23話 向日葵と幽霊
夏の暑さがやわらぐと、ようやく部屋から出られるくらいには体調が回復した。
ハルビオはもうしばらくの間だけ工房に残ってくれることになった。申し訳ないとは思ったものの、少しだけ安心もしていた。
だって彼がいなくなってしまったら、僕はハヴィクと二人だけになってしまう。僕はまだ、ハヴィクとどう接したら良いのか分からなかった。
部屋から出られるようになると、僕は工房長から呼び出されて一つの提案をされた。
「蔵書室のお手伝い、ですか?」
「君はよく蔵書室に足を運んでいたと聞いている。顔なじみの彼となら仕事もしやすいだろう」
きっと工房長は僕に気を遣ってくれたのだと思う。病後の体慣らしをかねて、僕はありがたくその提案を受けることにした。
もともと司書さまの仕事は工房に来たばかりの頃からよく見ていたし、僕はすぐに蔵書室での仕事になじむことができた。金の花を咲かせたシウル・フィーリスが蔵書室なんかで働いていることに、他の工房生たちはとても変な顔をしていたけれど。
一度なんかは、初めて蔵書室に来たつぼみの工房生の子にきゃあと悲鳴を上げて逃げられてしまったし。僕ってそんなに嫌われてたんだ、と正直なところ少しへこんだ。
ハヴィクは鴉の姿のまま蔵書室に連れてきていた。
司書さまが入口の近くに背の高い止まり木を用意してくれて、僕が働いてる間、ハヴィクはそこで置物のようにじっとしていた。
ハヴィクのことはまだ見て見ぬふりしかできなかったけれど、部屋でじっとしているよりは仕事をしていた方が苦い気持ちも少しは忘れられた。
僕はしばらく、蔵書室で穏やかな日々を過ごしたのだった。
ある日、蔵書室を開けたばかりの早い時間に声をかけられた。
「あ、あの……っ」
「え?」
振り返れば、僕と同じくらいの背をしたつぼみの工房生が一人、神妙な顔でこちらを見つめていた。
明るい金色の髪と、夏空のように濃い青色の瞳。少し考えて、僕はあっと声を上げた。
「君、たしかこの間の……」
僕のことを一目見るなり逃げ出していったあの工房生だった。
彼はごくりと息をのんで僕の前まで来ると、ずいと両腕に持った何かを突き出してきた。
「こ、これを!」
それは花束だった。僕は目を丸くする。
「え、なに、告白?」
「ち、ちがいますっ。その、あなたに、翼が授かれますように!」
「ふぇ?」
彼は真剣な面持ちで僕に言った。
「蔵書室の幽霊さん。ぼく、こんなところでさまようなんて良くないと思います!」
「え、え、ちょっと……」
「お祈りが足りないなら、ぼくもあなたのために祈ります。だから、翼を授かって天上に昇りましょう!」
僕はぽかんとした。その顔をまじまじと見つめた後で、やがてこらえきれずに大きく吹き出した。
「あ、あははっ、そっか幽霊か!」
病後でやつれた肌と、暗い表情。あの時の僕はきっと、初対面の彼が幽霊と勘違いするほどにひどい顔をしていたのだろう。納得はしたものの、彼の言葉が妙におかしくて笑いが止まらなかった。
急に笑い出した僕を見て、彼は驚いたようだった。
僕は息を整えると彼の手から花束を受け取る。
「お花、もらうよ。ありがとね」
遅咲きの、とても小ぶりな
「だけど僕ねえ、まだ翼を授かる気はないんだ。一応これでもちゃんと生きてるんだから」
「そ、そうなんですか?」
僕は頷くと、青い目を見開いたままの彼をのぞき込んで尋ねる。
「僕はシウル・フィーリス・イル・メルイーシャ。君の名前は?」
「え、エミリオ・フェルン・ナーハトージャです。ええと、あれ?」
エミリオと名乗ったつぼみの工房生は戸惑ったように、僕の襟元に留められた金の記章に視線をやった。
「もしかしてシウル・フィーリスって、あのうわさの?」
「どんな噂かは知らないけど。たぶん、そのシウル・フィーリスだと思うよ」
「え、えぇ……!?」
心底驚いた様子のエミリオに、僕は再び大きく笑った。
聞けばエミリオは今年の夏に工房へ来たばかりということだった。年齢は僕と同じで十三歳、出身はフィリエル領だけど、訳あってこのメルイーシャ工房を選んだらしい。
一番の新入りということもあって、彼は他の工房生たちからあることないことを面白おかしく吹きこまれたようだった。
蔵書室にいる顔色の悪い黒髪の少年なんて言えば、他の工房生ならすぐに僕のことだと分かっただろう。それを幽霊と勘違いしたエミリオをからかって、未練を残して蔵書室で死んだ工房生が、なんて作り話を彼に聞かせたのだ。
「す、すみません、金の花の
「気にしないでいいよ」
真っ赤な顔で頭を下げるエミリオに笑いながら首を振る。
「久々にすごく面白かったから。それに、歳の近い子とこうやって話すことなんてめったになかったし」
そう言うと、エミリオは少しもじもじとしながら僕を見た。
「……あの。ぼく、またシウルさまとお話をしに来ても良いですか?」
「え、別にいいけど」
僕は首をかしげる。
「でも、僕と仲良くしても良いことなんてないと思うよ?」
「そんなことないですっ、絶対にまた来ますから!」
こうして僕は工房生活八年目にして、やっと後輩と呼べるような子ができたのだった。
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