2
あくる日。クルセイダーはロンドン邸の庭園に寝転んでいた。大きく体をのばし、深く息を吸う。ふかふかの芝生の寝心地は申し分ない。
本日、レオナルドの稽古はお休みである。レオとてまだ十七歳。学校に通い、学業にいそしむのも彼の立派な仕事なのだ。
ーー雨になりそうだな。 クルセイダーは、遠方にはびこる黒ずんだ雲を眺めていた。
転寝を堪能するのもつかの間、彼は突如として現実世界に引き戻された。
起き上がってみると、何やらあたりが騒がしい。ロンドン家につかえる召使がせわしなく歩き回っている。それだけなら憂慮に及ばないのだが(大方、ネズミの大量発生だろうし)、気忙しいのは彼らだけではなかった。
近衛騎士団の団員が、浮かない顔で出撃の準備をしている。馬の整備し、鎧の着用など、各々が装備を整えているのだ。
彼らの鎧の胸部には、一等星の勲章が付いている。それは騎士団の第一部隊、ロンドン団長のもとに使える大部隊の証であった。
よほどのことがない限り、騎士団の第一部隊は動かない。団長が指揮する大部隊の出動は、それだけ対処する問題の危険性が高いことを示唆しているのだ。
何か
すぐにクルセイダーは護身用の木刀を携え、家の
「僕も行きます。同行させてください」 いつの間に帰宅したのだろう、レオナルド・ロンドンが珍しく声を荒げている。
「お前は他の部隊だろう。それと、死に急ぐ馬鹿に育てたつもりもないぞ」
レオナルドは騎士団の第四部隊に所属する剣士。基本、騎士団内で部隊を跨ぐことは許可されていないが、彼はどうしても任務に参加したいようだ。
彼を諭すのが、ビリー・ロンドン。手入れされた硬そうな髪に、顔面の下半分を覆う濃いひげ。十七年前の古傷が完全に消えることはなく、額の肌には凹みが見られる。
父親に否定されようと、レオナルドの声量は弱まりはしない。彼の弁論にはさらに熱意がこもった。しかしロンドンは一向に聞き耳を持たず、息子の言い分を無視したどころか、クルセイダーに声を掛けた。
「探したぞ、クルセイダー。お前に協力を要請したい」
庭園にいた騎士団の様子から、何か事が起きたのは承知の上だ。それも、かなり重大なことが。クルセイダーが眉をぴくりと上げるのを合図に、ロンドンはつらつらと語り始めた。
「巷を騒がせる盗賊団を知っているか?
クルセイダーはこくりとうなづく。つい数日前、レオナルドから噂を聞いたばかりだ。
「今日、新たな被害者が出た。ウィンスレット家第一王女だ」
ウィンスレット家。言わずと知れた名家である。数ある貴族の中でもその権力はトップレベルだ。一族そろって頭脳明晰、容姿端麗。貴族には疎いクルセイダーでさえ、その名前を知っているくらいだった。
「所詮は盗賊団だ。近衛騎士団の出る幕じゃねえだろ」 クルセイダーが明言する。 「俺は盗人に興味ねえよ」
「それがどうやら、ただの盗人じゃない」 ロンドンの顔がこわばった。
「先週までに、国の将来を担う四人の貴族が姿をくらましている。今回の拉致事件は五件目だ。それだけ犯行を重ねながら、盗賊団の詳細はいまだ暴けていない。彼らの手口が、あまりに完璧だからだ。攫った形跡も、家に侵入した形跡も残さず、跡形もなく人間が消える。まるで神隠しのように。だから盗賊団の
ロンドンは言葉を区切り、クルセイダーに視線を投じる。
「だが、ついにこの度、犯行現場には痕跡が残された。血文字で、Bullet......どうだ? クルセイダー」
何故ただの誘拐事件に近衛騎士団が出陣するのか。なぜロンドンが自らに協力を乞うのか。なぜ彼が息子を同行させないのか。彼の一言で、クルセイダーはそのすべてを理解した。
「奴らが、絡んでいる」 右肩の疼きを誤魔化すような、くぐもった声を絞り出す。
三十年前の因縁。凶悪な犯罪組織、ブラッド・ブレット。一連の誘拐事件が奴らの企みとすれば、手際が完璧で痕跡をたどれないのも合点がいく。なにせ一昔前、史上最凶の犯罪組織と謳われた集団だ。ぬるい盗賊団とはわけが違うのである。
組織は三十年もの間、暗闇に息をひそめていた。当時彼らと火花を散らした近衛騎士団内でさえ、久しくその名が話題に上がらないほどに。
ーーなぜ今になって、表舞台に出てきやがった。一体何が目的で、貴族をわざわざ誘拐した?
