断章 その4
炎が消えると、そこに屍竜の姿はなく、ただ白い灰が舞うばかりだった。残り火に照らされて、スカーレットは暗い気持ちでアリアの方を向いた。アリアはまだ青ざめた顔をしていたが、呪詛毒からは徐々に回復していた。彼女は自力で立ち上がり、スカーレットの方に歩いてきた。
「これで、オリーブはゆっくり眠れるんですね……」
アリアは涙を流し、スカーレットは彼女をそっと抱きしめた。一緒に泣きたい気持ちだったが、友を二度も失う悲しみは、彼女だけのものだった。
と、何かが風を切る鋭い音が響き、スカーレットはアリアに突き飛ばされた。呆然とする彼女の目の前で、アリアの体に何本もの矢が突き刺さった。
「アリア!」
スカーレットは倒れたアリアを庇おうと覆い被さったが、襲撃者を排除する力もアリアの傷を治す力も、既にほとんど尽きていた。自らの命を削ってでもアリアの傷を癒そうとしたが、彼女は呪いと毒で弱っていたところに、さらに致命傷を受けていて、手遅れだった。
「アリア……」
アリアは苦しそうに目を閉じ、浅い呼吸を繰り返していた。スカーレットは哀願するように何度も呼びかけ、避けられない別れを少しでも先に延ばそうと必死だった。
「約束、したはずよ。わたしを置いていかないで」
「ごめんなさい、スカーレット……」
二人の目が合い、アリアは儚げに微笑んだ。今にも消えそうな灯火を前にして、何もすることができない。スカーレットは自分の頬が濡れていることに気づき、生まれて初めて、心からの悲しみを知った。
「私が死んだら、あなたの炎で燃やしてください。もしかしたら、オリーブと同じところに行けるかも……」
「そんなこと、言わないで。お願い……」
自分が涙声で喋ることがあるとは思わなかった。それを自覚すると、スカーレットは涙が溢れて止まらなかった。
「あなたは、けっこう淋しがりですよね……」
「わたしは……」
スカーレットは言葉に詰まり、何も言うことができなかった。これほどまで誰かに側にいてほしいと願ったことはないのに、その相手はまもなくいなくなる。
「あなたに新しい出会いがあるように願っています。今までありがとう……スカーレット……」
アリアはスカーレットの涙を優しく拭い、その手が地面に落ちた。
彼女は息絶えていた。
帝国軍の攻撃が飛び交うのも構わず、スカーレットは身を起こした。アリアの亡骸を見つめて、彼女は泣き続けた。慟哭に終わりはなく、友の死を悼む想いが消えることはない。
兵士たちが集落に踏み込み、わずかばかりの生存者を最後の一人まで残らず殺していった。彼らは距離を置いてスカーレットを取り囲み、どう対処するか相談しているようだった。そうした全てを意識の片隅で感じながらも、彼女は少しも注意を払わなかった。彼女はただ、アリアに語りかけた。
「さよなら、アリア。最後のお願いは、ちゃんと叶えるわ。だから、安心して眠って」
強烈な光が辺りを真昼のように照らし出し、悲劇の全てを灼き払う。炎は集落の範囲をゆうに超えて拡がる。数瞬の後、辺り一帯の大地には草木の一本もなく、焦土だけが残されていた。集落を襲った帝国兵は誰一人として逃れられず、その命を終えた。
スカーレットの手の中に残っていたアリアの遺灰を、風が運んでいく。彼女が存在したことを示す、最後の痕跡が消えていく。力尽きたスカーレットは涙の海に横たわって、その様子を見ていた。
それから、果てしない時間が過ぎ去ったような気がする。それが数か月だったのか、数十年だったのか、彼女には分からない。
永遠の別れを告げ終えて、彼女は立ち上がる。
もう、涙は涸れ果てていた。
悲しみは癒されない。怒りは静まらない。だが、彼女の心を占めるものは、どこまでも深い憎悪だった。
赤い竜は焦土から飛び立ち、七日七晩に渡って帝国中で破壊の限りを尽くす。半ば狂気に駆られたスカーレットは、もはや自分が何をしているのか分からなくなっていた。
不明瞭で途切れがちな光景が続き、気がつくと、スカーレットは人間の姿で、帝国の首都だった廃墟に佇んでいた。業火が都市を灼き尽くしたことは誰の目にも明らかで、これは自分がやったことなのだと、彼女はすぐに理解した。
少し頭が混乱していて、この光景に至る経緯を思い出すのに時間がかかった。憎しみに囚われて、全てを破壊し尽くすまで止まれなかった、その理由を。
アリアのことを想って、彼女はまた涙を流した。新しい出会いがあることを願っていると言い遺したアリアの想いは、分かっているつもりだった。スカーレットにはこの先も希望を胸に生きてほしいのだと、理解はしている。けれど、どこを探しても、アリアの代わりはいないのに。希望を抱くなんて無理な話だった。
「淋しがりだって気づいていたのなら、置き去りにしないでよ……」
虚空に向かって言葉を投げかけても、アリアは応えてくれない。もしも、死後に向かう先があるのなら、アリアとオリーブはそこで再会することができたのだろうか。自分もそこに行くことはできるのだろうか。
自らの心の中に死を望む気持ちがあることに気づいたときには、それを実現する方法も考え終わっていた。スカーレットは水を汲むようにして、赤い炎を両手で掬い上げた。これを飲み下せば、痛みも苦しみもなく、きっと安らかに死ぬことができる。
こんなことをしたら、アリアは怒るだろうか。悲しむのだろうか。その答えを知ることも、決してできはしない。スカーレットは長い間、その炎を見つめていた。と、強い風が吹いて、炎がかき消された。起こるはずのない出来事だった。魔術による炎が、術者の意に反して消えるはずがない。
「アリア……?」
まさかと思って呼びかけても、彼女はどこにもいない。周囲を見回すうちに、ふと、空を見上げていた。黄昏に染まる空、その色合いに、彼女は行方の分からない友のことを思い浮かべた。
彼だって、彼女の代わりにはならない。それでも、会いたい、と思った。これ以上、ひとりきりでいるのは嫌だった。もしかしたら、死の炎を消した風は、アリアが背中を押しているのかも知れない。そんな気がした。
「……ヴァーミリオン。あなたはどこにいるの?」
夕焼け空に問いかけても答えはなく、会いたい気持ちが募るばかりだった。本当は、友だち同士を引き合わせたかった。きっと彼らも友だちになれたと思う。それはもう叶わなくても、伝えたかった。自分が誰と出会い、何を感じたのか。誰を大切に思っていて、誰と一緒にいたいと願っているのか。
アリアと過ごした日々が心に浮かぶ。その日々の中でも、ヴァーミリオンと飛んだ空を忘れたことはなかった。
不意に、戸惑いが生じた。ふたりの友に向ける感情は、どちらも友情のはずだけれど、それは本当に同じものなのか。全く異なるということはなく、似ていることは確かだったが、完全に同じではないような気がした。
もう一度、彼に会えば、何かが変わるかも知れない。それを確かめたかった。
スカーレットは竜の姿になり、改めて空を見上げた。これが自分にとって最後の希望なのだと、彼女は強く意識していた。
彼女は悲しみを胸に秘め、灯火のような願いを抱いて、夜の闇に包まれ始めた空へと飛び立った。
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