十七年前

 十七年前



 ある真夜中のこと。人里を離れた孤島の岸辺に、一隻の船が漂着した。

 乗組員はたったの一人、筋骨隆々な男であった。大柄な体のいたるところに痣や傷がある。彼は随分と疲弊しており、船から降りるや否や浜辺に寝転んだ。大陸から孤島まで、三日三晩オールをこぎ続けたのだから無理もないだろう。



 彼がこれほどの苦労をしてまで島に赴いたのには、当然理由がある。



 丸一日以上眠り続けたのち、彼は目覚めた。明け方のようである。冷たい潮風に髪をなびかせ、遠方に現れる眩しい朝日に目を細めた。


 彼は島の中心めがけて足を動かす。大地は中央に近づくほど隆起しており、島全体で一つの山のようだった。

 辺りには人を呑み込まんばかりに草木が生い茂り、とても満足に歩けたものではない。

 本来ならよそ者が訪れることは決してない奥地である。ご丁寧に道が整備されたりはしないのだ。


 じきに日は上り、空気が温まってくる。彼は一心不乱に山を登るしかなかった。その頂に求めるものがある、そう信じるほかなかったのだ。

 一切手入れされない地形の登山、並の人間では到底成しえない所業であろう。ただ彼は職業柄、日々体を酷使していた。それが功を奏したか、ついに男は険しい道中を乗り越え、頂上へとたどり着く。


 彼が目にしたのは、一般的な山の頂上とは幾分違う光景だった。

 ここまで彼を苦しめた自然の荒々しさは忽然と消え、平坦な大地が広がっている。言い換えれば、人が手を加えた形跡があった。

 至極遠くから山を見れば、極めて上辺の短い等脚台形のように見えるだろう。どれだけの時間を要したかは検討もつかない。誰かが山の頂上を切り崩し、平らな土地を作り出したのだ。そして彼はその誰かに、心当たりがあった。


 見渡してみれば、更地の奥にこぢんまりとした小屋がたてられている。とうとうお目当てのものを見つけたのだ。彼は足早に小屋に駆け寄り、その戸をたたいた。


「よお、邪魔させてもらう」 



◇◇◇◇◇◇


 十三年前、二人の剣士がその道を退いた。


 一人はフロイド・ハウランド。王国最強の騎士団である近衛騎士団に所属した若き剣士である。彼はとある作戦にて、犯罪組織ーーブラッド・ブレットと交戦の末、その命を落とした。


 一人は、ダビデ・クルセイダー。彼もまた、同じ作戦に参加していた。作戦にて、彼は二つを失った。右腕と、剣士としてのである。その数日後、彼は騎士団から姿を消した。



 クルセイダーはここ十三年を、誰も寄り付かない無人島で過ごしていた。

 ここにいれば、やがて全てを忘れられる気がした。かつての己の無力さを、いつか許せる気がした。


 けれど神は、それを許してくれなかった。十三年前、彼から弟子を奪うきっかけを作った張本人が、目と鼻の先に現れたのだ。ちょうど、食料である木の実の調達から戻ったところだった。


 十三年の年月が経とうと、後ろ姿一目でわかる。忘れられるわけなどなかったのだ。

 十三年間押し殺していた激情が、彼の中から沸々と湧き上がってくる。彼はこみ上げる殺意をごまかすため、採集した実が詰まるかごをその場に置いた。そして、自身の隠居暮らしに立ち入ろうとする不届き者に声を掛けた。