組織はその残虐非道さ有名であり、彼らにとって都合の悪い人間は残らず殺された。連中がご丁寧に人を攫った前例はないのである。
「本当に奴らなんだろうな?」
クルセイダーが念押しする。長い間潜伏していた連中がこうもひょっこり現れるとは、にわかに信じがたかった。
「奴らが姿を消して三十年もたった。言ってしまえば、現在ブラッド・ブレットの名は広く知られていない。話題集めを目的とした、変ないたずらとは考えにくいだろう」
クルセイダーは納得した。考えてみれば、仮に連中を装った二番煎じの仕業なら、捜査に手こずるのも不可解だ。血文字を使った痕跡は真似できても、手口の周到さを素人が再現するには限界がある。
「奴らって何です?」 口をはさんだのはレオナルドだ。
「俺の右腕をくれてやった連中さ」 クルセイダーが吐き捨てる。
騎士団に混じって活躍した過去を、彼が弟子に伝えたことはない。レオナルドからすれば、状況は極めて複雑だろう。
けれど彼は頭が回るだけあって、即座に事の重大さだけは理解したようだ。ただ理解してもなお、レオナルドは食い下がらなかった。
「僕も同行する! こればかりは譲れません」
「何がお前を突き動かすんだ、レオ。生半可な気持ちで相手していい敵じゃない。今回ばかりは親父の判断が賢明だ」 クルセイダーが説き聞かせる。
「ベアトリスは僕の婚約者だ! 僕以外の誰が助けるんだ!」
持ち前の冷静さはどこへやら、レオナルドは我を忘れて叫び散らす。そんな彼の発言は、クルセイダーにとって驚愕の事実だった。再三のことであるが、彼は貴族事情に疎いのである。例にもれず、攫われた王女が弟子の婚約者だなんて考えもしなかったのだ。
「死ぬときは一緒だって、約束したんだ!」 レオナルドは吠えた。鼻息は荒く、耳元は赤に染まっている。
普段平静な弟子がここまで取り乱すのを、クルセイダーが見たのは初めてだった。
ーーお熱いねえ。少々生意気だが、好きだぜ。そういうの。
レオナルドの気持ちは痛いほどわかる。遠い日の自身の片鱗を、クルセイダーは弟子に見たのだ。
「ロンドン、俺を連行するなら条件がある」 クルセイダーは弟子の肩に手を回し、意地悪げに眉をつり上げる。 「レオも連れていけ」
途端にロンドンの顔面が青白くなった。ジレンマとはこのことを言うらしい。
「お前は初耳だろうが、現場に残されたのは血文字だけでない。その文字から一定の間隔で、血が滴り続けているのだ。おそらく第三者を、私たち近衛騎士団を誘導するためにな。この事件、奴らの罠である可能性が非常に高い。まんまと飛び込むなんて、下手したら自殺行為だぞ」
ーーなるほど、それで死に急ぐ、か。 クルセイダーは、入室直後の討論を思い返していた。
「レオナルドには危険すぎる」 ロンドンの声はかすかに震えている。
「近衛騎士団団長ともあろう者が、これしきで臆するな。安心しろ、レオは死なせない」 クルセイダーはきっぱりと言い切るのだった。
こうして騎士団の大部隊総勢二十五名、それに一組の師弟を加えた二十七名は、ブラッド・ブレットが待ち受けるであろう茨の道に乗り出した。
◇◇◇◇◇◇
気づけば雨雲がそばまで接近している。ロンドン率いる近衛騎士団一行は、滴る血を頼りに馬を進めていた。
先頭で指揮を執る団長を頂点とし、集団は三角形を形作る。万が一敵から急襲されても被害を受けぬよう、レオナルドは部隊後方中央部に配置された。
彼自身は前の配置を懇願したのだが、ロンドンがこれを許さなかった。クルセイダーは弟子の護衛を託され、彼と同じく部隊後方で構えている。
一行はまたたく間に王都を抜け出し、幼児の背丈ほどまで成長した草が茂る野原を駆け抜けていた。
雨雲と追いかけっこしつつ、馬をしばらく進めると、場の雰囲気にそぐわない丘が現れた。
「止まれ」 右拳で合図しつつ、ロンドンが指示をする。
「この裏だ」 どうやら弧を描くように、丘の裏側へと血が滴っているようだ。
丘裏に回った騎士団を待ち構えていたのは、不気味な洞窟だった。表から見れば緑豊かな小山だったのが嘘のように、草木の禿げた巨大な岩壁が顔を出したのだ。
