断章 その2

 今となってはアリアに家族はなく、帰る場所もない。故郷は海辺の小さな国だったが、帝国に滅ぼされた。彼女の心には、全てを奪った帝国への復讐心が渦巻いている。口に出されずとも、ありありと分かった。それに気づいて、スカーレットは頭が痛くなった。

 アリアをどこか戦争から離れたところに連れていく心づもりだったのに。案の定、その提案には難色を示された。

「復讐なんてやめなさい。あなた一人で何ができるの」

「できることはほとんどありません。そんなことは分かっています。それでも、逃げる訳にはいかないんです」

「どうして?」

 わずかにためらうそぶりを見せた後、アリアは決然と答えを返した。その様子を見て、彼女の説得は不可能だとスカーレットは悟った。

「私は王女でした。生き残った唯一の王族として、たとえ亡国であっても、国を背負う義務があります。それに、家族と親友を奪われて、相手を憎まずにいられるはずがないでしょう?」

「わたしは戦争に関わりたくない。あなたも別に、わたしを巻き込むつもりはないでしょう。でもね、オリーブとの約束があるから、あなたを放り出すこともできないわ」

「私は構いません」

「わたしが気にするの。それで、行く宛てはあるの?」

「ええ」

 アリアによると、海岸地域のどこかに帝国から逃れた人々の拠点がある。そこには皇帝の圧政に抵抗するレジスタンスも含まれ、彼女の国は密かに彼らを支援していたという。それは善意からの援助ではなく、帝国が内側から瓦解してくれれば戦わずに済むという、小国としての目論みがあった。その狙いは外れたが、少なくとも、アリアは彼らの拠点のおおよその位置を知っているという。

「味方として期待できるようには思えないわ」

「それでも、今の私が頼れるとしたら、彼らしかいません」

「あまり安全な場所とは言えないでしょうね。どうしてもその人たちのところに行くのなら、そこまで送り届けた後も当分、わたしはあなたの側にいるしかない」

「そこまでしてもらう必要はありません。送り届けてもらえるだけで、十分にありがたいですから。本当は、それだって必要ありませんけど」

「何度も言うけど、わたしはオリーブと約束したの。はっきり言って、あなたの意向は関係ないわ」

 互いに険悪な視線を向け合ってしばらくすると、アリアがため息をつき、肩の力を抜いた。スカーレットには自分の言い分を譲るつもりはなく、それはアリアも同じなのだと思っていた。相手が先に折れたことで、彼女は毒気を抜かれた気分だった。

 スカーレットはアリアを連れて、数日間の旅をした。目指す場所がどこにあるのか、アリアに細かく説明されるまでもなく見当はついていた。飛んでいけばすぐだということは分かり切っていたが、アリアに反対された。突然、竜が現れたのでは、人々の警戒や恐怖を煽ることになるという。もっともらしい説明だった。実際にそういった事態になる可能性は否定できない。

 しかし、竜の姿を見たくないというのが本音だろう、とスカーレットは思った。オリーブを思い出して悲しい気持ちになるのを避けたいのだろう、と。

 人間にとって楽な道程ではなかったが、アリアは一切、弱音をこぼさなかった。その姿を見ていたスカーレットは、彼女を少し見直した。アリアは守られるばかりの王女様ではなく、確たる意志の強さがあった。

 獣を狩って食べる物を与えたり、夜は寝ずの番に立ってやっているうちに、スカーレットはアリアに情が移りつつあることを自覚した。百五十年ほどの歳月の中で初めて個人としての人間に興味を持ち、オリーブとの約束がなくとも、せめて戦争が終わるまでは気にかけようと決めた。

 避難民とレジスタンスたちが拠点にしているという集落は、海岸砂漠を抜けていくらか内陸に入った森の中にあった。木々の間にひっそりと隠れた集落は頼りない柵で囲われ、入り口には兵士の格好をした見張りが立っていた。

「何者だ?」

 兵士に槍を突きつけられ、スカーレットは眉をひそめた。軟弱な人間が貧相な武器を構えている。帝国兵を相手取る上で役に立つようには見えなかったし、こんなもので自分を止められると思われるのは心外だった。教えてあげた方がいいのだろうか。しかし、彼女が何もしないうちに、アリアが前に出た。

「ここは帝国からの避難民とレジスタンスが隠れ住む集落だと聞きました。間違いありませんか?」

 兵士は一層、警戒を強めたようだった。何が起こっても大丈夫なように、スカーレットは防御の魔術を準備しておくことにした。事前に相談して、アリアの素性は打ち明けないことにしていたので、彼女が何を言ったところで信用されない可能性も小さくなかった。