 「何の真似だ。ロンドン」 とてもじゃないが歓迎する気にはなれない。口調は極めて厳かだった。


「久しぶりだな、クルセイダー」 ロンドンは振り返らなかった。代わりに、彼は腰の剣に手をかけた。 「お前と、決闘しに来た」



 次の瞬間、ロンドンは振り向きざまに剣をふるう。されど、彼の一振りがとらえたのは空気だった。クルセイダーはロンドンの攻撃を何となしにかわしたのだ。


「ちょうどいい。お前を何度殺そうと思ったことか」 クルセイダーが吐き捨てる。


続けて腰を落とし、腕を引き締めた。臨戦態勢である。


「剣を抜かないか。さもないと死ぬぞ」 ロンドンはクルセイダーの右腰あたりに目配せをする。


「やってみろよ」 クルセイダーは嘲笑する。


彼はただ、ロンドンを奈落の底にでも埋めたい気分だった。これ以上生きていられないほどの屈辱を、ロンドンに与えてやりたかった。


「私はこの十三年、血反吐を吐いて戦い続けたんだ」 クルセイダーの挑発に、ロンドンの怒りは頂点に達したようだ。 「二重加速ダブルアクセル」 


ロンドンは大地を蹴って猛突する。だがまたしても、彼の剣は虚空を切った。クルセイダーの動き出しが彼を一歩上回ったのである。


「図に乗るなよ、クルセイダー。今や三重加速トリプルアクセルを使えるのは貴様だけではない」 


「勘違いも甚だしいな。今のは二重加速ダブルアクセルの応用に過ぎない。図に乗るなだと? その言葉、そっくりそのまま返してやる。十三年前から何一つ進歩していない、お前の術式はなってねえ」 


ロンドンの表情がわかりやすく強張った。耳は赤く染まり上げ、すっかり狼狽しているようだ。


ーーいい気味だ。 クルセイダーは内心嘲りつつ、手招きでロンドンを挑発する。


「はったりを言うな!」 自身の混乱を払拭するべく、彼は吠えた。 「私が十三年前と同じだと...ほざきやがって。三重加速トリプルアクセル!」



 この十三年間、ロンドンは死に物狂いで特訓した。それは紛れもない事実である。

毎朝毎晩剣を振り、魔術の洗練に務めた。騎士団の任務がどれだけ大変だろうと、一時たりとも手を抜かなかった。

 全てはより強力な力のため、三重加速トリプルアクセルを体得するため、騎士団の勢力増強のために。一人の剣士としてやれることはすべてこなした。


 彼は二十歳にして近衛騎士団大佐まで上り詰めた男である。言わずもがな、並の人間以上に才能に恵まれていた。

 そんなロンドンが血の滲む努力を惜しまなかったのだ。才能と努力がかけ合わさったとき、結果が出るのは条理である。ロンドンは魔術・剣技共にめきめきと成長し、今では次期団長の座が確約されていた。現団長の退任後、彼が最高指導者として近衛騎士団を率いるのだ。



 しかし、世の中上には上がいる。


ーー遅え。 


 ロンドンの渾身の一撃を、十年以上の年月をかけて習得した三重加速トリプルアクセルを、クルセイダーは呼吸するかの如くひらりとかわしてみせた。


 それだけではない。

 クルセイダーは一瞬にして背後に回り、剣を奪い取ったうえで、ロンドンを投げ飛ばした。無様に大地にたたきつけられた男の首元に、間髪入れずに奪った剣を突き付ける。



 「な......に?」 ロンドンのうめき声がした。


 自分でも訳の分からぬまま、彼の体は宙を舞ったのだ。あまつさえ、自身の剣でとどめを刺されようとしている。

 どうしてもクルセイダーにはかなわない。一生研鑽を重ねようが、彼の足元にも及ばない。ロンドンは、それを否応にも自覚させられたのだった。



 ーーさて、どうしたものか。


クルセイダーは足元に転ぶ人間を、殺したいほど憎んでいた。


ーー安易に命を奪うのでは物足りない。苦しめに苦しめて、これ以上ない生き地獄を味合わせてやる。 


 だからこそ、次にロンドンの口から出た言葉は、彼の意表をつくものだった。あまりの意外性に、クルセイダーが剣と取り落としたほどだ。


「安心したよ」 打ちのめされたにもかかわらず、ロンドンは満足げである。 「実力は健在のようだな、よ」 



 総勢百人に上る近衛騎士団は、六つの部隊に分けられている。計十五人で形成される小部隊が五つ。二十五人で形成される大部隊が一つ。


 小部隊を率いるのは決まって大佐、大部隊を率いるのは団長であった。団長はもちろんのこと、大佐に任命されるのも優秀な人間である。

 そんな優れた人材を称えるべく、騎士団の一般兵は、五人の大佐に団長を加えた部隊指揮官らをと呼んだ。


 六等星は特別な存在だった。実力者なだけあって、部隊の指揮権以外にも特権が与えられたのだ。大規模な武器の使用許可、国家の機密情報。精鋭尽くしの騎士団の中でも、彼らだけが所有を許された権利の数々である。


