7話 見定めるお茶会

 数日後、義父上が僕たちのいる別邸べっていにやってきた。

 僕は前日から念入りに染め粉を使い、朝は服の襟を正して、何度も何度も笑顔の練習をした。

 そうして迎えに出ていたハルビオと共に正面玄関をくぐった義父上の前に立つと、丁寧な礼を取って初対面の挨拶を交わした。


義父上ちちうえ、お初にお目にかかります。シウル・フィーリス・イル・メルイーシャです」


 厚手の外套がいとうを脱いでハルビオに渡した義父上は、僕のことを上から下までゆっくりと眺めると、やがてにこりと笑って言った。

「やあ、初めましてシウル君。部屋で待っててくれて良かったのに」

「でも、待ちきれなかったので。どうぞ、ご案内します」

 そう言って義父上の手を取って引く。外の寒さが分かる冷たい手だった。

 彼は少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐにいたずらっぽい表情になって僕の誘いに乗ってくれた。

「クミン領での生活と比べてこっちはどう、不便はないかい?」

「全然、みなさんとても良くしてくれます」

「こっちは寒いだろう、体調は平気?」

「お部屋は暖かいので大丈夫です」

 義父上とハルビオが用意して、僕が覚えたシウル・フィーリスの経歴。それを下地にしたお芝居のような会話を、僕と義父上は手を繋いだまま和やかに続けた。


 お茶会の用意がされた部屋に入ると、義父上はぱっと顔を輝かせた。

「わぁ、良い匂いだね!」

 二人して席に着くと、ちょうど良いタイミングでハルビオがお茶を出してくれる。義父上はさっそくビスケットに手を伸ばしていた。


「義父上も前はメルイーシャの工房で勉強をしていたんですよね。どんなところですか?」

「昔のことだから、あまり参考にはならないよ。僕には才能がなかったから、工房長が代わったところで辞めてきちゃったし」

 ロアンはビスケットを割りながら肩をすくめると、枯れ葉色の瞳を輝かせて僕の方を見た。

「だから僕ね、君にはすごく期待してるんだ」

 義父上の視線は真っ直ぐで、大げさな演技だと分かっていても僕をどきりとさせた。

「単に工房に送るだけならメルイーシャの名を分ける必要はない。君を養子にしたのは、僕のまだ見ぬ景色を君が見せてくれると思ったからなんだ」

「はい、期待に応えられるようにがんばります」


 そんな会話を繰り返しながら、お茶の時間はゆっくりと流れていった。

 このままお茶会が終わるのかな、と揺れるカップの中身を見ながら考えていた時、そういえばと義父上が声を上げた。


「シウル君、アイラって知ってる?」


 とっさに言葉が出てこなかった。

 顔を上げると、義父上は笑みを浮かべたままじっと僕を見ていた。

「あれ、聞いたことない? 僕の奥さんなんだけど」

「あ、そ、そうでしたね」

「聞いた話だけどね、彼女の前の旦那さんも招来術師しょうらいじゅつしだったらしいよ」

 どくりと胸が鳴った。

「ち、義父上はその方と知り合いだったのですか? それで、……は、義母上ははうえと?」

「ううん、知らない人。アイラはね、ルアナの家が再婚先を必死に探してたから興味を持って僕から声をかけたんだ。リディア領でのことは風の噂で何となく聞こえてたし」

「うわさ?」

「アイラの前夫ぜんぷ、ハヴィク殿だっけ。彼、表向きには病死って言われてるけどさ、実は違うみたいなんだよねぇ」


 初めて聞く話だった。

 あの人の死については彼の兄、カドウス様から聞かされただけで、葬儀の時に顔を一目見ることだって許されなかった。病死であったという話さえ僕にとっては初耳だ。

 僕は思わず椅子から身を乗り出していた。

「そ、それは、どういう……っ」

 尋ねかけた時、義父上が持ち上げていたカップを下ろした。かちゃり、という音がいやに大きく部屋の中に響き渡る。


「シウル君、どうかしたの?」

 義父上が笑みを浮かべたまま、ゆっくりと僕に言った。

 その目は瞬くことなくこちらを見すえている。まるでハルビオのような、見定める人の目で。


「そんなにこの話が気になる? 不思議だね、?」


 僕は息をのんだ。

 あの人の話題につい反応してしまった。シウル・フィーリスなら絶対にしないはずの反応を。

 何とか、上手くごまかさなければお茶会はおしまいだ。義父上はきっと不合格を突きつけてくる。


「……ぁ」


 動揺した手に当たってスプーンが落ちたのは偶然だった。

 鈴のような高い音に僕も義父上も気をとられた。


 気配を殺して壁寄りに控えていたハルビオがすぐに僕の側に近づき、床に落ちたスプーンを拾い上げる。

「替わりのものをお持ち致します」

「……ありがとう、ハルビオ」

 一瞬だけ合った青灰色せいかいしょくの視線が、僕に落ち着くように促していた。彼が給仕台車からスプーンを用意する短い間、僕は背中の冷や汗を隠しながら静かに深呼吸をした。


