12話 神託を授かる

 そうして訪れた降翼祭こうよくさいの日。

 僕は真新しい外出着に袖を通し、私服のハルビオと一緒に町へと出かけた。


「……わぁっ。町ってすごいね、賑やかだね!」

「今日は祭礼日ですので。普段はもっと落ち着いた雰囲気なのですよ」

 いつもなでつけている前髪を下ろしたハルビオが僕の隣で言った。

 影のかかる横顔は、おじさんというより、義父上よりも年上のお兄さんのように見える。髪型が変わるだけで人の印象ってけっこう変わるんだな、と僕はその顔を見上げながら思った。

 広い表通りには僕たちだけじゃなく、お祭りを楽しむ人たちで賑わっていた。こんなにたくさんの人が僕の生きる世界にいたなんてちょっと信じられない。

 見るもの全てが珍しくて、僕はきょろきょろと町を眺めた。景色だけじゃなく、音も、匂いも、全部が眩しくてきらきらと華やいでいた。


「……わ、っとと」

 見ることに夢中になると、つい足元がおろそかになってしまう。

 僕は最初の通りを抜け切るまでに二回くらい石畳につまずいて転びかけた。そのたびに隣のハルビオが僕の手をすくい上げてくれる。

「あはっ、何だかすごいね。目と足がぜんぜん追いつかないよ」

 僕は少し上がった息を整えながらハルビオを見上げて言った。

 彼はそんな僕を見て無言で首をかしげると、おもむろに道にかがみこんだ。そして、きょとんとした僕の両脇に手を差し入れた。

「え、ハル、何を、……ひゃうっ?」


 次の瞬間、視界が一気に高くなった。

 ハルビオが僕を抱え上げて自分の右肩に座らせたのだ。


「ちょ、ちょっと、ハルっ」

 僕は慌てて声をかけた。

「これならば、見ることだけに専念できましょう」

「それはそうだけどさ。何だか恥ずかしいよ、ちっちゃい子みたいで」

「貴方様は十分お小さくていらっしゃる。問題はないでしょう」

「むぅ。たしかに背はぜんぜん伸びないし、八歳には見えないかもしれないけどさぁ……」

 少しむくれた僕の頭上、広く空に響き渡るように鐘の音が鳴った。

 すこし重めなその音には聞き覚えがある。毎日毎朝、居住棟の部屋まで聞こえる、メルイーシャの夜明けを告げる鐘の音だ。

 辺りを見回すと、少し遠くに見える建物の上で二つの鐘が互い違いに揺れているのが見えた。

 僕はへえ、と息をこぼす。

「あの鐘って、あそこで鳴ってたんだね」

「フェーダの教会です。今日は祭礼の日ですので人も多く集まっていることでしょう。行かれますか?」

 僕は少し考えてから首を横に振った。

「ううん、いいや。それより、もっと町を見たいな」

「かしこまりました」

 何か気になるものがあれば声をおかけください。

 そう言ってハルビオは僕を肩に乗せたままゆっくりと歩きだした。

 僕もそれ以上ハルビオに降ろしてほしいとは言わなかった。彼の肩から眺める景色の方が遠くまで良く見えて楽しかったのだ。


 色とりどりの花や布で飾りつけられた建物。焼いた肉や魚のような香ばしい匂い。祝福を授ける鈴の音。並ぶ露店にはきれいな石や羽根の細工物がぎっしりと陳列されていた。

 初めてお金を出して買ってみたのは白い鳥の羽根飾りだった。高揚した気分でハルビオに見せれば、彼も少しだけ笑顔で頷いてくれた。


「……ねえ、ハル。あっちで何かやってるよ」

 彼の肩の上で羽根飾りを見つめていた僕は、ふと広場の方角を指差した。

 大道芸を披露する人だかりの向こうに一段高い舞台のようなものが見える。ハルビオの足がそちらに向いた。

「降翼祭にまつわる演劇でしょう。こういった日にはよく演じられます。演目は、……天の神が救世主に教えを授ける一幕でしょうか」

「教えって、フェーダの神託しんたくのこと?」

「はい。その役割を果たしたのが、あの鳩です」

 舞台の見える位置まで寄ったハルビオが舞台上の小道具を指差した。

 背景に扮した人が動かす、棒のついた白い鳥の絵。僕は小さな声でハルビオに耳打ちする。

「……なんかあの大きさじゃあ、ハトというより白いカラスだね」

「まあ、演劇ですので」

 ハルビオは僕の感想に苦笑したようだった。


 そして僕は、その瞬間を見た。


 赤い衣装を着た男の前に小道具の白いカラス、いやハトが近づく。

 その姿が白い布で覆われると、小道具は隠され、入れ替わるように人間の姿へと変わった。そうして驚く赤い男の前で、ハトだった人間は天からのお告げをおごそかな声で告げてゆく。


 ──救世主となる彼への、フェーダの最初の神託。


 それは本当に簡単な演出だったけれど。

「あ、……っ!」

 その場面を見た時、僕の頭の中にぴんとひらめくものが浮かんだのだ。

「は、ハルっ、何か書くもの持ってないっ?」

「はい?」

 急に声を上げた僕にハルビオが戸惑う。周りで演劇を見ていた人たちも驚いたように僕たちを見上げてきた。

「ぺ、ペンとインク。あぁ、いいや、覚えるっ。帰るまで絶対覚えておくからっ!」

 僕はぎゅっと目を閉じると両手で頭を押さえこむ。


 その脳裏に見えたのは、新しい招来獣しょうらいじゅうの回路図だった。

 きっと、それはまだ誰も試したことのないもの。同時に僕にとって、とても大事なものになる予感がした。


「シウル様? ご気分が悪くなりましたか?」

 肩の上でうんうんうなる僕に、ハルビオが心配したように声をかけてくる。

「どこかで休憩致しますか?」

「あ、えっとね。違う違う、大丈夫だよ」

 首を振った僕はふうと一つ息を吐いた。

「なんか、司書さまの言ってたことがちょっと分かったかも」

 閉じこもって勉強ばかりしてても、上手くいくわけじゃない。

 むしろこうやって息抜きをした方が。外に出て新しいものを見た方が。今までにないものすごい発想が生まれる時もあるのだ。


「ハル、今日は連れてきてくれてありがとうね」

 僕はハルビオに声をかける。彼の顔を見下ろして眺めるのもめったにないことだった。

「僕、すごく楽しい。来て良かったよ」

「左様でございますか」

「うん。……あ、何か良い匂いがする」

 きょろきょろと首を動かすと、通りの方向を見たハルビオが言った。

「降翼祭の名物、卵のタルトと飾りクッキーでしょう。あちらで売り歩いています」

「え、おいしそう。ハル、僕それ食べてみたい!」

「かしこまりました」


 僕はその日、ハルビオと一緒に初めてのお祭りを満喫した。

 息抜きの大切さを肌で感じた僕は、それから何度かハルビオについてもらって、町での歩き方を改めて教えてもらった。

 八歳の春、僕はおこづかいをもらって町へ遊びに行くという楽しみを覚えたのだった。


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