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春を象徴するほのぼのとした昼下がり、剣士の特訓は始まる。広大かつ丁寧に整備された庭園がその舞台だ。
「
すらりとした高身長。栗色の髪の毛に、色白な肌。お手本のような好青年である。彼は若々しい声で術を唱え、師匠にとびかかった。
クルセイダーは教え子の一振りをすらりとかわす。攻撃を避けられた彼は勢いそのままに、ふかふかの芝生に倒れこんだ。
「敵だけに集中するんだ、レオ。俺の動きを感覚でとらえてみろ」
「してますよ。あなたが速すぎるだけです。クルセイダーさん」 レオナルドは肩をすくめる。
「速度自体は同じさ。同じ
相手を剣術のみで仕留める剣士にとって、この魔術は欠かせない。身体能力を極限まで高め、殺られる前に敵を切る。これが剣勝負における鉄則だからだ。
「お前は敵を目で追っている。視覚に頼りすぎだ」
ところでこの
目に入った光が視神経を通じて脳に信号を送る過程を省けるのである。つまりは眼球や首の動作を削減し、より無駄のない動きを可能にするのだ。
「そう落ち込むな。この年で
顔をしかめる教え子を見かねて、クルセイダーが声を掛けた。
今年十七歳のレオナルドは、王都の一等地に屋敷を構える、ブリタニック王国有数の名家の生れである。
彼が優れるのはその身分だけではない。若干十五歳にして近衛騎士団に入隊、歴史上最も年少で騎士団入りした逸材なのだ。
事実、
「もたもたしていられないんです。一刻も早く、僕は父上を追い抜かねばなりません」
彼の父親は、近衛騎士団の現団長である。騎士団唯一の
魔術としての格の違いはたった一段階、されどその難易度は
ーーそんな人間の息子ともなれば、プレッシャーを感じるのも無理はない。 クルセイダーはため息をついた。
彼が持つ実績とは差ながらに、世間のレオナルドへの視線は冷たい。常に父親と比較されては、非難されるばかりなのだ。
「気持ちはわかるが、レオ。とにかく急がないことだ。お前の父親が
「なら僕に剣を教えてくださいよ。魔術はもう十分です」 レオナルドは勢いよく起き上がった。
「午前中にみっちり鍛えたつもりだが、不服か?」
「ええ、不服です」 レオナルドは食い気味に肯定する。
「クルセイダーさん、僕の剣裁きを見て口出しするだけじゃないですか。魔術訓練のように実際に戦ってくれはしない。剣技こそ実技で磨かれるものなのに」
実際問題、クルセイダーが教え子と剣をまみえたことはなかった。
「口出しとは聞こえが悪いな。よきアドバイスと受け取ってほしいもんだ」
「はぐらかさないでくださいよ!」 レオナルドはいつになく大声で叫ぶ。
ーーこれ以上は、逃げられない、か。
「俺はもう二度と、剣は握らん。そう決めたんだ」 観念したクルセイダーは、低い声で告白した。
「かつて、剣士だったのですか?」 一転、レオナルドの声は柔らかくなった。
「初耳だったか?」
「ええ、父上からは三級魔術師と聞かされていました。剣の師匠が魔術師だなんて、訳が分かりませんでしたけど」
ーーあの野郎。
クルセイダーが自らの過去を話したことはない。レオが知らないのも当たり前である。
「よくもまあ七年も、胡散臭い術師の教えを聞き入れ続けたもんだ」 クルセイダーは変なところに感心していた。
「いざ指導を受けてみれば、とても魔術師とは思えない体裁きでしたから。動きが限りなく洗練されてますしね。何か裏があるな、とは思ってましたよ。何故剣を振らないのです? あなたが本気になれば、僕よりも先に父上を超えるに違いないのに」
「俺がお前の親父に劣るような言い草だな」 クルセイダーの眉がピクリと動く。
「そりゃあ、父上はただ一人の三重加速の使い手ですからね。いくらクルセイダーさんが二重加速を極めたところで、勝てないものは勝てませんよ」
ーー言ってくれるね。
クルセイダーに怒りはない。剣士の道を下りた己に、文句を垂れる権利はとうにないのだ。
「
クルセイダーの本心だった。だが彼の真剣さを無下に期すように、レオナルドは笑い転げた。
「四重加速だなんて、さすがに無理です。おとぎ話の世界ですよ」
笑いの収まらない教え子を前に、クルセイダーは首を傾げる。
「もしかして知らないんですか? 剣聖の都市伝説」
こうして修行にひと時の安らぎが訪れる。レオナルド曰く、彼が幼い頃大流行した噂があるらしい。彼はそれを師匠に語って聞かせた。
昔、近衛騎士団には秘密兵器があった。秘密兵器とは名ばかりに、それは馬力の高い戦車でもなければ、殺傷能力の高い毒薬でもない。
近衛騎士団の秘密兵器、それは一人の剣士だった。不可侵領域と揶揄された四重加速をも自由自在に使いこなし、最大の戦力として近衛騎士団を支えたと言う。彼はその功績をたたえられ、剣聖の肩書を授かった。ブリタニック王国の長い歴史において、剣聖と称されたのは彼一人だそうだ。
「剣士を志した者なら、残らず知っている逸話ですよ。僕だって、剣聖を夢見た時期がありました」
「ありました?」
