クルセイダーは敵から奪った松明を持ち、洞窟の奥へと全速力で進んでいた。


ーー思いのほか手間取った。五分...いや、それ以上か? 


 今彼を襲った集団は、明らかに組織の下っ端だろう。

 そもそも戦いにおける囮とは、一か八かを賭けた作戦である。成功すれば相手の裏をかける反面、看破されれば断滅するのは自分たちだ。そんな危険な立ち位置を、上司が引き受けるホワイトな連中には思えない。

 誘拐事件に一切の手がかりを残さない慎重な集団ならなおのことだ。それでも、三重加速に対応する剣士がいた。奥にはそれ以上に危険な敵がいる可能性は高い。クルセイダーは先を行く近衛騎士団の安否に空恐ろしい気持ちになった。


 彼にとって救いだったのは、洞窟内が入り組んでないことである。クルセイダーは他念に悩まされずに、一本道を走り続けることができた。



 奥へと進む道中で、クルセイダーは団員の亡骸を見た。三つの体が、無造作に寝ころんでいる。殺されているのだ。


 仲間の死体を横目に、彼は奥歯をかみしめる。無意識に足の回転が早まり、呼吸が荒さを増した。


 団員の亡骸は、クルセイダーが主戦場に近づいている証拠でもある。少しして、彼は開けた空間に出た。

 一本道の終着点だ。壁には一定の間隔で明かりが設置され、視界は明るい。非人道的な喧噪さえなければ、趣のある広場だったことだろう。


 現実は、戦場は、悲惨なものだった。壁や床に血がこびりつき、血なまぐさい空気があたりに漂っている。ぱっと見、騎士団の残りは十人もいないようだ。

 そこここにぐったりと横たわる団員がいる。ただ、それは敵も同じこと。クルセイダーを襲ったのと同じ、黒装束に身を包む犠牲者も多くいるようだ。



 「久しいな。貴様を待ちわびたぞ!」 


 突如として、耳を怒号が貫いた。


 クルセイダーの右肩がうずく。声の主は、紛いもなくあの男だ。

 一連の誘拐事件は、確かにブラッド・ブレットによるものだった。くだんの事件の首謀者が、長く広がりのある漆黒のローブに身を纏い、澱んだ黄土色の目でこちらを一瞥する。右ほほの傷跡は、間違いなく三十年前、クルセイダーの剣がかすめた後遺症だ。


ーーヴィネザール! 生きてやがったか。 



 「弟子の首が恋しかろう。冥途の土産だ、くれてやるよ」 ヴィネザールは垂直に、禍々しい剣を振りかぶった。


 見ると、ヴィネザールはレオナルドを踏みつけている。彼は身動きを封じられていた。胸部を踏みつけられたためだろうか、呼吸が苦しいようで、ろくに声も出せないようだ。

 クルセイダーは凍り付いた。三十年前の悪夢が脳裏によみがえる。遠い日の逡巡が、まるで昨日の出来事のようにこみ上げる。


ーー......レオ。


 彼との距離は十メートルほど。常人が全力で駆け付けようと、殺意をかざす剣より先に弟子へとたどり着きはしない。

 たとえそれが、三重加速トリプルアクセルの使い手である騎士団団長だろうと、叶わないだろう。

 これだけ絶望的な状況を打開できる救世主がいるとすれば、それは世界でただ一人。


ーー久しぶりだが、やるしかねえ。四十クワドラプル...加速アクセル! 




 「ぐはっ」 


血しぶきが上がった。クルセイダーの右腹を、ヴィネザールの剣が切り裂いたのだ。クルセイダーは疾風のごとく地を駆け抜け、身を挺して弟子の命を繋いでみせたのである。


「金輪際、若い芽は摘ませやしねえよ。ヴィネザール」 クルセイダーは苦し紛れに声を上げる。


「その減らず口がいつまでもつかな。今の一撃は致命傷になりうる。お前は、じきに死ぬ」 


ヴィネザールの顔は引きつっていた。彼としては面白くないことこの上ないのだろう。標的を変えたようで、鼻息荒くクルセイダーを見据えている。


「ああ。確かに死んだよ」 憮然とする宿敵を前に、クルセイダーはにやりと笑った。 「過去の自分がな」 


 ヴィネザールの瞳がかっぴらくと同時、彼は刺すように剣を突き出した。激しく苛立っているのだろう、随分とがさつな攻撃である。

 クルセイダーは足元の弟子を安全圏に蹴り飛ばし、咄嗟にその場を飛びのいた。間一髪、ヴィネザールの一撃はクルセイダーに届かずに終わった。



 「次はお前の番だ、ヴィネザール。すぐに葬ってやる」 


宿敵を前に、クルセイダーは自らが高揚するのを感じていた。無意識に右腰に手を回し、反撃に転じようとして冷や汗が垂れた。


ーーしまった。剣が...ねえ。 


「受け取れ!」 


 その時、クルセイダーの視界の端から、一本の剣が放物線を描いて飛んできた。寄越したのは近衛騎士団団長、ロンドンである。

 彼は床に横たわる騎士団員の一人だった。左足の付け根に短剣が突き刺さり、大量に流血している。相当の重傷だ。意識があるのが不思議なくらいである。もう戦えない悟ったロンドンは、自身の剣をクルセイダーに託したのだった。


「借りは返したぞ」 


ーー助かるぜ。 誇らしげな憎き男に、クルセイダーは心の中で礼をいう。





 次の瞬間、耳をつんざく金属音が鳴り響いた。あまりの衝撃に空気が振動するほどだ。三十年の時を経て、宿命ともいえる二人の真の勝負が幕を上げた。


 当時と違い、クルセイダーの右腕は切断され、おまけに今しがた切られた右腹部からの出血も激しい。ヴィネザールに分がある戦況なのは誰が見ても明らかである。それもあってか、まだ動ける騎士団員はクルセイダーを気遣い、援護に回ろうと動き出した。それはレオナルドも例外でなかった。


 さりとて、ブラッド・ブレットにも生き残りはいる。ヴィネザールに気を取られる近衛騎士団一行は、彼らの格好の餌食だった。

 悪の刃が、レオナルドに忍び寄る。ヴィネザールの背後に回る彼のさらに後ろから、組織の一人が切りかかった。


ーー......まずい。


 クルセイダーは宿敵と剣を交えつつも、一連の流れを横目で追っていた。とは言え、どうしてもヴィネザールに注力せざるを得ないため、弟子の助けに入る余裕はない。


 後ろだ、レオ! クルセイダーがそう叫ぶよりも速く、レオナルドは動いた。

 瞬時に身をかがめ、敵の攻撃をかわす。それどころかすぐに反撃に転じ、敵を討取ってみせた。まるで背中に目が付いているようだ。


 そう。間違いなく、本来の彼の視界は敵をとらえていなかった。彼は敵の気配を察知することで、危機を脱したのだ。

 これこそまさに、前にクルセイダーが教えた二重加速ダブルアクセルの応用である。視覚を頼りにせず、レオナルドは感覚で動いたのだ。


ーーこの期に及んで成長しやがって。 表情だけ見れば戦闘中とは思えまい、クルセイダーの口元は綻んでいた。


 そういえば、誘拐されたレオの婚約者の身柄はどこだろう。クルセイダーは弟子の雄姿から連想を膨らませる。

 見渡せば、広場の隅にさらに先へと続く細道があった。広場に人質の姿はない。となれば、貴族が拘束されているのはあの道の奥だろう。



 「レオ、お前に最後の指導をしてやる」 


現在進行形で進化する弟子に向けて、クルセイダーが激励を飛ばした。彼の頭には、珍しく取り乱した先刻の弟子が浮かんでいる。


ーーやっぱりお前は、俺の弟子だ。だからこそ、師匠と同じ過ちは犯させねえ。


「己の大切な人間を、命に代えても守り抜け。心に留めておけ、剣士たる俺の信念だ」 



 これこそ、かつての剣聖ーーダビデ・クルセイダーが掲げた信念だった。彼が剣をふるうのは、彼の周りにいる人間を守るため。その信念を貫き通すため、彼は一番弟子の命を優先した。そして彼を失ったからこそ、剣を置いたのだ。