「何者なのかと聞いている。答えられないのなら、身の安全は保証できない。悪いが、女子供が相手でも警戒を怠る訳にはいかない」

「私たちは帝国に滅ぼされた国から逃れてきました。帝国領内のレジスタンスの噂は聞いていましたから、仲間に加えてもらえないかと……」

 嘘は言っていない。が、誰でも同じようなことを口にするだろう。兵士は考え込む様子を見せたが、その答えを聞くことはできなかった。彼は返事をする前に、集落から出てきた年配の女性に詰め寄られていた。

「少し前から見ていたけどね、こんな女の子二人、帝国兵のはずがあるものか」

「しかし、ファニーさん、我々全員の安全のためです」

「どの道、あんたが決めることじゃないだろう? 私がウォーデンのところに連れていくよ。あんたは見張りを続けな」

 兵士は不服そうな顔で同意した。おそらく、このファニーという人物は集落内で上の立場にあるか何かなのだろう。スカーレットは大抵の場合、興味のない相手には漠然とした印象しか抱かなかった。

「さあ、おいで」

 ファニーに促されるまま、アリアとスカーレットは集落に入った。そこは簡素な作りの建物と粗末なテントが並ぶだけの、村とも呼べない場所だった。広さだけはそれなりで、柵の内側の畑で何種類かの作物を育てているらしい。井戸もあり、元より川からも遠くない場所なので、飲み水に困る心配はなさそうだった。

「一応、あいつの顔を立ててやらないとね。あんたたちをレジスタンスの隊長だった男に会わせる」

「だった?」

 アリアが聞き返すと、ファニーは立ち止まってため息をついた。そこに悲壮感はなく、彼女はただただくたびれているようだった。

「レジスタンスは壊滅したんだよ。ここにはわずかな残党がいるが、もう自分たちの身を守るので、みんな手一杯だ。彼らと私のような避難民の間に、ほとんど違いはないよ」

「それなら、もし帝国軍が攻めてきたら……?」

「ここの警備隊は元レジスタンスや軍の脱走兵だ。少しは戦える」

 その答えを聞いて何を思ったのか、アリアが口にすることはなかった。彼女の沈黙をどう解釈したのか、ファニーは核心を見抜いたようだった。

「あんたの故郷は滅ぼされたそうだね。もし、帝国への復讐がお望みなら、ほかを当たりな」

 レジスタンスの隊長だったというウォーデンは、集落の警備隊の隊長になっていた。彼は疲れた顔をした壮年の男で、ファニーがアリアとスカーレットのことを伝える間も、何か別のことを気にしているようだった。品定めするような視線を向けられて、スカーレットは不快感を覚えた。

「最近、帝国軍の捕虜が逃げたという噂を耳にした。軍は躍起になって捕虜の行方を追っているそうだ。その捕虜はオーランド王の息女で、彼女を助けたのは竜だったとか。そして、聞くところでは、竜は人間に化けられるらしい。そんなときに現れたのが、戦地から自力で逃げ延びられるとは思えない二人の少女だ。興味深い話だとは思わないか?」

 ウォーデンは淡々とした口ぶりで、特に敵意や害意は感じられなかったが、アリアは警戒するように身を固くしていた。そのことに気づいて、スカーレットはそっと彼女に寄り添った。

「私たちがその王女と竜だとお考えですか。どこでそのような噂を?」

「我々の情報網も、まだ少しは使えてね。君たちの正体については確信している。自ら明かすつもりはないか?」

 王女と竜。別の竜のことだ。アリアは残された方の片割れでしかない。そのことは彼女の心の傷となり、今も痛み続けている。眠れない夜、アリアが密かに泣いていることを知っているスカーレットは、代わりにウォーデンの質問に答えた。

「もしも、あなたの推測が事実だったら、どうだって言うの?」

「軍が必死に探す人物なら、普通は匿わない。だが、今回は利用価値がある。我々の戦場は厳しいからな」

「あなたたちにはもう、戦う力なんてないんでしょう。どこにあなたたちの戦場があると言うの」

「無論、ここの防衛だ」

 ここまでの会話で、ウォーデンはアリアとスカーレットのどちらが王女でどちらが竜なのか、当たりをつけたらしい。彼はスカーレットに向かって、傲慢な調子で話すようになった。

「お前はアリア王女の命令を聞くのだろう? 人間の兵士がどれだけ集まろうが、お前の足下にも及ばないはずだな。我々とて帝国軍に追われる身だが、これで安心して眠れるというものだ」

 使役された魔物のように言われるのは気に食わなかったが、そう思わせておいた方が都合がいいことは分かっていた。スカーレットは屈辱を追いやり、アリアのことだけを考えた。

