?」


 返答なんてない。それでも僕は確信していた。

 義父上はたぶん、証拠も証人も抜かりなく用意していたのだ。偽造に近いものもあったのではないだろうか。そうでなければ、ルアナ家がひと月足らずで取り潰される事態にはならない。

 そうして、何が起こるかを全て知りながら、彼は自ら毒を飲み下したのだ。

 面白そうだという、ただそれだけの理由で。


 もし、僕がまだ金の花を咲かせていなければ。招来術師しょうらいじゅつしになっていなければ。義父上は生きていたのだろうか。ふとそんなことを考えてしまった。

 でも、仕方のないことだ。遅かれ早かれ僕は招来術師になっていたし、彼もそんな僕を面白いと言ってくれたのだから。


「……あるじ


 声をかけられて、後ろで待っていたハヴィクを振り返った。

 ハヴィクの着ている服は、お洒落だった義父上の室内着を少しだけ参考にしていた。工房の中では気づかなかったけれど、今の季節には少し薄すぎるように見える。

 ハヴィクは寒さなんか気にしないだろうけど、上着を買ってあげたいなと思った。

「ごめんね、ハヴィク。退屈だった?」

 ハヴィクは首を横に振ると、僕の後ろに視線をやった。

「それは、一体何なのだ?」

「これはね、お墓だよ」

「お墓、なのだ?」

「えっとねぇ……」

 よく分かってない顔のハヴィクに何て説明しようかと考える。

 ところどころ真っ白なハヴィクに何かを教えることは難しくて、けれどとても楽しいことでもあった。彼のちょっと間の抜けた語尾は回路図か詠唱文の設定のほころびから生まれたミスのようで、言って直すことは可能だったけれど、なんとなく可愛いのでそのままにしておいた。


「人間はね、死んだらこうして地面に埋めて、その人が生きていたんだよっていう証を立てるの」

「証、なのだ?」

「うん。それでね、その人を覚えてる人たちが、こうやってお花を供えてお祈りしたりするの」

 ハヴィクは少しの沈黙の後で頷いた。

「では、これは誰の墓なのだ?」

「うーん、……君のおじいちゃんのお墓、かな?」

 ハヴィクが緑色の目をきょとんと見開いたので、僕はくすりと笑って教えてあげた。

「君にはね、おじいちゃんが三人いるんだよ」

 緩やかな風が花輪の白い花弁を揺らす。暖かい上着に手を触れながら僕はそっと目を閉じた。

「一番目のおじいちゃんはずっと前に死んじゃった。ここに眠っているのは二番目のおじいちゃん。ちなみに、三番目のおじいちゃんはハルビオだからね」


 あの人と、義父上と、ハルビオ。

 みんな、それぞれ違う優しさを僕にくれた。その誰が欠けても僕は今ここにいなかったし、ハヴィクを創ることも絶対にできなかった。

 みんな、僕のとても大切な人たちだ。


「君の見た目はね、一番目のおじいちゃんに似てるんだよ」

 僕はそうハヴィクに教えてあげる。

「性格も一番目と、少しだけハルにも似てるかもね」

「では、二番目と似ているところは?」

「えっ?」

 ハヴィクに聞かれて僕は少し困ってしまった。

「義父上と似てるところは、……特にないかな」

「それはおかしいのだ」

「ええ?」

「一番目と三番目にあるなら、二番目にもきっとあるのだ」

 僕は頭を抱えた。

 ハヴィクの姿や性格に義父上が入ってることはないし、あったらちょっと嫌だった。


 枯れ葉色の瞳を輝かせて、からからと笑う義父上の姿が頭に思い浮かぶ。彼は時おり、欲しい言葉や必要なものを驚くくらい簡単に僕に与えてくれた。

「……じゃあ、行動が何となく誰かの役に立つところ。似てるっていうより、似てほしいところだけど」

「どういうことなのだ?」

 僕は苦笑しながらハヴィクに言った。

「本人はさ、やりたいことをやってただけだと思うんだ。それが何故か誰かの助けになって、何故か誰かから感謝されちゃうような。そんなお得な性格になってくれればいいなって」

 ハヴィクはよく分からなそうな顔で首をかしげていた。僕は一つ息を吐くと、改めて義父上の墓標に向き直った。

「でも、二人きりになっちゃったね」

 つい、抑えきれない不安が口からこぼれてしまう。

「みんな、いなくなっちゃった。これから僕たち、二人だけで大丈夫かな?」

 僕のことを助けて、守って、支えてくれた人たちはもう側にいない。

 そう思うと、少しだけ秋の空気が冷たくて心細く感じた。

「問題ないのだ」

 だからハヴィクが迷う素振りもなく断言した時、僕は驚いてしまった。

「どうして、ハヴィク?」

「私には、初めから君しかいないのだ」

 緑色の瞳が、真っ直ぐに僕を向く。

「私の役目は何も変わらないのだ。これからも、この先も」


 ハヴィクの言葉は少しだけ鋭く僕に刺さった。

 今まで僕の側には、決して多くはなかったけれど、守ってくれる人たちがいた。それはとても恵まれたことだと理解はしていたけれど。

 ハヴィクには僕しかいないのだ。


 そう思った時、僕は急にハヴィクと繋がるものが必要だと感じた。

「……ね、ハヴィク。君に名前をあげる」

 僕の提案にハヴィクは首をかしげた。

「もう持っているのだ」

「いいからいいから」

 言って僕は空を仰ぐ。ハヴィク、……ラエルだとちょっと語感が良くない気がする。

 僕は少し考えた後で彼に言った。


「君の長い名前は、ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ」


 ハヴィクは、大切なあの人の名前。

 ラウエルは、弟星ラエルからとった名前。

 そしてメルイーシャは、義父上が僕にくれた家族の名前だ。


「いつもはハヴィクで良いけど、この名前、絶対に忘れないでね」

 ハヴィクは不思議そうな顔をしながら頷いていた。

「分かったのだ」

「じゃあ、寒くなってきたし帰ろうか」

 秋空の下、教会の片隅で、僕はハヴィクと手を繋いだ。

 これからは、僕が君のことを守ってゆく。

 僕たちは招来術師しょうらいじゅつし招来獣しょうらいじゅうだけど、それ以上に、世界でたった二人きりの家族なのだから。

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