25話 君のために存在している
部屋の中は、傾きはじめた日の色でほんの少し赤味を帯びていた。
ハヴィクは僕をベッドに下ろすと、いつものように鴉の姿に戻ろうとする。僕はとっさに彼の服の裾を掴んだ。
緑色の瞳が僕を見下ろす。
「……い、かないで」
困ったように首をかしげる無表情はどこか、あの人が浮かべていたものに似ていて。
口をついた言葉を止めることができなかった。
「そ、側にいて、僕のこと、その……抱きしめてくれない?」
ハヴィクはベッドの前に膝をつくと、言われたとおりに僕に両腕を回した。加減の分からないハヴィクの
「……ぁ、ぅ、もう少しゆるく。……そう、それで、背中をなでていて」
ハヴィクの肩に額を押しつける。優しく背中をなでる手と温かな温度に、抑えていたものがあふれそうになった。
また、大切にしてくれた人を喪ってしまった。
アイラのせいで。
どうして、僕に優しくしてくれる人をいつも奪ってゆくのは、よりによってあの女なのだろう。もう顔も忘れかけた彼女に暗い暗い憎しみを覚える。
けれど、同時に感じたのは、もし僕がいなければという深い後悔だった。
僕がアイラのお腹に宿らなければ、あの人が彼女の結婚相手に選ばれることはなかった。屋敷にたびたび戻るようになったのは僕にトフカ語や
それにあの人が無事なら、今回の義父上のことだって起こらなかった。彼はアイラではなく、別の面白いものを見つけていたはずだ。
全部僕のせいじゃないか。
僕が好きになった人、僕に優しくしてくれた人はみんな、僕がいるせいで不幸になる。
それが辛くて、悲しくて、認めたくなくて。けれどどうしようもない事実で。心の中はインクをこぼしたように黒い染みが広がった。
「…っ、うぅ……っ!」
それを拭ってくれたのは、そっと背中をなでてくれるハヴィクの手だった。
ハヴィクは僕が落ち着きを取り戻すまで、何も言わずに僕のことを抱えてくれていた。懐かしさを感じる大きな手の感触は、僕の憎しみや悲しみを、少しずつ溶かしてゆく。
最後に僕の心に残ったのは、死んでしまった人はもう何をしようと戻ってはこないのだという、この七年間で痛いほどに知った諦め。そして僕が後悔したところで、あの人も義父上も喜びはしないのだろうというどこか冷めた思考だけだった。
そこに行き着くまでに、ずいぶんと時間がかかってしまったようだった。ふと顔を上げれば窓の外は真っ暗になっていた。
「……もう、大丈夫。ありがと、ハヴィク」
掠れた声で言うと、ハヴィクはゆっくりと僕から手を離した。
「灯りを点けるのだ?」
「え、うん、そうだね……」
「私が点ける、君はそこにいるのだ」
僕は少しだけ戸惑った。
あの日からハヴィクとはほぼ口をきいていなかったけれど、こんな話し方だったっけ?
ハヴィクは暗い部屋を平然と歩くと、机の上にあるランプに灯を入れた。やり方を教えたことはなかったはずだけど、たぶん僕やハルビオを見て覚えたのだろう。
「これで良いのだ?」
「あ、ありがと」
「他に、私に何かできることは?」
え、と顔を上げる。
明るくなった部屋の中で、ハヴィクが僕のことを見ていた。
「
「は、ハヴィク?」
「だから今日のように、もっと私に命じてほしい。このままでは、私は君の役に立っているとはいえないのだ」
まさかハヴィクに、こうしたいとか、こうしてほしいなんて意思を示されるとは思っていなかった。
我が主、と呼びかけられたことさえ初めてだ。
思えばふた月近い間、僕は彼の存在を拒絶し続けていた。
だってハヴィクは、僕の望んだあの人じゃなかったから。その姿を見るたびにあの人との違いを、僕の失敗を見せつけられているようで辛かったから。
そんなこと、生まれたばかりの君にはどうしようもないことなのに。
ハヴィクはただの
それを思い出した時、胸にせり上がってきた新たな後悔に口元を押さえた。
これじゃ僕、アイラと何も変わらない。
僕は今までずっと、自分勝手な嫌悪感だけでハヴィクを放置して、彼に寂しい思いをさせてしまっていたのだ。それは創り手として、主として、僕が彼にさせてはいけないことだったはずだ。
僕って、本当に最低だ。
「ご、ごめんね、ハヴィク。……今まで、本当にごめん」
うつむいた頬に新しい涙が伝う。
ハヴィクは僕の側に寄ると、不思議そうに問いかけてきた。
「我が主、ごめんとは何なのだ?」
「え、えっと……」
ハヴィクは言葉が通じるように創ったけれど、その精度はまだ穴が多いようだった。
生まれたてで、知らないことばかりで。必要なことは、必要なだけ、僕が教えてあげないといけないのだと気づいた。
「ごめんねっていうのは、謝罪の言葉。今度、ちゃんと説明するね」
「分かったのだ」
生真面目に頷くハヴィクの顔を見上げて、僕は涙を拭いながら小さく笑った。
「あと、これからはもっと君を頼ることにする。……それでいい?」
ハヴィクは相変わらずの無表情だったけど、僕には少しだけ喜んでるように見えた。
「そうしてほしいのだ」
「……うん。ありがとね、ハヴィク」
僕は目の前にいるハヴィクの手を両手で包むと、額に押しつけた。
あの人とは関係なく、ハヴィクはハヴィクなのだと。それで構わないと。
僕はその日、ようやくそれを受け入れることができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます