断章 その3

 それから数日後の、月のない夜のことだった。スカーレットたちが寝支度をしていると、どこからか悲鳴が聞こえた。それは一度だけで終わらず、すぐに方々から悲鳴や叫び声が聞こえるようになり、武器のぶつかり合う鋭い音が響くようになった。集落が襲撃されていると考えて、間違いない。

 ドアが激しく叩かれ、スカーレットはアリアを引き寄せた。警戒しつつドアを開けると、そこにはファニーがいた。彼女は切迫した様子で、その顔には隠しようのない恐怖が浮かんでいた。

「襲撃ね」

「そうだよ、帝国軍だ。いつの間にか集落を取り囲んで、やつら、火を放ってきやがった。集落の出入り口は連中に固められてるし、ばらばらに逃げようとしても簡単に捕まる。一緒に行こうじゃないか」

 ドアから顔を出して周囲に目を向ければ、確かに、あちらこちらで火の手が上がっていた。屋内に隠れても、すぐに手詰まりになる。敵兵らしい姿は見当たらなかったが、四方八方から矢が飛んできていた。人々は隠れる場所もなく逃げ惑い、射られて倒れる者も少なくなかった。振り返ってアリアの様子を見ると、彼女は青ざめていた。

「大丈夫よ、アリア。あなたはわたしが守るから」

「でも……倒れている人が何人も……」

「できるだけ助けるわ。早く」

 スカーレットはアリアの手を引いて、外に出た。彼女はファニーに視線を向け、小首をかしげた。心配して様子を見に来てくれたということにしておいてもよかったが、やはりはっきりさせておきたかった。アリアを除けば、スカーレットが竜だと知っているのは彼女とウォーデンだけだ。

「あなたにも好都合でしょう?」

「……否定はしないよ。あんたの近くが一番安全だろうからね。どうか助けておくれ」

「別にいいわ。ただ、アリアを心配して来てくれた訳じゃないことは、覚えておくけれど」

 とはいえ、集落での生活の中で、ファニーがアリアのことをそれなりに気にかけてくれたのは事実だった。どの程度の打算があったのかは分からないが、ついでに守るくらいのことはしよう、とスカーレットは決めた。

 周囲に飛来する矢は空中で燃やし、火災にはそれを上回る業火をぶつけて道を切り開いた。アリアの望みなので、息のある負傷者には自力で移動できる程度までの治癒を施した。全員を完治させている時間はない。

 移動するうちに、スカーレットの近くにいれば比較的安全だと気づいた人々が集まってきて、その中にはウォーデンの姿もあった。彼は怯えた様子で周りを見ていて、とても元レジスタンスの隊長とは思えなかった。警備隊の隊長としても失格だろう。もっとも、集落を囲んでいるという帝国軍との戦力差を思えば、誰も戦うべきだと言えはしなかった。

 柵を壊して脱出するつもりで、本来の出入り口から離れたところに向かっていたが、集落の端に近づくと、あまり意味がなかったと分かった。飛んでくる矢の量が増えただけでなく、魔術まで打ち込まれるようになった。スカーレットにも全てを防ぎ切ることはできず、攻撃を受けて倒れる者も出始めた。

「おい、ちゃんと我々を守れ」

 後ろから怒鳴られ、わざわざ振り向かずとも、それがウォーデンの声であることは分かった。

「やめな。あの子はよくやってくれて……」

 と、反論するファニーの声が途絶え、今度こそスカーレットは振り返った。ちょうど、ウォーデンが剣を抜き、ファニーを刺したところだった。彼女は地面にくずおれ、それを見た避難民たちは悲鳴を上げて散り散りに逃げ出した。

「ファニーさん!」

 駆け出そうとするアリアを制して、スカーレットはウォーデンをにらみつけた。帝国軍の攻撃を警戒しなければならないというのに、背後に裏切り者を置いておきたくなかった。

「どういうつもり?」

「アリア王女は帝国のやつらとの交渉材料になる。そもそも、連中は逃げ出した自国民など気に留めない。とうに壊滅したレジスタンスのことも、熱心に追跡してはいない。当然、見つかれば命はないが、積極的に狙われることはない。連中の狙いはお前たちだ。この惨劇はお前たちのせいだ。少しは良心が痛まないのか、なあ、王女様?」

 戦力として利用したがったくせに、巻き込まれたと責めるのか。スカーレットは強い憤りを感じたが、その一方、アリアのことが気がかりだった。彼女の良心が痛まないはずがない。そんな必要はないのに、彼女は不当なまでに自分自身を責めてしまうかも知れなかった。

「いつからそういうことを考えていたの?」

「最初から策の一つだった。我々が生き延びるためには、いくつもの戦略が必要になる。よそ者の首を差し出せばいいのなら、楽なものだ。検討するに決まっているだろう」

 スカーレットは少しだけ迷った。今やウォーデンは敵だ。殺してしまっても構うことはない。しかし、まだ息のあるファニーを助けることを優先した方がいいのかも知れない。スカーレットにとってはどちらでもよかったが、アリアは気にすることだろう。

