終章 その2

「その後、スカーレットはどうしたんだ?」

 街まで戻り、アトラスの入院している病院を訪ねると、やつはベッドの上で上体を起こして本を読んでいた。おれが病室に入っていくと、やつはおれが置いていった手紙を取り出し、事の顛末を話すように求めた。勝手にいなくなっていたのはおれの方とはいえ、やつの回復を喜ぶ間も与えられなかった。おれとしてはアトラスの様子や今後のことに関心があったが、一週間以上、無断で留守にした詫びだと思うことにした。

 スカーレットとの間のことで、隠し立てする必要のあることはほとんどない。秘密といえば彼女の告白くらいのもので、その辺りを省いた全てをアトラスに話して聞かせた。

「彼女はどこへともなく旅立った。しばらくは方々を見て回るそうだ」

 おれとスカーレットはいつかの再会を約束して、今はそれぞれの空を飛ぶ。未来のことは分からない。それでも、おれは信じている。遠く離れていても、本当は同じ空の下を飛んでいるのだと。

「お前の目的は果たせたんだな」

「ああ」

「それはよかった」

 会話が途絶え、アトラスは窓の方に視線を向けた。同じ方向を見ると、小さな鳥が窓辺から飛び立つところだった。

「アトラス。いつ目が覚めたんだ?」

「何日か前だ。検査は残ってるが、もう体に問題はない。それにしても、俺が起きる前にいなくなるなんて、薄情じゃないか」

「貴様の容態は安定していたから、心配ないと思った。だが、確かにそうだ。すまない」

「冗談だ。謝らせたい訳じゃない」

 アトラスはおかしそうに笑った。その表情にはどこか影があるように感じられて、おれは不安を覚えた。

「本当は、どこか悪いんじゃないのか」

「回復は順調だ。嘘じゃない」

 やつは努めて明るく振る舞っているように見えた。ひとたび疑念を抱いてしまうと、気になって仕方がなかった。

「何か、おれに言えないことがあるのか。貴様が何かを気にしていることくらい、見ていれば分かる」

「……そうだな。長い付き合いだからな、そういうこともあるか」

 降参するように肩をすくめると、やつは深呼吸した。気持ちを落ち着かせたいのかも知れない。

「今回のことで思い知らされた。どうやっても、俺はお前より早く死ぬ。元より寿命の差があるんだ、分かってたことだってのは否定しない。それでも、お前を置き去りにすることには罪悪感がある」

「貴様が気に病むことではない。人間の寿命の範囲内で長生きしてくれれば、それで十分だ」

 本心では、おれも同じ不安を抱えていた。アトラスがいなくなった後、おれはどうしたらいいのか。絆の深さはそのまま別れの辛さになる。だからといって、いつか来る別れを恐れるばかりでは、誰かと共にいることなどできない。

 どうにもならないことだ。この胸の内を打ち明ける必要などない。

「そんな言い方になるってことは、お前も気にしてるんだな。否定しても無駄だ。お前のことは分かってる」

「このことに関して、おれたちにできることはない」

「まあ、な」

 おれたちは黙り込み、何度も視線を交錯させた。これは永久に結論の出ない問題であり、その瞬間を経験することでしか答えを得ることはできない。おれたちが同じ時を生きるには、互いの時間の長さが違いすぎた。去る方も残される方も、等しく傷を負う。

 絆とは何なのだろうか。時間を共にすることなのか、別離によって相手の心に傷を残すことなのか。友とした誰もを失うことでしか、おれはつながりを実感することができないのか。

「ヴァーミリオン。お前はこの先、どうしたい? 飛行士を続けてほしいとは思うが、その道の果てで、お前はきっとひとりぼっちだ」

 アトラスの投げかけた問いが空虚に響く。やつはおれを気にかけていて、おれの望む通りにするつもりだった。しかし、おれには自分の望みが分からなかった。決して叶わないと互いに知っている願いを口にしても、おれたちの問題が解決することはない。

 これから過ごす時間の長さは解決策になり得ない。そもそも、その差異が問題なのだから。先に逝くアトラスと後に残されるおれが、どちらも心残りなくそのときを迎える方法など、存在するのだろうか。

 おれたちの間には友情という絆がある。これがなければ、おれたちはいつか殺し合った宿敵だった。そのままでいたなら、別離を恐れることはなかった。ならば、絆を結んだことが間違いなのか。

 そうは思わない。敵のままでいることには何の価値もない。友情の価値とは、それは比べるべくもない。

「おれたちが死に別れることは変えられないが、それはまだ先のことだ。その心配をするより、今を大切にしたい。その思い出を抱えて、おれは貴様のいない未来に進もう」

 大事なのは、共にある時の長さではなく、その密度だ。生涯に渡って振り返り続ける思い出があれば、その記憶がおれを生かしてくれる。淋しくはあっても、希望を捨てずにいられる。目には見えなくとも、手で触れることはできなくとも、確かにそこにある。いつも側にいる。それが心の支えになる。

「ま、しばらく先の話だってことには同意だ。今をしっかり楽しんでおこうぜ。それで、俺が年老いて死ぬときには看取ってくれよ」

「そういうことは家族に頼むものだろう。その頃には、貴様に妻子がいても不思議ではない」

「仮にそうなったとしても、お前だって俺の家族同然だ。血のつながりなんて気にするな。俺たちが決めたことが、俺たちの真実だ」

 アトラスは自信たっぷりに言い切った。やつは肩の荷が降りたように晴れやかな顔をしていて、おれも心が軽くなった気がした。いつか起こることばかりを心配していても仕方がない。そのときが来れば立ち向かわなければならないが、それまでの間は闇雲に身構えることなく、気楽に待ち受けたい。おれたちの想いとは関係なく、来るべき瞬間は訪れる。それは本来、恐れる必要のないものだ。ただ心のままに、日々を生きていけばいい。そうして積み重ねた時間が、いずれ訪れる全てのことに向き合う力になる。

「早く仕事に復帰してくれよ、アトラス」

「そんなにかからないさ。それにしても、俺たちはまるで比翼の鳥だな。本当は別々でも飛べるのに、自らそんな風になるなんてな」

「気にすることはない。貴様が最初に、おれを選んだ。同じように、おれは貴様を選んだ。それだけのことだ」

 決して運命的な出会いではない。何らかの宿命によるものでもない。単なる偶然か、時代の必然か、おれたちは敵として出会った。そこに自らの意思は介在していない。しかし、その先のことは、おれたち自身が選び取ってきた。だから、これからの未来に何が定められていようとも、同じように自らの手で選んでいくことができるだろう。

「じゃあ、改めて、これからもよろしくな、ヴァーミリオン」

「ああ、よろしくな」

 おれたちは固い握手を交わした。

 何だか気恥ずかしくなって窓の外に目を向ければ、そこには、いつの日も変わらない澄み切った青空が広がっていた。

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竜と飛行士の空 梨本モカ @apricot_sheep

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