「ええ。あくまで逸話ですから。誰だって、一度は超人的ヒーローを夢見るものです。そして成長するにつれ悟るんです。叶わないものは叶わないってね。剣聖なんて、幻の職業にすぎません」
呆気にとられるクルセイダーとは対照的に、レオナルドの饒舌さには拍車がかかる。
「だって信じられます? 四重加速を使いこなせば水の上を走れるらしいんです。足の回転が人が沈む速度を超えるとか何とかって。人間が水上を走るだなんて、誰が真に受けるんですか?」
レオナルドはけたけたと笑っている。
「なあ、レオ」 あまりに楽しそうなものだから、その哄笑はクルセイダーにも伝染した。 「五重加速を使ったら、どうなるんだろうな?」
「五重って......そりゃあ、空でも飛ぶのと違います?」
クルセイダーとて、人が空を飛べないことは十分に承知している。一足遅れて弟子の気持ちを理解するとともに、彼からもとめどなく笑いが溢れるのだった。
「噂話と言えば、ご存じですか? 最近名をはせる、とある盗賊団について」
花咲いた会話を枯らすことなく、レオナルドは意気揚々と口を動かす。今の彼にとって、修行の再開は二の次なようだ。
「その様子じゃダメそうですね。貴族の息子を教え子に持つ身ならば、ぜひ知っておいて頂きたかったのですが」
またしても首を傾けたクルセイダーに、弟子からの駄目出しが飛んでくる。
何でも、近頃悪事を働く盗賊団がすこぶる不気味らしい。
彼らが狙うのは金銀財宝でも巨万の富でもなく、貴族生まれの若人。王国の次世代を担うであろう名家の跡継ぎが、こぞって誘拐されるのだとか。
初めて事が起きたのは今年の一月。それ以降一切の前触れなく事件は起こり、先週四人目の被害者が出たのだそう。
四件の誘拐事件。標的の誰もが名家の令息令嬢となれば、その捜査は大規模なことこの上ない。にも拘わらず、目ぼしい手掛かりは何一つ見つからないそうだ。現場に痕跡は残されず、攫われた身柄の奪還も叶わない。犯人逮捕など夢のまた夢。捜査部隊はお手上げ状態のようである。
いかなる理由で名家の跡継ぎを攫うのか。なぜ一つとして手掛かりが掴めないのか。そのミステリアスさが一部の人間に火をつけ、こうして噂が拡大したそうだ。
怖いもの見たさとでも言うのだろうか、あまりに秀逸な手口を用いる犯罪者を応援する輩さえいるらしい。
「盗人に興味はねえよ」 クルセイダーはぼやき、空を見上げた。
「まるで他に本命がいるみたいな言い草ですね」
ーー妙に鋭い奴だ。 クルセイダーは度々感心した。
「俺としては、不本意だけどな」 クルセイダーは言及する間を与えずに、再び口を開く。 「さあ、修行の続きだ。もたもたしてられないんだろ?」
剣士という響きとは裏腹に、彼らの決闘の命運を分けるのは魔術である場合が多い。もちろん、剣技も必要ではあるのだけれど。
詳しく言えば、剣技
理由は簡単、攻撃が当たらないから。どれだけ強力な一撃であろうと、当たらなければ意味がないのである。
ある人間が二重加速状態に入ると、傍から見た速度は通常の二倍に、当人が見る世界の速度は通常の二分の一になる。となれば両者のエネルギー格差は、二の累乗倍。この差は決定的である。
非魔術師がどれだけ剣の鍛錬を積み重ねようと、魔術を有する剣士の足元にも及ばないのだ。すなわち敵よりも優れた加速術式を駆使することが、決闘の勝利に値するのである。
剣の実力が必要となるのは、加速術式が同レベルの者による勝負に限られる。クルセイダーが魔術に肝を置いて弟子を鍛えるのは、以上の理由があるからだ。
「レオ。お前の加速術式はまだ甘い。体内の魔術結界に綻びがある。これだと
加速術式の特徴は、単純かつ強力。いたって優良に聞こえるが、その代償は大きい。下手に素人が三重加速と唱えようものなら、体は崩壊するだろう。
魔術の負荷に耐えられず、初めに足先、次にふくらはぎ。そうやって下から順に骨が砕け散る。加速術式は命がけなのだ。だからこそ、特訓には細心の注意を払わねばならない。
「三重加速をいち早くものにしたいのなら、二重加速を安定させることが一番の近道だ。日常的に
無言で
ただし、無詠唱の習得はかなり難易度が高い。身体が完璧に加速状態に適応することが条件なため、術を半永久的に発動しても支障のない強靭な肉体が不可欠となるからだ。
「悪気はないのですが、クルセイダーさんはどうなんです? とっくに
レオナルドはためらいつつも、自らの探求心に従った。
「老体にはいささかしんどくてな。俺の術式をこれ以上進化させようものなら、先に体にガタが来るだろうよ」
弟子からは目をそらし、クルセイダーはぼそぼそと答えた。
「お前はまだ若い。肉体が新鮮であればあるほど、術式への順応性も抜群だ。決して時間は有限じゃないが、お前に残された未来は十二分にある。焦らず、ゆっくりとだ。安心しろ。必ずお前を親父超えの剣士に育ててやる」
ーーそう、約束したからな。
「はい。師匠」
しかし、彼らは知る由もなかった。
王国の未来に終止符が打たれようとしている。三十年前の因縁が、人々の安寧を揺るがす弾丸が、すぐそばにまで迫っていることを。
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