とある剣聖の落とし前

おしるこ

三十年前


 三十年前



 垂れこめる黒雲が一帯の空を覆い、細やかな雨を降らしている。

 荒々しい海を背後に従える、五十メートルの高さを誇る崖。いくら落下点が水だろうと、飛び込めばまず助からないだろう。そんな死と隣り合わせの崖上で、戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。


 陸地側に陣形を構えるは、近衛騎士団。選りすぐりの精鋭のみが入隊を許される、国家最強の騎士団である。今戦いに臨まんとするのは、騎士団を構成する六部隊の一つだった。



 「フロイド、お前は何もしなくていい。安心しろ、すぐに助ける」 


ーー俺が一人でけりをつける。 


「悪いがクルセイダー、この場における騎士団の指揮権は私にある」 


近衛騎士団大佐、ビリー・ロンドンである。発言の通り、この部隊の行く末は彼に託されていた。


「何が言いたい?」 クルセイダーが反論する。


「無駄口をたたくな、それだけだ」 



 騎士団に追い込まれ、崖際に陣取るは、悪名高き犯罪組織の一派閥。その名をブラッド・ブレット。決して表舞台に顔を出さず、数多の悪事を裏から牛耳る凶悪犯の集まりだ。表立って罪を犯すのではなく、あくまで陰で糸を引く。そんな彼らのスタイルゆえ、組織の全貌は謎に包まれている。

 例えば、千差万別の犯罪に携わる組織が掲げる真の目的。組織の規模なんかも未知数だ。噂では、何十もの派閥が存在するとまで言われている。



 闇に潜む極悪非道な犯罪組織、近衛騎士団はとうとうその尻尾を掴んだのだ。


 きっかけは些細なものだった。


 田舎町のしがない武器商人のもとに、取扱う品の目録を要求する書面が匿名で届いたのだ。商売上手で有名な彼は、一から十までの武器を取り揃えていた。

 その多種多様な武器全ての目録を欲する人物が現れたのである。いくら商売上手と言えど、所詮は田舎に店を構える一端の商人。複数注文すら稀だと言うのに、全武器の目録なんて前代未聞であった。取引を持ち掛けた人物の正体が掴めないのも奇妙な話である。


 あまりに不審だったので、商人は一連の流れを近衛旅団に報告した。

 近衛騎士団の下部組織である近衛旅団は、市民間のいざこざや商店の汚職等を取り締まる。そしてこの怪しげな取引は、瞬く間に旅団内で噂になり、やがて近衛騎士団の元へと届くのだった。


 謎の闇取引の黒幕は果たして何者か。極めて残忍な犯罪者が背後にいる可能性を考慮し、この件の対応は近衛騎士団に任された。


 騎士団は現場に張りこみ、取引を実行させたうえで、取引相手を尾行した。やがてその取引相手は、彼の仲間たちと合流した。


 幸か不幸か、事前の懸念は的中する。不審な取引の首謀者は、ブラッド・ブレットだったのだ。こうしてついに歴史上最凶の呼び声高い犯罪組織と、名実ともに国最強の近衛騎士団が相まみえたのである。



 「くっくっく。悠長にしていられるのも今の内だ」 



 粘り気のある純黒の長髪に、切れ長でつりあがる狐目。その瞳は黄土色に染まっている。名をヴィネザール、快楽殺人者である。謎多き組織内では数少ない、素性が割れている人間だ。彼の姿があったことで、追い詰めた連中がブラッド・ブレットの一味と断定できたのである。


 ヴィネザールは過去に大量無差別殺人の罪で牢に入ったが、何者かに手助けされ脱獄した経歴を持つ。この際、ヴィネザールは自らが監禁された檻の石壁を削り、'Blood Bullet'の文字を残した。


 これがすべての始まりだった。彼の脱獄以降、頻繁に犯罪現場に同じ書置きがされたのである。


 凶悪犯の脱獄は世間に公表されていない。当然、空になった牢に刻まれた文字も未公表。模倣犯の可能性はないのである。脱獄を果たしたヴィネザールと、それを手助けした仲間連中が、多くの犯罪に関与している。それは紛れもない事実だった。


 いつしか、彼らはその書置きから名をとって、ブラッド・ブレットと恐れられるようになったのだ。



 「くだらん。たかが一人に構うなど愚鈍極まりないことだ。いずれ、人っ子一人いなくなるのだぞ」 ヴィネザールは失笑した。



 現場にいる騎士団の総数は十三。対するブラッド・ブレットは七。

 人数的にも騎士団が有利、その上地の利もある。だが、彼らには攻撃をためらう理由があった。人質である。


 フロイド・ハウランド。若くして近衛騎士団の一員にまで上り詰めた剣士である。無情にも、将来有望なその命は敵に握られていた。最も崖際に佇むヴィネザールが、刃物を添えて彼を羽交い絞めにしている。フロイドは四肢を縛られており、抵抗できそうになかった。



 元はと言えば、近衛騎士団は総勢十六名で任務に臨んでいた。そして取引相手を尾行する際に、騎士団は四手に分かれたのだ。四人組の小部隊を四つ。万一捕え損なわぬよう、別角度から標的を視認する目的の作戦だった。しかし、これが仇となった。