 

十七年前、当時のロンドンの行動原理を理解したにも拘らず、彼を許せなかったのもそのためである。


 師匠から信念を受け継ぐことは、弟子としての修了を意味する。この瞬間、レオナルド・ロンドンは一人前の剣士となったのだ。


「ありがとうございます。クルセイダーさん、負けたら許しませんから」 レオナルドは迷いなく師に背を向けた。 「行ってきます」 


 人が変わったようだった。

 持ち前の怜悧な雰囲気を取り戻し、口調はいつも以上に落ち着いている。彼の視線はただ一点に、広場の奥へ続く細道にくぎ付けだった。


 師匠が持った信念は、今のレオナルドにぴったりであった。彼の第一目的は婚約者の救助。それと信念が噛み合ったゆえ、真価を発揮したのだろう。

 

信念を授かった剣士は、突如として覚醒することがある。覚悟が固まり、己の信ずる道ができたとき、人はただひたすらに強くなれるのだ。


 「三重加速トリプルアクセル!」 


掛け声とともに、レオナルドはあっという間に走り去る。その移動速度は紛れもなく、三重の加速アクセラレータ状態を体得した者が出せる速さだった。


ーー野郎、あの若さで三重加速をものにしやがった。俺より早いじゃねえか。ますます死なせられねえ。 


「俺に構うな! レオを全力で援護しろ」 今だ周りから己に加勢しようとする騎士団員に向けて、クルセイダーが叫んだ。 


 彼の気迫がすさまじかったのか、団員は皆、いの一番にレオナルドの後を追いかける。


 これだけの援護があれば、彼は無事に生き延びるだろう。クルセイダーは安堵のため息をもらした。




 「余裕面している場合か?」 ヴィネザールはせせら笑う。 「貴様は追い込まれているぞ」


「だからと言って、俺が負ける理由にはならない。もう二度と、弟子に無様な姿は見せられん」 


ーー俺がやられたら、騎士団は壊滅する。レオがどれだけ逸材だろうと、今のこいつには勝てない。あいつには、まだ時間がいる。 


「若人に花を持たせるのが、老体の仕事だ」 


クルセイダーは自身を奮い立たせた。ヴィネザールの思惑通り、彼に残された時間には少ない。右腹部の出血を気合でごまかせる限界は、刻一刻と近づいているのだ。


ーー猶予はねえ。最初から全力でいく。四重加速クワドラプルアクセル! 