青々と広がる草原にぽつりと存在するそれは、まるで難攻不落な遺跡のようである。巨大な岩にある稲妻型の割れ目が、その入り口のようだ。
滴る血は、洞窟の入り口で途切れていた。空気は一瞬にして張り詰めた。この先に、奴らがいる。
洞窟の中から吹く冷たい風が、団員の体にしみる。内部は薄暗く、忌まわしい雰囲気が立ち込めていた。
「馬を下りろ。隊列を組み、私に続け」 ロンドンは意を決したように声を絞った。
足を踏み入れた途端、暗闇が迅速に迫ってくる。ここまでと同様に、騎士団は団長を先頭に進軍した。
クルセイダーとその弟子も、変わらず隊列後方に陣取る。彼らの後ろには五名、前方には二十名の団員がいた。
最前列と最後尾の二人が巨大な松明を掲げ、暗闇を慎重に前進する。地面には不規則に岩や小石が敷き詰められ、足元はおぼつかなかった。
団員の足音が反響し、洞窟内に響き渡る。凹凸が少なく、強硬な岩壁が、一層その音を際立たせていた。
ーーまずいな。これじゃ奇襲に気づけない。 クルセイダーは一抹の不安を覚えた。
乱雑な足場に、頑丈な壁。全てが策略の内なのだろう。聞き耳を立てようが、反響する足音のせいで敵の襲撃を察知できそうになかった。
騎士団が洞窟に潜入して数分が経過した。洞窟内には敵はおろか、生き物一匹の姿もない。
あまりに敵の気配がないせいだろう、潜入直後にあった緊迫感は陰にひそんでしまった。引き締まっていた隊列の一部が乱れ、前方からひそひそと喋り声が聞こえてくる。
「おいおい。遠足じゃないんだぜ?」
拍子抜けした団員のあきれ声がした、その時。クルセイダーの背後の明かりが消えた。自ずと隊列後方でどよめきが走る。
「予備の松明だ、レオ」
クルセイダーは咄嗟に指示をする。数秒後、再び明かりはもたらされた。
ーー...いない。いつの間に......。 クルセイダーは唇をかむ。
彼の後ろにいた五人の姿が、跡形もなく消えている。
クルセイダーはてっきり、敵は洞窟の奥に潜むものと仮定していた。正面衝突になると思っていたばかり、後ろへの警戒を怠っていたのだ。
ーーにしても、俺を出し抜いて五人もかっさらうとはな。どうやら本当に、ただの盗人じゃなさそうだ。
「下手に動くなよ。敵は洞窟になれてやがる。地形にも、暗闇にも」
クルセイダーは声を張り上げる。先頭にいる団長が後方の事態を把握するには限界がある。現状における指揮官の適役はクルセイダーだった。
「おそらく、第二波が来る」 クルセイダーは目を凝らした。
明かりを持つ団員を始末すれば、否応にも騎士団は襲撃に気付く。言わば宣戦布告である。
小手先の奇襲はここまで、いよいよ本格的に開戦する。今しがたの襲撃はそう合図したに違いない。
彼の煩い通り、騎士団のとは違う足音が迫ってきた。
少しして、遠方に黒服に身を包んだ集団が現れる。およそ二十人くらいだろう。今度は接近を隠す気など毛頭ないようだ。騎士団と同様に照明を掲げ、足音も殺していない。
あと数十秒もすれば、敵軍と騎士団とがぶつかり合う。
ーーあからさまに仕掛けてきたな。それもかなりの人数だ。
「奴ら、はなから背後を狙うつもりだったのか」 松明片手に、レオナルドはつぶやいた。
「ある意味正解だ」
クルセイダーは含みのある返事をする。弟子の顔は面白いくらい曇った。
いくら頭が冴えると言えど、彼の実戦経験はまだ甘い。戦況を把握する力ほど、経験に左右されるものはないのだ。
「あの集団、
わざわざ洞窟におびき寄せたのには、必ず訳がある。単に後ろから襲うだけなら、騎士団がここに来る道中でも仕掛ける機会はあったのだから。
十中八九、洞窟の奥に敵の本陣がある。敵の襲撃は、いまだ罠の段階にすぎない。クルセイダーはそう確信していた。
問題なのは、囮を託された数が二十を超えることだ。主力部隊が囮の人数を下回るなんて馬鹿な話はありえない。奥にはこれ以上の大部隊が待ち構えているはずだ。
