伴章 その2
細々した事務手続きはアトラスが代わりにやってくれたが、すんなり許可が降りることはなかった。おれから誰かに話した覚えはないが、どこからか話が漏れたようで、社長の承認を待つ数日の間に、何度もこの話題に付き合わされることになった。
エミリーはおれが砂漠に行くことに反対だと断言して、おれの気を変えようと説得を試みてきた。
「ヴァーミリオン君ならどんな困難も乗り越えられるのかも知れない。それは疑っていません。でも、すごく危険なんでしょう。私とマーカスの結婚式の前にもしものことがあると困ります」
「式は半年後だったな。それまで待てということか?」
「そういう問題じゃありません」
彼女はいつになく強い口調でおれを思い留まらせようとしたが、それに応じる訳にはいかなかった。エミリーは言葉に詰まり、両目に涙を浮かべておれをにらみつけてきた。心配されているのだということは理解できたが、だからといって、友に会う機会を逃したくはない。
「どうして分かってくれないの」
エミリーと別れていくらもしないうちにノクトに捕まり、彼も賛成はできないのだと知らされた。これは少し意外だった。ノクトはおれの知る中では最も果敢な飛行士であり、普段なら、険しい空に挑むことを歓迎する傾向があった。
「お前の賛同を得たいのではないが、なぜ反対なんだ?」
「帝国軍との戦闘の最中、俺は〈大罪〉の脅威を目撃した。かなり遠方からだったが、それでも、あの戦場にいた誰もが死を覚悟した。今回は相手が悪すぎる、あまりにも危険だ」
「おれの無謀に巻き込まれて、アトラスに万が一のことがあると困る、そういうことだろう?」
気に食わないと言わんばかりに、ノクトは表情を歪めた。彼が再び口を開くまでには、いくらか間があった。
「……お前にも死なれたくない。どうしても行くのなら、必ず生きて帰ってこい」
別の日には、ジャンもこの話を持ち出した。実は顔なじみだというウェインウェインが、休暇を利用して彼の下を訪れていた。人間社会の中ではどうしても少数派になる幻想生物たちは、自然と交流を持つようになるものだという。
「話は聞いたぞ、ヴァーミリオン」
「お前も反対するか、ジャン?」
「いや、俺の仕事は飛行機の整備だ。飛行士の仕事に口を出すつもりはない。お前が早々、死ぬとは思えねえしな。ラトルーネイア号は万全に整備しといてやる。無事に戻ってくれればいい」
ウェインウェインと会うのは北の平原での遭難の一件以来だった。健康状態によるものか、彼は毛づやがよかった。
「私も反対はしない。砂漠で何かあったら、今度は私が救助に向かおう」
「気持ちはありがたいが、やめておけ。これはおれの問題なんだ。本当はアトラスも同行させたくない」
アトラスの説得は不可能だ。やつは一度やると決めたことを絶対に曲げることがなく、既に同行すると宣言されている以上、おれが何を言ってもその決意を変えることはできないだろう。アズールの依頼の内容を知っていれば、そこにアトラスを同席させることはなかった。おれの個人的な事情に巻き込んで、間違いなく危険な場にやつを引っ張っていくのは本意ではない。
「あの人間か。彼のことは噂でしか知らないが、相当、情に篤いのだろうな」
ウェインウェインの発言は確かに、アトラスのある一面を言い表していた。常日頃は軽薄な印象もあるやつだが、その芯に確固たるものがあるのは間違いない。だからこそ、おれにはやつを説得するつもりがない。同行させる以上、必ず無事に連れ帰る。それだけのことだ。
数日後、おれとアトラスはテグジュペリに呼び出された。久しぶりに訪れた社長室は、初めて入ったときと少しも変わっていなかった。部屋の主人の影響なのだろうか、やはりここには、空が息づいている。
「私が君たちを呼んだ理由は、改めて説明するまでもないな?」
「ああ。灼獄砂漠に向かってもいいのかどうか、その答えをくれ」
「委員会には社として依頼を請け負うと伝えた。担当は君たちだが、君たちだけの責任にするつもりはない」
テグジュペリは淡々とした口調で決定事項を告げ、話は終わりだと言わんばかりに黙ってしまった。許可が下りたこと自体はいいものの、おれにとって望ましい形ではなかった。
「飛行機は借りるが、会社が責任を負う必要はない。今回のことはおれの都合なんだ。可能なら、アトラスも同行させたくないと思っている」
隣に視線を向けると、アトラスは不服そうな表情を浮かべていた。怒り出しても仕方ないと思ったが、やつは静かに言葉を吐き出した。
「俺を危ないことに巻き込みたくないってのか? この一件が始まってからずっと、お前は妙に遠慮がちだが、余計な気遣いはありがたくない」
「生きて帰ってこられるとは限らないんだ」
「今までにも危険な仕事はあったじゃないか」
「今回は訳が違う。竜が相手では、おれ自身も無事でいられるか分からない。おれが重傷を負う状況で貴様が生存できるとは思えない。ほかの飛行士たちを死地に送り込む事態を招きたいとも思わない」
アトラスはさらに言い返そうとしたが、テグジュペリに手で制されて口を閉ざした。テグジュペリはどことなく疲れた表情を浮かべていた。古傷が痛むのか、彼は不自由な脚をさすっていた。
「だからこそ、アントワーヌ航空が依頼を請け負った。君が個人的な因縁に縛られることなく職責を全うできるように。よって、一人で行くことは許可できない。無事に二人で帰ってきなさい」
スカーレットとのことはおれだけの事情であって、余人には関わりのないことだ。おれはそう考えていたが、状況の一側面しか見えていなかったらしい。職責という観点から現状を解釈するのなら、おれが過去に引き戻されたのではなく、僚友たちと共に進む道の途上に彼女が現れた。テグジュペリが言っているのはそういうことなのだろう。
初めにアズールの依頼を仕事として受け取ったのはおれだった。その時点でアトラスもアントワーヌ航空も共に取り組むことは確定していたというのに、後になって自分だけでやると言い出す方が筋が通らない。
アトラスに謝るべきだろうか。いや、そのくらいは口にせずとも伝わる。おれとやつの間に謝罪は必要ない。
「私個人としては、この件には特に賛成も反対もない。君たちが行きたいのなら、それを止めはしない。何も気負うことはない、いつも通りに飛べばいい」
「そうだな。助言をありがとう、社長」
おれが礼を言って手を差し出すと、テグジュペリは少し驚いた様子だったが、快く握手に応じてきた。
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