 気づけば三人が殺され、一人が行方をくらました。小部隊の一つが壊滅したのだ。同時に、敵に仲間がいることも分かった。尾行に感づいた取引相手が、何らかの手段で連絡をとった仲間の犯行に違いないからだ。


 小部隊の一つがやられようと、騎士団が任務を投げ出すことはない。攫われた身柄を奪還し、ブラッド・ブレッドに一矢報いる必要がある。彼らは二度目の襲撃に備えつつ、尾行を継続した。そうして、今に至る。



 「貴様らが絶望する日が楽しみだ。王国全土が血に染まる、その日がな」 


ヴィネザールは高らかに笑う。自らが握る命に気を乱す連中が、面白くて仕方ないようだ。



 「絶対に奴をとらえる。それが最優先だ。何としても自白剤を打たねばならん。私は大義を果たす。時には犠牲もやむを得ない」 


ロンドンが苦い表情で言葉を絞り出す。


 組織におけるヴィネザールの詳細な立ち位置は不明だが、ある程度上層部なのは間違いない。その彼をにさえできれば、ブラッド・ブレットの謎を解明できる可能性が高いのだ。


 崖際に追い込まれた組織の手札は、人質ただ一枚。それさえ無効化できれば、生け捕りもかなり容易くなる。ロンドンは人質を切り捨てることで、生け捕りを遂行しようとしていた。


「俺はお前の犬じゃない。従う義理がねえ」 


 ただ、それを許せない男がいた。クルセイダーである。

 剣の才能に恵まれるフロイドは、彼の一番弟子でもあったのだ。まだ若く、未来ある弟子の命を見捨てるなど、彼にできやしなかった。


「無駄口を、叩くな! 光が差せば影ができる。誰ひとり余すことなく満たされる世界など机上の空論だ。私は一人でも多くの民の平和のため、確実に組織を撃つ選択をする」 





 「大佐!!」 突如、その場の誰しもを引きつける大声が響いた。


「私、フロイド・ハウランドは名誉ある近衛騎士団の一員であります! 悪を滅するため、この身をささげることに抵抗はありません!」 


渾身の叫びだった。彼の声は恐怖に震え、目には涙を浮かべている。


「やめろ! フロイド、動くな!」 


ーーどうする......。全力で駆ければ間に合うか? いや、刃が首にあてられた状況じゃ...... 


 勇ましい叫び声とは裏腹に、クルセイダーはためらいに溺れていた。


 両軍の距離は十メートルほど。ごくわずかな距離が極度に果てしなく思えたのは、彼にとって初めての経験だった。




 「ブラッド・ブレットを滅ぼすのが私の夢です、師匠」 


フロイドの目から一滴のしずくがこぼれ落ちる。彼はただ真っすぐに、天を見上げていた。


「後は頼みます」 


消え入るような声がした直後、フロイドは自ら、首を前に突き出した。


「今だ! かかれ!」 



 ロンドンの怒号は、クルセイダーの耳には入らなかった。


ーー......二重加速ダブルアクセル。 


騎士団の誰よりも早く、クルセイダーは敵陣に侵入する。ヴィネザールを取り囲む連中を潜り抜け、真っ先に下衆へと切りかかる。


「貴様だけが速く動けるとでも?」 


クルセイダーが今にも首を切り裂こうとしたとき、ヴィネザールはせせら笑った。彼は素早く横に飛びのき、クルセイダーの初撃は空を切るだけに終わる。


ーー殺す。 クルセイダーは無言で相手をにらみつけた。


ーー三重加速トリプルアクセル。 


 彼の足元にひびが入り、周囲には威風が吹き荒れる。全身全霊で目の前の人間を粉砕するべく、クルセイダーは剣を振りかぶった。次の一歩で敵を射程にとらえ、ヴィネザールの首は宙を舞う。そのはずだった。



 クルセイダーが剣を振り下ろす刹那、光を帯びた刃に映し出されたのは、弟子の亡骸だった。無惨に大地に寝転び、ピクリとも動かない。朱殷しゅあんに色づくフロイドの周りは、もはや別の世界のようだ。


ーー......フロイド。 一瞬だけ、クルセイダーの気が逸れた。ほんの一瞬のことだ。されどその一瞬が、命取りだった。


 首を落とすはずの攻撃は、標的の顔をかすめただけだった。クルセイダーの渾身の一撃を、敵はひらりとかわしてみせたのだ。

 攻守は一転し、今度はヴィネザールが牙をむく番である。彼がひと振りした刃が仕留めたのは、クルセイダーの片腕だった。今度はしっかりと、芯を捉えた一撃だった。



 崖をめがけて突っ走る背中が、クルセイダーの目に映る。

 去り行くヴィネザールを、彼は追いかけることができなかった。大切な弟子の亡骸を前にした瞬間、クルセイダーの殺意は朽ち果てたのだ。

 金輪際、フロイドが目を覚ますことはない。残酷的な確たる事実が、彼の心をむしばみつくしていた。





 降る雨は強まる一方だ。それに比例するように、周囲の戦闘も激しくなる。誰のかもわからない怒号が、体に入っては抜けていった。


 クルセイダーは孤立していた。頬を伝う水滴が雨か涙か、彼自身にもわからない。

まだ温かみが残るロンドンの身体を、クルセイダーは抱き寄せた。抱き合っていたにも拘らず、彼らは互いに孤独だった。


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