 六等星だけが知る情報、そのうちの一つ。それを、彼らは幻の七人目と呼ぶ。


 またの異名を、剣聖。

 剣技・魔術共に人智を超える力を持つことから、その称号があたえられた伝説の剣士。彼は騎士団の秘密兵器だった。


 彼の存在が極秘事項なのは、あまりの強力さゆえ、安易に知らしめるのは危険と判断されたからだ。

 もし仮に一般兵まで情報伝われば、いずれ民間人に広まり、敵国にまで伝達する可能性が高い。文字通り、秘密兵器としての役割を全うするため、彼の存在は公にならなかったのである。


 そのため、彼は正式な騎士団員ではなかった。言うなれば百一人目である。実力を隠し、ただの一般兵として任務に参加する。戦の舞台で彼は目立たずに暗躍し、多くの成果を上げた。

 実戦経験の少ない団員の育成を引き受けたりもした。それが他でもない、ダビデ・クルセイダーの正体である。



 ロンドンは体を起こすと、正座の姿勢で座り込んだ。


「お前に頼みがある」 両手を身体の前で組み、額を地にぴったりとつける。 「この通りだ」


「何様のつもりだ。どの面下げて......お前は」 クルセイダーは腹わたが煮えくり返る思いだった。


 彼からすれば、ロンドンは殺人者も同然だ。最愛の弟子を奪われた恨みは十三年ごときで消えやしない。殺したいほど憎むと同時、もう二度と顔をみたくない相手だった。その男が今、あろうことか、自らに頼みごとをしている。


「受け入れるはずがないだろう。俺が...お前の頼みなど」 クルセイダーの声が徐々に大きくなった。


「フロイドのことは、すまなかった」 視線を上げはせず、ロンドンは一層深く頭を地面にめり込ませる。


「息子同然だった!!」 クルセイダーは吠えた。


 この十三年間、彼の心には常にフロイドがいた。

 人里を離れようと、剣を置こうと、彼を忘れることができない。あの日の過ちを、許すことなどできなかった。


 フロイドは若く、才能に恵まれた剣士だった。修行を続ければ、いずれは優秀な団員になったことだろう。

 何より彼は、クルセイダーの一番弟子だった。フロイドの成長を見守るのが、当時は心のよりどころだった。教えた技術を次々習得し、強くなり続ける弟子の姿を、いつまでも見守っていたかった。


 「それをいとも簡単に、お前は切り捨てたんだ! お前がフロイドを死に追いやった!!」 


クルセイダーの怒号が周囲一帯にとどろく。肩はわなわなと震えており、強く握りしめた拳からは血が滴っていた。


 「私は大義を優先した! 数多といる国民の安全を優先した!」 


感情的になったのはクルセイダーだけでない。彼に負けじと、ロンドンも唾やら涙やらをまき散らしながら叫んだ。地面にこすりつけた額には血がにじんでいた。


「それが私の、だからだ!!」 


 ここで言う信念とは、通常のとは少し意味が違う。剣士が持つ信念とは、何があろうと曲げてはならない掟のようなものだ。

 自分自身に課した、いわば十字架である。一人前の剣士は皆、己の信念を持ち、それを絶対の行動基準とするのだ。


 逆に自らの信念に反した場合、それは剣士としての終わりを意味する。己の信念を貫き通し、その生涯を終える。これが剣士の美学とされていたからだ。



 剣士の道を歩んだのはクルセイダーも同じである。彼は誰よりも、信念が持つ力の大きさを理解していた。


 かつてヴィネザールはそう言った。仮に現実になろうものなら、どれだけの命が犠牲になるのだろう。


 確実に奴をとらえる。それが最優先事項だ。何としても自白剤を飲ませねばならん。十三年前のフロイドの言葉が、嫌にはっきりとクルセイダーの頭に浮かんだ。


ーー己の信念を貫くため、こいつはフロイドを切り捨てた。いや、違うか。切らざるを得なかった。王国の平和を按ずるならば、あの場ですべきはヴィネザールを捕虜にすること。それは間違いない。