対する騎士団軍は総勢二十七。数だけで見れば、騎士団が不利なのは現時点で明らかだった。かと言って、律儀に囮相手に二十も人手を割くわけにはいかない。
ーーだとすれば、この場を切り抜けるには......。
「ロンドン!」
クルセイダーが叫ぶ。敵がここに到達するまで残り二十秒程度、彼は結論を導き出した。
「ここは俺が受け持つ。騎士団を先に行かせろ。時間がない、反論はなしだ」
了承の返事こそないものの、団長は指示を受け入れてくれたようだ。一時停止していた騎士団の隊列は、再び前に進み始めた。
「レオ、お前もだ。一刻も早く助けてやれ」
彼の婚約者の身柄は、敵の本拠地付近に違いない。クルセイダーは浮かない表情の弟子を奮い立たせた。
「後ろの軍勢は、クルセイダーさんは、どうするんです?」 レオナルドは師匠の腰に目をやった。
一人で相手をするなんて無茶だ。ましてや木刀でなんて。彼の目はそう訴えかけている。
「囮だろうが敵は敵だ......問題ない」 クルセイダーは腰の木刀に手をかけた。 「迎撃する」
クルセイダーの指示通り、近衛騎士団一行は先へ急ぐ選択をした。この場に残ったのは、彼ただ一人。今や敵軍勢は、彼の目と鼻の先まで迫っている。
ーー
刹那の間に木刀を抜き、集団を牽引する敵の腹めがけて振り抜いた。
木刀の餌食になった彼は、その衝撃のあまり宙を舞う。やがて鈍い音を立てて大地に直撃し、ピクリとも動かなくなった。
「悪いな」 クルセイダーがにらみを利かせて言い放つ。
瞬きの速度で一人やられたのだから無理もない。敵はクルセイダーに怯んだようだ。集団の勢いは止まるどころか、のきなみ数歩後ずさった。
「この先にどうしても行きたい奴がいるのなら、通してやるよ」
クルセイダーは畳みかけた。木刀を地面に突き立て、意地悪げに歯をのぞかせる。
「命と引き換えにな」
ーー
一人、また一人。組織の人間が倒れてゆく。彼らからすれば、何が起こっているのか理解できないだろう。自身と仲間との隙間に強風が吹いたかと思えば、一撃で意識を刈り取られるのだから。
気づけば二十人強の集団もあとわずかである。残り、三人......二人。
ーー終わりだ。 クルセイダーが最後の一人に切りかかった。
だがその一撃は、今までのようにはいかなかった。
振り下ろした木刀に合わせて、真剣が突き出される。敵がクルセイダーの速度についてきたのだ。木刀と剣がぶつかり、火花が散った。
クルセイダーとて、道具の不利はどうしようもない。その直後、木刀は真ん中でぽっきりと折れてしまった。
ーー
彼の頭によぎったのは、宿敵ーーヴィネザールだった。三十年前、クルセイダーの右腕を切り落とした男である。
クルセイダーが注意を欠いたとはいえ、奴は当時、彼の
ヴィネザールの組織内の立ち位置は不明だが、あれから三十年、彼以外にも
「少しは骨があるようだな」 クルセイダーは半分になった木刀を握りなおす。 「折った時点で勝ったとでも思ったか?」
ーー少々間合いを詰める必要があるが、それだけの話だ。
クルセイダーは腰を落とした。先ほどよりも強く、大地を蹴りだす。踏み切った地点にはひびが入り、その威力がうかがえた。
先ほど加速術式に反応されたのもあって、直接仕留めようとはしなかった。
一瞬にして敵の背後に回り、がら空きのうなじめがけて木刀を振りかぶる。今度こそ標的をとらえたかに思われたが、敵はすんでのところで振り向きざまに剣を構え、守りの型を完成してみせた。
「小悪党にしては上出来だが、甘かったな」 クルセイダーは木刀を振りはしなかった。 「フェイクだ」
攻撃するのではなく、またしても敵の背後に回り込む。
完全に打撃を受けるつもりでいた敵は意表を突かれ、ついに振り切られてしまった。
クルセイダーの動きに全く対応できていない。三度目の正直である。クルセイダーは隙だらけの首元に木刀を叩き込んだ。こうして、二十人余りの敵部隊は壊滅したのだった。
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