「……義父上。その方って、招来術で亡くなったのですか?」

「え?」


 きょとんとした顔の義父上に、僕は首をかしげてみせた。

「もし招来術の事故だったら、ちょっと怖いなあって思って。工房ではやっぱり、危険なこともあったりするのでは?」

「……ん。まあ、そうだね」

 義父上はやや拍子抜けしたように、くせのある前髪に手を触れながら歯切れの悪い調子で言った。

「金の花を咲かせた術師はそんなことないけど。駆け出しの工房生なんかは、不完全な回路を無理に使って事故を起こすこととか、たまにあったみたいだね」

「そっか。じゃあ僕も気をつけないと……」

 僕は真面目な顔で何度も頷いた後で、ぱっと顔を上げた。

「でも、僕のさっきの態度は良くなかったですよね」

 枯れ葉色の目をぱちぱちと瞬かせた義父上に、僕はしおらしく謝ってみせる。

「すみません。メルイーシャの、義父上の養子として、お行儀にはもっと気をつけます」

 そうしてちらりと義父上を見上げる。……これで、何とかごまかせただろうか?



「……あ、あははっ!」

 僕を見てしばらくぽかんとしていた義父上は、やがて小さく吹き出した。

「いいよ、合格ってことにしてあげる。ああもう、アイラのところで絶対取ったと思ったんだけど。君も図太くなったねぇ!」

 義父上の言葉を聞いて、体中から力が抜ける。


 本当に、危なかったぁ……!


 大きく息を吐くと、思い出したように心臓がどきどきとしはじめる。

 胸の痛みを鎮めるために、僕は震える手でぬるくなったお茶を一息に飲み干した。

 そんな僕の様子を見ていた義父上はくすくすと笑ったまま椅子を立つと、控えているハルビオに声をかけた。

「ハル、帰るから準備しておいて」

「かしこまりました」

 ハルビオが部屋を出ていくと、義父上は上機嫌な声のまま僕に告げた。

「実はね、もうメルイーシャの工房にも話は通してあるんだ。君の体調次第でいつでも入れるよ」

「ほ、本当ですか?」

 見上げた義父上は大きく頷いてちらりと扉の方を見た。

「ついでに、ハルもしばらく貸してあげるよ。詳しい日程なんかは彼と決めて。僕に連絡が必要な時も彼を通せば確実だからね」

「ありがとうございます、義父上!」

 これで僕は工房に入れる。招来術師になる道が拓けるのだ。

 部屋から出る義父上を見送ろうと椅子を下りると、思い出したように彼が言った。

「そうだ。リディア領のハヴィク殿はね、不審死だったんだって」

「え?」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の体から喜びと血の気が一気に引いた。


「数日前から体調を崩してたって話だけどね、食事を摂った後に急に容態が悪くなったらしい。胸を押さえて苦しんでいたって」

 だからさあ、と義父上は含んだ笑みを浮かべて人差し指を口元に立てた。

「アイラの生家せいか、ルアナ家が彼を毒殺したんじゃないかって噂。もちろん証拠なんてないから表向きには病死なんだけどね」

「な、ど、どうして……」

「どうして?」

 義父上はきょとんとした顔で僕を見下ろした。


「君が聞きたがってたから教えてあげたんだけど。ハヴィク殿が殺された理由がどうしてってことなら僕に聞かれても分からないよ。ああそれとも、どうしてそんな噂のあるアイラと僕が結婚したのかってこと?」


 どうしてだと思う、と義父上は僕を試すように目を瞬かせる。

 僕がこわばった顔で首を振ると、彼は少しだけ残念そうな顔をした。

「面白そうだと思ったから。期待外れだったけどね。でも実際はもっと面白いものが見つかったから、結果としては悪くなかった」

 そう言って義父上が僕に手を伸ばしてくる。

 びくりと身をすくめた僕の頭を軽くなでると、彼は小さく笑って部屋の扉を開いた。

「その髪色、似合ってるよ。もし君が招来術師になれたらすごく面白いと思う。だからさ、……どうか僕を退屈させないでね」


 見送りはいらないよ、と言われて扉が閉められる。

 誰もいなくなった部屋の中で、僕は一人立ちつくしていた。



 《第一章 完》


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