 ロンドンの信念を聞いた今、クルセイダーは彼がした選択に納得がいった。

 信念が剣士に及ぼす効力は、それほどまでに大きいのだ。、クルセイダーは目先の人間が許せなかった。




 「頼む、クルセイダー」 彼の懇願には嗚咽が入り混じり、額周辺の大地は紅に染まりあげている。


 クルセイダーの知る限り、ロンドンはすこぶるプライドの高い奴だった。その男が涙を流し、己を苔にした相手に向けて土下座する光景は、異様でしかなかった。


 怒りを吐き出したのもあって、クルセイダーはいくらか落ち着きを取り戻していた。その上この状況である。これ以上怒号を飛ばす気にもなれず、不意に生じた疑問をそのまま尋ねた。



 「ブラッド・ブレットはどうなった? 奴らの狙いは?」 


「十三年前以来、奴らは雲隠れしている。当然、真の目的も不明のままだ」 そう言って、ロンドンはぽつりぽつりと語りだした。



 まず、事の発端となった例の取引について。全商品の目録を要求された、田舎町の武器商人。

 戦いの終結後、騎士団は彼の身辺調査を最優先した。実際に取引された書類、取引を持ち掛けた人物の詳細を探るためである。


 しかし、そううまくはいかなかった。

 事件の翌日、騎士団が彼の営む商店を訪れると、すでに店主は殺されていたのだ。案の定商品は持ち去られ、肝心の目録も跡形もなく消えていた。


「ちっ。何から何まで先手を取られたってか」 クルセイダーが吐き捨てる。



 まあそう言うな、とロンドンは話を続けた。一見すると手がかりは失われたように思えるが、思いがけず取引の核心に迫ることに成功したのだ。


 重大な証人が殺害されたのなら、その周りを当たるまでのこと。

 騎士団は田舎町の住民を片っ端から尋ね回り、過去に彼から武器を購入した人を見つけだした。

 一時的にそれを証拠として押収したのち、その製造番号やらをくまなく調査した結果、驚くべき事実が判明したとか。



 「あの小店、裏に親玉がいる。アージテイルだ」 


 アージテイル。ブリタニック王都に拠点を構える、王国を代表する武器商店だ。個人客は受け入れず、近衛騎士団を含む、多くの軍事組織が頼りにする名店である。


 それだけ大規模な店となれば、自然と危険度の高い武器も扱う。民間人の所有は許されていない、殺戮性の高い兵器だ。そんな強武器を違法に取引されては、それこそ犯罪者の思うつぼ。だからアージテイルにおける売買の流れは、国が主体となって監視し、不正なやり取りが起こらぬよう徹底されていた。



 「何だと?」 クルセイダーが唸り声を出す。


「小店の商品は、アージテイルから送られたものだった」 


当然、アージテイルが田舎町に商品を流すことは許されていない。


「強力な品は控えていたようだが、確かにアージテイルは例の小店に商品を輸送していた。この意味が分かるな? 最も恐れていた事態だ」 


「ブラッド・ブレットの本当の取引相手は......アージテイル」 


 取引されたのが数多の目録、当初は不可解だったその理由も、裏でアージテイルが糸を引くとなれば大方推測が付く。


「どれだけ強力で大規模な兵器だろうと、目録はただの紙切れだ。輸送は容易いだろうな。組織はすこぶる残虐な兵器の図面を、数多く手中にした。それらを改造して、新たな兵器でも作り出す魂胆かもわからんな」 



 問題はそれだけではない。そもそも、アージテイルへの国の監視は完ぺきなはずだった。一切抜け目がないはずだったのだ。何十もの厳重な点検のもとに、アージテイルの売買は成り立っていた。それが崩されたということは、すなわち、を意味する。


「アージテイルの件といい、かねてのヴィネザールの脱獄劇といい、ブラッド・ブレットには協力者がいる」 


「それも小物じゃない。アージテイルの不正をもみ消せる人間はごく一部、ブリタニック王国の最上層部だ」 ロンドンはそう付け加えた。


殺された商人は、知らず知らずのうちに利用されただけだろう。仮に組織の仲間なら、近衛旅団に情報提供なんざしないからだ、とも。



 「十三年前以来、雲隠れしてるってのは?」 


 事の経緯を聞けば分かる、例の取引は綿密な計画のもとに実行されたものだ。それほどの重大任務をやり遂げたにも拘らず、組織が次の行動を起こさないのは何故だろう。クルセイダーはその旨が知りたかった。


