19話 同じ夢を見つけた
降り出した雨に打たれながら工房に戻ると、ハルビオが乾いた布を用意して待っていた。
「ハル、どうしよう。リディア領主にばれちゃったみたい。……僕のこと」
部屋で身体を乾かしてもらいながら、僕は町で女の人と会ったこと、シウル・フィーリスかと確認され、シエリア・フアナを知っているかと尋ねられたことをハルビオに伝えた。
表情を変えたハルビオは、すぐに義父上のところに報告に行くと言って部屋を出ていった。
雨なのに申し訳ないな。立ち上がって窓の外を眺めた僕は、ふと机の上に目を落とした。
せっかくの真新しいスケッチブックには雨粒の染みがいくつも付いてしまっていた。その横には、女の人から渡された包みが置かれている。
そういえば、ハルに包みのことを言うのを忘れてしまった。一緒に置いたからきっと、僕の買い物の一つだと思ったのだろう。
「カドウス・サライ・アル・リディアン」
呟いた途端、ぞくりと背筋に寒気が走った。
六年前のあの夜に一度だけ出会った、あの人と同じ緑色の目をした男の人。怒りと憎しみに満ちたあの表情。
彼は知っているのだ。僕にとっても、メルイーシャの家にとっても致命的になるこの秘密を。
僕はしばらく包みから目を逸らすことができなかった。覚悟を決めて手を伸ばした時に初めて、自分の指先が氷のように冷たくなっていることに気づいた。
──受け取っていただければ二度と干渉はいたしません。
カドウス様が、今さら僕に何を?
震える手でゆっくりと包みを開く。そっとのぞき込むと、優しく甘い花の香りがふわりと漂った。
袋の中には乾燥させたカミツレの花が詰められていた。外見は簡素な麻の袋でも、内側には防水のための皮が張られていて雨は全く染みこんでいない。
僕は深く息を吸うと、花の中に手を突っ込んだ。
包みの中から取り出したのは、一冊の古い手帳だった。おそるおそるその表面を調べた僕は、そこに書かれた記名に大きく息をのんだ。
──ハヴィク・オルニス・イル・リディアン。
僕は勢いこんで手帳を開いた。
目に飛び込んでくる、見覚えのある優しい筆跡。
トフカ語とクウェン語が入り混じるページは、
夢中でページを
封筒には一枚の紙片が折りたたまれて収めてあった。
僕は紙片を開くと、クウェン語で書かれた細かい文字にそっと目を通した。
『病状は、まだ良くならないのだろうか?
君が熱を出したと聞いてからもう半月が経つ。
その間、見舞いに行く勇気のなかった私を
許してほしい。
リスティカを思い出すと病床の君に会うことが
恐ろしくて近づけなかった。
君の来ない部屋は静かで少し物足りない。
元気になったら、また会いに来てほしい。
待っている。
親愛なるシエリアへ 』
「…ぁ、……っ!」
喉の奥がぎゅうっと鳴る。
とっさに上を向いた目じりから、堪えきれずに涙が伝った。
すぐに分かった。
これは出されなかった手紙だ。
あの年、彼女は春から熱を出してずっと
きっと、あの人は慎重で、どこか受け身な人だったから。
手紙を書いたものの渡すことを迷って、結局出さずにしまい込んでしまったのだろう。そして今までずっと、忘れ去られてしまっていたのだ。
袖口で涙を拭いながら、僕は再び手紙に目を落とした。
カドウス様がどんな心境の変化でこの手帳を僕に渡そうと考えたのかは分からなかったけれど。僕はただ深く、手紙を届けてくれた彼に感謝した。
久々に泣いたせいで少し頭が痛い。
手紙をそっとしまい直すと、僕は手帳のページをめくった。
「あれ、これ……?」
ふと、僕の目が一つの回路図に留まる。
その形には何故か見覚えがあった。
あの人と一緒に見たものではない。むしろここ最近で、僕が何度も目にしていた回路図にとてもよく似ていた。
僕は回路図の横に書かれたトフカ語の文字に目を向ける。
『
「……あなたに、会いたい」
口にした瞬間、驚きに体が震えた。
リーティ、……リスティカ。
それはあの人の、一番目の奥方の名前だ。
亡き人の姿を模した、人型の
同じだったのだ、僕とあの人の目指したものは。
「……あはっ」
ようやく見つけた。
幼い頃に求めたものの、たどり着けなかった彼の本心を。
同じ夢を目指す僕だからこそ、誰よりもその気持ちが理解できた。その苦労も、希望も、近づく喜びも。けれど……。
「この回路、このままじゃ動きませんよ。……ここだって、もっと自然に表現できるはずです」
書き残された回路図をなぞりながら小さく呟く。
招来術の腕は、彼よりも今の僕の方が上だった。
あの人にできなかったことを、途中で諦めてしまった夢を、僕は成し遂げてみせる。そのための六年間、準備は整いつつあった。
ついさっき見た手紙の文字が、忘れかけていたあの人の声音で囁く。
『──また会いに来てほしい。待っている』
「はい。どうか、待っていてください」
いつの間にか外の雨足は強さを増している。大粒の雨が激しく窓を打ちつける音が、薄暗くなった部屋の中まで響いていた。
甘いカミツレの香りを吸い込んで、僕は誓うように声に出した。
「必ず、もう一度あなたに会ってみせます」
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