20話 決行の日
リディア領からは、あれきり何の動きもなかった。
ハルビオから聞いた話によると、どうやら義父上がリディア領に向けて何か働きかけたようで、
『話はついたから、シウル君は気にすることなく過ごして大丈夫』
という旨の手紙を渡されたのだった。
あの人の手帳の件は、申し訳ないけどハルビオと義父上には黙っておいた。これだけは絶対に、手放したくなかったから。
僕は気持ちを改めて、夢の回路図に全身全霊を注いだ。
工房長と約束した三年という期間は、思えばあっという間に過ぎ去った。
工房にやってきてから七年目の冬の終わり、僕は予定通りに最終課題の
ただ、この三年間で招来術師のあり方も少しずつ変化していた。
僕の創った二種形態の招来獣は仕組みとしては新しかったものの、戦闘能力は全くない。その影響か、僕はぎりぎり及第といった評価と共に金の花を咲かせたのだった。
「この回路図を引いた当時なら、君の招来獣はもっと評価されていたはずなのに。申し訳ないことをした」
工房長はそう言って苦い表情を浮かべていたけれど、僕は気にしていなかった。
むしろそんな変化の中でも約束を守って僕を招来術師にしてくれたのだ。工房長には本当に、感謝してもしたりないくらいだった。
こうして僕はメルイーシャ工房どころかクウェン史上最年少の、十三歳という歳で招来術師の肩書を得た。
けれど実際のところ、僕の歳はあまり公にはされなかった。工房長が色々と手を回してくれたらしく、僕がもっと成長するまで外の招来術師との会合や交流も免除されることになったらしい。
おかげで僕は、自分のための招来獣を創るために全ての時間を費やすことができるようになった。
工房の敷地内に新しく用意された招来術師用の住居に引っ越し、同じく与えられた研究棟の個別作業室でようやく僕の夢を叶えられる。
……それなのに。
金の花を得た後、僕は急に体調を崩してしまった。
目標が目の前に見えて気が緩んでしまったのかもしれない。こじれた風邪は全く良くなる気配を見せず、看病するハルビオも表情を曇らせるほどだった。
その年の春はいつ雪が溶けたかも分からないほど、新しいベッドから見上げる慣れない部屋の景色しか記憶に残っていない。
ようやく熱が下がり起き上がれるようになったのもつかの間。
病後の僕の体はどこか、生きるための大切な部分に傷がついたかのように、少し動いただけで息切れして動けないものに変わってしまっていた。
ここまできて、と僕は焦った。
これではせっかく用意した
……結果は
僕の体は、以前と同じようにはどう頑張っても戻らない。ひと月我慢を重ねた後で、僕はその事実を認めるしかなかった。
直らないなら仕方がない。僕は諦めて、今の全力で招来術を強行することに決めた。
「ハル、明日は夕食を早めにして」
固い声でハルビオに告げると、彼は静かな声で僕に尋ねてきた。
「作業室へ行かれるのですね、お供は」
「いらない。明日の夜は作業室で過ごすから」
ハルビオは僕の顔を見下ろした後、小さく頷いて一歩下がった。
「かしこまりました。成功をお祈り致します、シウル様」
夏の緑が香る七月の工房は、夕方になってもまだ明るかった。
暑さが少しだけ収まったその時間を見計らって、僕は部屋を出てゆっくりと研究棟への道を歩いた。
手には今日のための回路図と、詠唱用のトフカ語を書いた紙片。それから、四精石などを入れた小さな荷物だけを抱えていた。
「シウル君、シウル君じゃないか?」
一日の勉強を終えて居住棟へと帰る工房生たちとすれ違う中で、ふと誰かに声をかけられた。
顔を上げれば、司書さまが驚いたような顔でこちらを見ていた。
「もう外に出て大丈夫なのかい、ずっと体調が良くないって聞いてたけど?」
「はい。これから作業室に行くんです」
「こんな時間から、かい?」
彼は少しだけ戸惑った顔をしたが、僕の顔を見ると小さく息をのんで道をゆずってくれた。
「……元気になったなら、またいつでも蔵書室においでよ」
「ありがとうございます、司書さま」
眉を下げて笑みを浮かべた司書さまに一礼すると、僕は真っ直ぐに研究棟へ向かった。
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