「言葉の通りだ。奴らはここ十三年間、一度たりとも姿を見せていない。組織におけるヴィネザールの立ち位置は、どうやら我々の想定よりも高いようだ。雑魚が欠けたところで大人しくはなるまい。組織にとって奴は、代わりのきかない人材なんだろうよ」 


五十メートルの崖から転落。ロンドンが思う通り、ヴィネザールが生きている可能性は低いだろう。 


「それだけに......奴を生け捕りできていればな」 ロンドンが歯を食いしばる。


「すまねえな。俺がしくじったばかりに」 自らの不注意で、ヴィネザールを取り逃がした。十三年前を回想しつつ、クルセイダーは詫びる。


「謝ることはない。気が乱れて当然だ、フロイドはお前の一番弟子だったのだから。私はそれを忘れていた。全責任は私にある」 


 クルセイダーは今しがたの謝罪を後悔した。どんな理由があろうと、ロンドンには弟子の名を言葉にしてほしくなかった。


 収めたはずの憎しみが、再度沸々と湧き上がる。それもあってか、クルセイダーは口をつぐんでしまった。



 「十三年前と比べれば、騎士団は弱体の一途をたどっている。かつてのお前に渡り合う実力者がいないのが、最大の要因だ」 


数分間の沈黙の末、ロンドンが口を開く。


「お前は知る由もなかろうが、お前が騎士団を去って以降、私は死に物狂いで特訓した。当初の目的は四重加速の会得だった。結果はこの様だ。四重加速はおろか、三重加速にすら十年の歳月を要した。私はお前の足元にも及ばない。まるで力不足だ。片腕のお前に惨敗した」 


「今は息をひそめているブラッド・ブレットだが、今後一切音沙汰がないとは思えない。奴らのほかにも、王国を襲わんと企む敵はいる。このまま騎士団の勢力が衰退し続ければ、いずれ王国は滅びるであろう......私には、ブリタニックを守れない」 


ロンドンなりに思うところがあったのだろう。一度は落ち着いた彼の嗚咽が再燃した。


「今一度乞う。この通りだ。私は、頼みがあってここに来た」 


またしても、ロンドンは地に額をこすりつける。心身ともに削り切られたらしい。声に張りがなく、体の動きは鈍かった。



 「お前は......何を願う」 意志と関係なく、クルセイダーの口から声が漏れた。


「息子に剣を、教えてやってくれ」 


「お前の剣技、加速術式を次の世代に引き継がねばならん。未来永劫、王国の平和を守り抜くために。私が掲げた信念を果たすために」 



ーーこいつは、何も間違ってない。 クルセイダーはそう認識した。


 近衛騎士団の中枢が、かりにも三重加速をものにした男が、啼泣混じりに息子の教育を頼むなんて、並大抵の決意ではできやしない。プライドを捨ててまで頼みを乞うのも、フロイドを見限ったのも、すべては信念を貫き通す決心に他ならなかったのだ。


 王国を守る、立派なことだ。この行いが穢れているとは思えない。

 クルセイダーに信念があったように、ロンドンにもまた信念がある。それを理解した今、クルセイダーに断ることはできなかった。



 「若い肉体は術の習得に向いてはいるが、幼すぎても負荷に耐えられない。ガキが十になったらだ。お前の何倍も優秀な剣士にしてやるよ」 



◇◇◇◇◇◇


 男がこれまでの人生で、これほどまでに打ち砕かれたことはなかった。


 少年期から才能を見込まれ、最年少で近衛騎士団に入団。めきめきと力をのばし、若干二十歳にして騎士団の大佐に就任。その後も努力を欠かすことなく、立てた目標を続けざまに成し遂げ、ついには次期団長の座を言い渡された。


 高貴な貴族令嬢との婚約も決まり、私生活も順風満帆。公私ともに充実し、まさに絵にかいたような人生だった。



 それがたった今、たった一人によって完全に否定された。十年以上もの間血も汗も流さず、のうのうと田舎で暮らしていた片腕の剣士に。己の限界を、努力では超えられない壁を、身をもって思い知らされたのだ。