 途端に、その場に雷が落ちたようだった。足を中心に同心円状の亀裂が入る。

体からみなぎる威風は、周囲一帯に人を寄せ付けない。これがかつて剣聖と称えられたクルセイダーの底力。

 その馬力から水上をも走るという都市伝説が蔓延した秘技、彼だけが到達した四重の加速アクセラレータ状態であった。


 クルセイダーからすればたったの一歩でも、はたから見れば瞬間移動さながらである。彼は神速で宿敵の間合いに入り込み、剣を振り抜いた。


「お返しだ」 


 ヴィネザールの背後の壁に切跡が刻まれたかと思えば、彼の左腕が吹き飛んだ。途端に血液の奔流が現れる。クルセイダーは周囲一帯の空気ごと切り裂いたのだ。


 三十年の時を経ようと、剣聖の実力は衰えていない。

 持って生まれた珠玉の才能と、血反吐を吐いた長年の修業に裏打ちされた、唯一無二の強さはいまだ健在であった。



 「弟子のために、お前は戦うのか?」 


さすがは最凶の犯罪組織をまとめ上げる男である。腕を切り落とされようと、彼は苦悶の表情を浮かべただけで、膝をつこうともしなかった。


「俺を殺そうが、弟子は帰ってこないぞ」 


頭によぎったフロイドの亡骸が、クルセイダーを動揺させる。


「天にいる奴への花向けにはなる。お前らを滅ぼすのが、フロイドの願いだ」 クルセイダーは冷静を装った。


ーーふん。三十年前の亡霊には、ついさっき踏ん切りをつけたはずだったんだがな。 



 「次の一撃で殺す」 啖呵の矛先は正面の宿敵か、はたまた死にぞこないの己自身の弱き心か、クルセイダーは冷徹に言い放つ。


「たかが一発当てただけだ。それしきで調子に乗るな」 



 したり顔のヴィネザールは、一粒のカプセルを取り出し、それを口にほおりこんだ。

 鈍い音を立てて呑み込んだ直後、彼の体はみるみる間に変化した。体中の血管が浮き彫りになり、切り落とされた左肩からの流血の勢いが増したのだ。


ーー血の流れを早くした? 


 ヴィネザールは有無を言わさず切りかかった。加速術式に対抗するべく、薬剤で血の流れを急速化したのだろう。

 その効果は抜群のようだ。速度だけで言えば、彼はクルセイダーに劣らないどころか、それ以上だった。


 一秒の間に何十回も剣がぶつかり合う。戦闘の衝撃は大きく、周囲の壁や地面はひびだらけになった。


「血流増強剤、諸刃の剣だぞ。ヴィネザール」 


左肩からの甚大な出血に拍車がかかっている。このまま消耗戦にもつれ込めば、いずれ彼は倒れるだろう。


「貴様が言えたことか?」 


ヴィネザールの左肩と同じことが、クルセイダーの右腹にも言えた。四重加速クワドラプルアクセルで飛び込んだ弊害だろう。傷がかなり深く、流れ出る血は止まる気配がない。ヴィネザールの狙いは、あくまで時間稼ぎのようだ。



 両者は互いに一歩も引かず、心血を注いで剣をふるう。

 二人の周囲には風が吹き荒れ、近づけば空気を切り裂く斬撃が飛んでくる。実際に、彼らの近くで横たわる兵士はその被害を受けた。


 剣士の勝負は、加速術式の度合いが決め手になることが多い。

 ただし、例外もある。速度が同レベルの際、勝敗の行方は剣技にゆだねられるのだ。彼らの烈々たる勝負は、まさにそれだった。



 「このまま抑えられるとでも? 教えてやるよ。剣で俺に挑んだお前の愚かさを」 


これ以上は埒が明かないと悟ったクルセイダーは、こともなげにそう告げた。


「地獄で暇しないように、妙な噂を聞かせてやる。ガキの間じゃ有名らしいぜ?」 その場を飛びのき、ヴィネザールと距離を取る。 


「その昔、ブリタニックが有した秘密兵器。幻の七人目......人呼んで、剣聖だ」 


左足を前に出し、前傾姿勢になる。強く握りしめた剣は黄金に輝き、星の如く発光した。眩い剣を天高くつきだし、クルセイダーは淡々と唱える。


「汝の魂は我が信念に、汝の果ては我がつるぎに。受けるが良い。秘剣......スターダスト・レクイエム!」 



 煌きを放つその剣を、クルセイダーは真一文字に振り下ろした。

 洞窟一帯に光がとどろく。大地や壁が切り裂かれ、広く大きな溝ができた。


 を受けて立っていられた者は、未だかつて存在しない。とある武器には、そんな伝説がある。敵軍隊を一振りで破滅させたこともある奥義。それこそ、かつて剣聖と称えられた男がもたらした、近衛騎士団の秘密兵器であった。


 伝説の通り、溝の延長線に何かがぐったりと横たわっている。ヴィネザールだった。もはや原形をとどめていない。体は縦に真っ二つ。まるで果実がはじけ飛んだように、周囲には血だまりが出来上がっていた。





 「...三十年前......俺を逃したお前の責任...だ」 蚊の鳴くような声がした。


ーーこいつ、どこに口を利く力が残っていやがる。 


「もうすぐだ......王国は...血に染まる......」 それを最後に、ヴィネザールはこと切れるのだった。


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