 いつの間にか、帝国軍の攻撃は止んでいたが、別の気配に気を取られて、そのときは気がつかなかった。上空から禍々しい何かが接近するのを感じて、彼女は空を見上げた。

 黒い竜が降りてきて、ウォーデンを踏み潰した。彼には逃げる間もなかった。血が飛び散り、黒い鱗を赤く染めたが、竜は気にも留めていないようだった。集落を焼いて燃え盛る炎に照らされた竜の姿には、どことなく見覚えがあった。

「オリーブなの……?」

 アリアが消え入りそうな声で発した問いかけは、そのままスカーレットの疑問でもあった。オリーブは間違いなく目の前で死んだ。ならば、今、眼前にいるのは何か。よく見ると、黒い竜の体はところどころが腐敗している。その上、どす黒い靄のようなものをまとっていた。その靄は近くに倒れていたファニーを覆い、彼女の体は激しく痙攣した。震えが止まったときには、彼女は絶命していた。

 あれは呪いと毒。

 オリーブは屍竜となっていた。

「オリーブ!」

 アリアが先ほどよりも確信の込められた声で呼びかけたが、オリーブからは何の反応もない。当然だ。屍竜に生前の記憶はなく、自我もない。それは、生きていた頃のように動くだけの、単なる死体だった。

「アリア。近づいてはだめ。あれは屍竜よ」

「……でも、オリーブです。どうして、こんなことに」

 声の震えが、アリアの感じる怯えと嘆きを表していた。彼女の友は変わり果てた姿になったが、簡単に割り切れるものではない。かつての思い出を恐怖に脅かされて、冷静でいられるはずがない。

 どうして、こんなことになったのか。理由を問うなら、何者かが死霊術を使ってオリーブを支配しているからだった。それは容易に推測できることだが、スカーレットはそんなことを口にしない。死後の眠りすら踏みにじるやり口に、彼女は激しい怒りを感じていた。

 オリーブの片目は失われ、空っぽの眼窩がのぞいていた。残っている方の目は虚ろで、何も映してはいなかった。動きを見せない屍竜を前にして、スカーレットは対応を決めかねていた。オリーブを救うことはできない。放っておけばいつまでも呪いを振り撒き続ける。一度、屍竜として成立してしまった以上、死霊術が解かれても、活動は止まらないだろう。終わらせようとするなら、跡形もなく消し去るしかない。

 それを、アリアの目の前でやるのか。それでは彼女の悲嘆を深めるばかりではないのか。しかし、いつまでも迷っている訳にはいかない。

 何の前触れもなく、オリーブが嗄れた叫びを発して、呪詛毒を撒き散らした。土地や空気が急激に汚染され、猛毒の侵食によって草木が枯れ始めた。毒気を浴びせられたスカーレットはめまいを覚え、竜に通用する毒が人間にとってどれほど危険かに思い至って青ざめた。

 慌てて背後にいるアリアの様子を確かめると、彼女は地面に這いつくばって嘔吐していた。吐瀉物で喉を詰まらせないように介助したが、吐くものがなくなっても苦しみは終わらないようだった。呪いと毒が体内に残り、彼女の体を蝕み続けているのだろう。

 スカーレットはアリアを浄化の炎で包んだ。症状が和らぎ、わずかに顔色がよくなっても、アリアは肩で息をしていた。喉の痛みで声が出せないようだったが、一心に見つめられて、スカーレットは彼女の伝えたいことを理解した。

「……ええ。あの子をきちんと眠らせてあげるつもりよ」

 オリーブの体の上に、炎を固形化した杭を何本も出現させ、打ち下ろす。腐りかけの肉体は容易く貫通されるが、体に穴が空こうが、酷く焼けただれようが、屍竜は苦痛を感じない。地面に縫い止められて動きを封じられても、一帯を汚染する呪詛毒の放出が弱まる様子はなかった。

 スカーレットはアリアを守るように魔術の防壁を展開しながら、呪いと毒もろとも、オリーブの体を燃やし続けた。このまま灼き尽くし、骨のひと欠片も残さず、完全に灰にする。そうすることでしか、オリーブを止めることはできない。

 互いの力は拮抗していた。このまま永遠に続くようにも思われる戦いだったが、竜の魔力は決して無尽蔵ではなく、その全てを呪詛毒として撒き散らす屍竜と、自身とアリアの身を守りながらそれに立ち向かうスカーレットでは、消耗の差が大きい。長引くほど不利になるのは明らかだった。

 スカーレットは全霊を振り絞り、残る力の全てを込めて、オリーブを巨大な火柱で包んだ。もはや、オリーブの姿をはっきりと捉えることはできない。彼女は心の中で、アリアとオリーブに謝った。オリーブを埋葬するときに、もっと気をつけていればよかった。そうしていれば、こんなことにならずに済んだかも知れなかった。

 火勢は際限なく強まり、炎の中のオリーブの影は次第に形を失っていった。その影が完全に失われる直前、微かな声が聞こえた気がした。その声はアリアの名を呼んだ、ようだった。確証はない。けれど、きっと、アリアの耳にも届いたのだと信じたい。

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