「わたしが戦うとしたら、それはアリアを守るためよ。あなたたちの敵のことなんて知らないわ」

「共通の敵だとも。理解できなかったか? まあいい。滞在を認める。ほかの者に君たちの正体を明かす必要はない。仕事や何かの細かいことはファニーさんに聞いてくれ」

 スカーレットはアリアの手を引いて、ウォーデンの下から去った。しばらく歩いたところで、ファニーが申し訳なさそうに頭を下げてきた。

「本当なら、オーランド王からの長年の援助に報いて、見返りなんて求めずにあんたたちを助けるべきだと思うよ。でも、今の私たちにそれは難しいんだ。分かっておくれ」

 アリアはなかなか口を開かず、つないだままの手のこわばりから、彼女の複雑な胸の内が感じられた。スカーレットはアリアを励ますように、彼女とつないだ手に力を込めた。

「顔を上げてください、ファニーさん。私だって、あなたたちを復讐の道具のように思っていたことは、否定できません」

「……お互い様ってことにさせてもらおうかね。さて、王女様だろうが働いてもらうことになる。せめて、まともな寝床が使えるよう手配するよ」

 それからは比較的、平穏な日々が続いた。スカーレットとアリアは主に農作業を手伝い、時には傷病者の世話を手伝った。炊き出しを手伝ったこともあったが、それは二人そろって調理技術の欠如を露呈する結果に終わった。竜が人間の料理に通じている道理はなく、王女にしても似たようなものだった。

 集落はスカーレットの知る人間の街と比べて、あまりいい環境ではなかった。何かしら不穏な気配を感じることも少なくなかったが、彼女が常に目を光らせているおかげで、アリアが厄介事に巻き込まれることはなかった。

 ほどなくしてアリアは集落の人々と打ち解け、元からここの住人だったのではないかと錯覚するほど、周囲に馴染んでいるように見えた。スカーレットはアリアの口数の少ない友だちとして受け入れられていた。二人がいつも一緒にいることで、本当は恋仲なのかと聞かれることもあったが、あえて否定はしなかった。そういうことにしておいた方が、余計な詮索をされずに済む。

 スカーレットは自身が竜であることを誰にも打ち明けず、いくらか魔術の心得があるだけの人間の少女として過ごした。ウォーデンは戦うときが来るようなことを言っていたが、その必要はなさそうで、スカーレットは安堵していた。彼女は争いを好まず、穏やかに暮らすのが好きだった。

 人々は疲れた顔をしていることも多かったが、決して腐らず、今の状況の中でよりよい暮らしを目指していた。農地を拡げるために森を拓くときなど、魔術が役立つ場面でスカーレットは重宝された。彼女は自分から率先して行動することこそなかったが、アリアから頼まれればほとんど何でも応じていた。

 そんな生活の中での気がかりは、アリアが帝国への復讐を諦めたとは思えないことだった。彼女はその想いを胸に秘めたまま、しかし口に出すことはなく、スカーレットは恐れていた。アリアがいつ、一人で死地に向かってしまうか知れないと思うと、不安でいっぱいだった。

 ある夜、寝所で横になるアリアの側に座って、スカーレットは胸の内を伝えるべきか迷っていた。口にしたが最後、今の生活は終わってしまうかも知れなかった。それでも、ずっと見て見ぬふりを続ける訳にはいかないと、彼女は心を決めた。

「アリア」

「何ですか?」

「帝国領を離れる気はない? ここに留まるより、ほかの国に行く方が、きっと安全よ」

「……私が、まだ復讐するつもりだと思っているんですね」

 伏せていた意図をあっさり見破られた以上、スカーレットにできるのは心を込めて話すことだけだった。

「ええ。否定されても信じないわ」

「確かに、完全に諦めてはいません。それはこの先も、もしかしたら一生、恨みや憎しみを抱えていくことになるかも知れません。でも……」

 アリアはためらいがちに言葉を切り、スカーレットの顔を見上げた。二人の視線が交わる。

「オリーブはきっと、私に生き延びてほしいと思っていました。それなのに、私が自分の命を捨てる覚悟で復讐に身を焦がしたら、彼女が浮かばれませんよね」

「そうね。あの子のことを思うなら、あなたは死ねない。それにね……正直に言うと、わたしもあなたを死なせたくない」

 知らず、胸中の孤独感が言葉の隙間ににじみ出ていた。アリアが身を起こし、スカーレットの手を握った。それは親愛の情の感じられる行為だった。その手の温もりが、彼女を少しだけ安心させてくれた。

「王女だったことを忘れて、ただのアリアとして生きていくことが、私に許されるのでしょうか」

「誰が認めなくても、わたしが許すわ」

 アリアは切なそうに微笑み、目を伏せた。涙の雫が、零れ落ちた。

「オリーブも似たようなことを言ってくれたことがあります。今度はあなたが。私は幸せ者ですね。私は私のままでいていいって言ってくれる友だちが、二人もできるなんて」

「アリア」

 そう呼びかけながら、スカーレットは彼女を抱き寄せた。胸の奥から溢れる想いに戸惑いながらも、そうせずにはいられなかった。

「わたしの側からいなくなったりしたら、だめだからね」

「……約束します。だから、あなたもいなくならないでください。平和に暮らせるようになった後も、ずっと一緒にいてください」

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