第三章 メルイーシャの宝石

22話 こんなはずじゃなかった

「お体を起こせますか、シウル様」

「……ん」

 薬湯くすりを用意したハルビオが、ベッドから起き上がった僕の背中を支えた。

 口元にあてがわれた薬湯はえぐみのある青い匂いがする。ものすごく苦くてどこか甘いような、何度飲んでも慣れない味が口いっぱいに広がって僕は顔を歪めた。


「……ごめんね、ハル」

 再びベッドに横になると、器具の片づけを始めたハルビオの背中にそっと声をかけた。

「僕が招来術師しょうらいじゅつしになったら、義父上ちちうえのところに戻る予定だったのに」

 僕が金の記章を受けて、もう半年近く経つ。窓から見える空はからりと晴れていて、換気のために薄く開けた窓の外からはまだ夏の匂いがしていた。

 本来ならハルビオはもう僕の元から去っているはずだった。それなのに僕の体調が悪いせいで、彼はまだメルイーシャの工房を離れられずにいる。

「迷惑かけて、ごめん」

「お気になさらないでください」

 振り返ったハルビオが僕を見る。

「ロアン様も、戻るのは貴方様の具合が十分に良くなってからで構わないとおっしゃっておりましたので」


 そこまで言って、青灰色せいかいしょくの目がちらりと机の方を向いた。

 僕が普段使っている椅子の背には、白い羽と緑の瞳をした鴉が止まっている。小首をかしげてぱちりと瞬くその姿を眺めると、ハルビオは小さな声で言った。


「……どうか、気を落とされませんよう」


 部屋を出てゆくハルビオを見送った僕は、深くため息を吐いた。

 やっぱり、長年一緒に過ごしてきた彼の目はごまかせない。ハヴィクを創る前と後で、僕の気力がずいぶん変わってしまったことに。


(だってもう、頑張る気が起きないんだ)


 七年間の努力も、集めた四精石しせいせきも。全部が無駄だった。僕の夢は始めから、届くことのない叶わぬ夢だったのだ。

 それに気づいてしまった今、病気と闘う気力なんてかけらも出てこなかった。


「……っ、けほっ」


 乾いた咳が喉からこぼれる。

 シーツに顔をうずめてしばらく咳き込んだ後で、水差しを取ろうとだるい体で起き上がろうとした。


「……あ」


 ベッドのすぐ側に、あの人の姿をしたハヴィクが立っていた。その手には水の入ったグラスがある。

「ありがと、ハヴィク」

 僕はハヴィクから目を逸らした。差し出されたグラスを受け取ると早口で命令する。

「もう大丈夫だから、その姿は見せないで。からすになっててよ」

 ハヴィクは何も言わず、羽音を立てて再び椅子の上に戻ったようだった。

 半分ほど水を飲んでベッドに横になる。

 ハヴィクを視界に入れないように壁を向いて毛布をかぶると、奥歯をぎゅっと噛みしめた。


 ずっと望んでいたあの人の姿なのに。

 本当に、あの人にそっくりなのに。

 僕はもう、人の姿をしたハヴィクを直視することができなくなっていた。


 こんな気持ちになるために七年間を過ごしてきたわけじゃないのに。

 こんなはずじゃなかった。


 何度も喉元まで出かかった言葉を飲みこむ。口の中にはまだ、薬湯くすりの苦みが強く残っていた。

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