 持って生まれた才能に大差はない、心の隅でそう信じていた。

 近衛騎士団で経験を積み、鍛錬を重ねれば、いつか彼に届くと過信していた。全てが、間違いだった。



 けれど、男の心はどこか晴れている。


 華やかに見えたこの十三年間、男は誰よりももがき、苦しんだからだ。死ぬ気で追い込もうと、四重加速には届かなかった。剣聖と称された彼との差を、ひしひしと感じる日々だった。彼が騎士団を去った今、国を守れるのは自分しかいない。そんなプレッシャーに、毎晩押し殺されそうだった。


ーー私は、解放されたんだ。やっと......ようやく。 心の底からそう思えた。


ーー私は信念を曲げずに済んだ。国を守るために、最善を尽くした。 この瞬間、長らく心をむしばみ締め付けたわだかまりが解けたのである。



 「お前が恩師じゃあ、ろくな剣士にならねえだろう。魔術は教えてやる。剣技は、できる限りになるがな」 クルセイダーはあいまいに付け加える。


「できる限りだと?」 


「修業の完遂は約束しかねる。俺にはもう、剣士としての信念がねえ」


 一人の剣士が貫く信念は、その師から受け継ぐという風習がある。

 弟子が修行を終えた証として、師匠から信念を授かるのだ。逆に言えば、信念を引き継がない限り、見習いが修了したとは言えないのである。



 「俺はもう二度と、剣は握らん」 


 クルセイダーはもの悲しげだ。亡き弟子を思い浮かべているのだろうか、とロンドンは思った。


「ならばお前、その腰にぶら下げてるのは?」 


「これか? 木刀だよ。護身用さ。この島、獣が出るんでね」 


クルセイダーが抜いたのは、刀と呼ぶには及ばない、ただ枝を削って棒状にしただけの木刀もどきだった。


 嘘をついているとは思えない。クルセイダーは本当に剣から離れたのだ。


 騎士団を去る直前、彼が失ったのは一番弟子と右腕。

 クルセイダーは、腕一本ごときで剣を捨てる弱き男ではない。そんなことは重々承知している。


 とすれば、彼の信念にはフロイドが関連するのだろう。一番弟子の喪失が、クルセイダーの信念を砕いたのだ。信念に背いた自身への戒めに、彼は剣士の道を下りたのだろう。



 「十三年もの間、お前は身勝手な都合で俗世間を離れていたのか?」 


先刻己を苔にした腹いせに、ロンドンはその心内をぶつける決意をした。


ーーどんな理由があろうと、逃げていいはずがない。この男以上に剣に選ばれた人間はいないのだ。 


 クルセイダーは怒るだろうか、今しがたの契約を帳消しにするだろうか。いずれにしよ、いい気持にはならないだろう。それでも、今言わなければ一生その機会を逃してしまう。彼は覚悟を決め、クルセイダーをにらみつけた。



 「ブラッド・ブレットは、いずれ必ず現れる。そのときお前は逃げるのか? 胸に刻んでおけ。奴らを倒すのが、お前の宿命だ」 


威勢よく言い放ったはいいものの、クルセイダーの返事はない。その代わり、彼は刺すような目でロンドンを睨んだ。怯みかけた自信を鼓舞し、ロンドンはさらにまくし立てる。


「ここに赴いたのは、お前にくぎを刺すためでもある。十三年前、ヴィネザールは何か企んでいた。それだけは間違いない。このまま奴らの思い通りになってみろ、それこそフロイドは無駄死にだ」 



 結局、クルセイダーからの受け答えはなかった。弟子の名を出そうにも彼の表情は変わらず、ロンドンにその心中は読み取れなかった。


ーーこれ以上長居する意味はない。 ロンドンは島を後にするべく立ち上がった。




 「ずいぶんと不思議な形だが、どうやった?」 


帰り際、一転して棘のない声でロンドンは質問する。


 改めて見てもやはり、頂上の地形は不自然であった。


「住みにくかったからな、切った」 そう返した彼は、意味ありげに木刀もどきに手を当てる。


「冗談......じゃなさそうだな」 訝しがった後、ロンドンは笑った。 


ーー化け物め。叶わねえわけだ。 



 「お前の気は知らんが、私はこの恩を忘れない。息子を、よろしく頼む」 最後にそう締めくくり、ロンドンは男に背を向けた。


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