26話 もう一つの別れ

 工房長の言葉に従い、僕はしばらく工房の敷地の中で静かに過ごした。

 それでも義父上の一件は大きな話題になっていたようで、工房の中でも噂は広がっていたし、僕のことを遠巻きに見る視線は途切れなかった。義父上の葬儀はどうやら、養子の僕が足を運べるような雰囲気ではなかったらしい。


「長く戻れず、申し訳ございませんでした」

 久々に部屋の扉を叩いたハルビオは、使用人の服を着ていなかった。

 髪を下ろし、厚手の上着を着て、大きな鞄を床に置いたハルビオの姿。それを見て、彼が去ってしまうのだと知った。

「ロアン様の一件は収束致しました。……詳細を、ご説明致しますか?」

「ううん、いらない」

 工房で聞こえる噂話で、何となくのことは分かった。今さら詳しく聞きたい話じゃないし、残された時間は、彼ともっと別のことを話したかった。


「シウル様におかれましては、今まで通りこの工房で生活されますように、とお言葉を頂いて参りました」

「メルイーシャ姓は、このままで良いの?」

「ロアン様の生前からの強いご要望でしたので。とはいっても本邸に近づくことは禁ずる、援助えんじょ等は期待せぬようにと」

 僕は小さく頷いてハルビオを見上げた。

「僕が功績を残せばメルイーシャの手柄になるし、上手くいかなくても責任は取らないよ、ってことだね」

「左様でございます」

「……ハルは、行っちゃうんだね」

「はい」

 ハルビオは青灰色の瞳を逸らすことなく僕に言った。

「ロアン様との契約は、あの方が生きている限り、とのことでしたので。私の役目はここまででございます」

「……そう」

 予想はできていても、元々その予定でも、彼と別れるのはやっぱり寂しくて胸が痛くなった。

 だってハルビオは、誰よりも長い間、僕の近くにいて面倒を見てくれた人だったから。


 彼が何か言う前に、僕は小さな笑顔を作ってハルビオに向けた。

「大丈夫だよ、ハル」

 真面目で優しい彼に不安を残したまま去ってほしくない。だから僕は明るい声で言った。

「僕のことは大丈夫。本当はね、体調だってけっこう大丈夫だったんだ。ハルが優しくしてくれたから、ちょっと甘えすぎちゃっただけ」

 そんな強がり、ずっと側にいた彼にはお見通しだろう。それでもハルビオはほんの少しだけ目元をやわらげて、軽く僕を抱きしめてくれた。


「貴方様は昔から、他人に甘えるのが苦手な方でしたね」

「そう、かな?」

「ええ。本音を言えば、私はもう少しだけ貴方様を甘やかして差し上げたかったのですよ」

「……あはっ」

 彼にそんなことを言ってもらえるなんて、僕は十分過ぎるくらいに幸せ者だと思った。


「大丈夫。僕にはもう、ハヴィクがいるから」

 僕は一歩下がると、部屋の中にいたハヴィクを示した。第一形態の、人の姿をしたハヴィクを見せるのはこれが初めてだった。

 ハルビオが軽く目を見張る。まじまじとハヴィクの姿を眺めると、やがて小さく微笑んで僕を見下ろした。

「左様でございましたか」

「うん、だから心配しないで」

 頷いたハルビオは、ハヴィクに向かって丁寧なお辞儀をした。

「どうか、シウル様をお願い致します」

 声をかけられたハヴィクは軽く首をかしげると真顔でハルビオに言った。

「……君に言われるまでもないのだが、心得たのだ」

「ちょちょ、ちょっとハヴィク?」

 僕はハヴィクの側に寄るとその袖を強く引っ張った。

「君ねえ、どうしてそんな上から目線なの。せっかくの最後のあいさつなのに!」

 文句を言っても、ハヴィクは涼しい顔をしている。


 後々よく考えてみたら、この時のハヴィクはちょっとだけハルビオに嫉妬していたのかもしれなかった。

 ハヴィクが創られてからの間、体調を崩していた僕はハルビオに看病されていた。鴉の姿でそれを見ていたハヴィクはずっと、自分の役目を横取りされてるような気分だったのだろう。

 ハルビオはもしかしたら、そんなハヴィクの態度に気づいていたのかもしれない。

 いや、きっと気づいていたはずだ。

 だって彼は、本当に安心したような顔で僕たち二人のことを眺めていたのだから。


「……元気でね、ハルビオ。今までありがとう」

「シウル様も、どうぞお達者で。ご多幸をお祈り申し上げます」

 ハルビオが深く一礼する。彼を見送りかけた僕は、ふと一つ、大切なことを聞きそびれていたことに気がついた。

 僕は鞄を抱え上げたハルビオに声をかける。


「ねえ、ハル。義父上ちちうえのお墓の場所、どこにあるか聞いてもいい?」

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