伴章 竜と飛行士

伴章 その1

 同じ仕事を一年も続けていれば、最初の頃には分からなかった事情にも通じるようになるものだ。今ではおれも、大陸全土を網羅した地図を作成するという国際的な取り組みがどのように組織立てて行われているのか承知している。

 各国の代表者や専門家が集められた委員会が全体の指揮をしていて、その中の一人に、アトラスの知己の魔術師がいた。そのアズールという魔術師は、どういう訳かアトラスではなくおれに話があるそうで、わざわざアントワーヌ航空の本社を訪問してきていた。

 応接室で向かい合って座ったアズールは、アトラスと同じくらいの年齢の人間の男だったが、やつとは違って、人体という器に収まっていることが信じ難いほどの強大な魔力を有していた。なぜ、それほどの魔術師が役人の仕事をしているのか分からない。おれはまだまだ、人間への理解が足りないらしい。

「アトラス、こいつはもっと魔術師らしい仕事をした方がよくないか」

 隣に座るアトラスに尋ねると、やつは失笑した。

「言われてるぞ、アズール」

「余計なお世話です。ぼくにはぼくの理由がある、それだけのことですから」

 アズールは冷ややかな目つきでおれを見てきて、これだからトカゲは、とでも言い出しそうな様子だった。ここ数か月で名が広まったのか、社外でも、おれが竜であるということは関係者なら誰でも知っている程度のことになっていた。だからといってトカゲ呼ばわりされたことはないが、アズールにはそれを平然とやれそうな印象があった。

「悪かったな、お前の言う通りだ。そちらの事情を知らずに口を出すべきではなかった」

「気にするな、ヴァーミリオン。アズールは研究生活が長すぎたせいで他人との関わり方が分からなくなって問題を起こしただけの残念なやつだ。今の仕事は、師匠から罰として課せられたんだ」

 アトラスの説明が終わらないうちに、アズールが指を鳴らした。水でできた針が無数に生成され、おれたち目がけて飛んできた。細く鋭い針は大怪我につながるようなものではないが、刺されば痛いはずだ。おれは風を起こして針を巻き取り、押し固めてただの水に戻した。その水をコップに注ぐと、アズールが手を伸ばしてきたので渡してやった。

「おお、助かったよ、ヴァーミリオン」

「貴様はどうでもいいが、室内が水浸しになったり調度品が傷つけば、会社の連中が残念がるだろう。貴様の口が軽いせいだ、反省しろ」

 アズールはおれたちのやり取りには構わず、無感動な様子でコップの水を眺めていた。彼はコップから水を浮き上がらせて球状にして、何度か指で突いた後、元の魔力に分解して霧散させた。

「無駄話は終わりましたか。ぼくは竜に話があって来ました。アトラス、君は同席していなくても構わない」

「いない方が話が早く進むかも知れないが、仕事の話だろう。おれとアトラスは組んで仕事をしている。この場にはいさせろ」

「いいでしょう。ただし、静かにしていてほしいものです」

 そう言いながら、アズールは大陸全体が至極大まかに描かれた図面を広げた。まさか、大陸中が力を合わせてこの程度のものしか作れないということはないと思いたい。それは地図と呼べるほどのものではなく、想像図とでも呼ぶ方が実態を的確に表していた。

「航空撮影の進捗図です。事業が始まる前の図面に基づいているので正確性には欠けますが、見ての通り、この街の南方の砂漠地帯は大きな空白になっています。なぜだか分かりますか?」

「分からない。知らないことは知らないからな」

 撮影の予定や実施状況が各所に描き込まれた中、南方の広大な砂漠地帯の部分だけは印や記述が一切なく、地名と思しい灼獄砂漠という文字だけがあった。

「元々は帝国の領土だった地域ですが、帝国の滅亡後はどの国も特に関心を示さず、地名すら仮のものです」

「領土としての関心はともかく、地名もないのはなぜだ? 帝国とやらで使われていた呼称はないのか」

「帝国は閉鎖的な国でした。彼の国のことは国外ではあまり知られていません。それに、今となっては帝国に結びつく全ては呪わしいものと考えられています。元帝国民にとっては肩身の狭いことでしょうが、彼らも帝国出身だとは口にしたがりません。呪いなど不合理なことですが、誰もわざわざ帝国時代の呼称を使おうとは言い出しませんね」

 滅びた帝国についておれが知っていることといえば、戦争の末期に首都を壊滅させられ、国家としての機能を喪失したということくらいだった。その際にどのような戦いがあったのかも知らなければ、なぜ呪いなどという話が出てくるのかも知らなかった。

「ぼくがあなたに話をしに来た理由は、そこのところにあります、竜よ」

「おれはヴァーミリオンだ」

「……分かりました。個体名を使った方が続きの話は理解しやすいですしね」

「竜と関係が?」

「ええ。〈大罪〉と呼ばれる竜について、ご存じですか?」

「知らない。おれたちが人間に付けられた二つ名を気にかけると思うのか」

「〈大罪〉は帝国を滅ぼした赤い竜です。あの竜は帝国中を徹底的に破壊して回りました。首都は激しい炎に焼き尽くされて灰燼に帰し、今となってはわずかな廃墟が残るばかりです。それほどまでに竜から憎まれたということで、人々は帝国の名そのものに呪わしいものを見出すようになった、ということです」

 おれの知る赤い竜といえば、スカーレットだ。かつてはよく連れ立って空を飛んでいたが、ここ数年、彼女がどこで何をしているのかは知らない。しかし、人間の国を滅ぼすという所業は彼女の好むところではなく、さすがに彼女は関係ないだろう。

「一つ、分からないことがある」

「何でしょうか」

「帝国を滅ぼした竜を〈大罪〉と呼んで忌避するのは理解できる。が、帝国自体が忌まわしいもののように扱われているのは、なぜだ? 竜に憎まれたといっても、それはその竜の問題だろう」

「あまりいい国ではなかった、とだけ言っておきます。彼の国の滅亡が和平交渉のきっかけになった側面もありますから、歴史の観点では必要悪だったと評されることもあるでしょうね」

 社交性に問題があるらしいアズールが言いよどむとなれば、相応に悪い要素を抱えた国だったのだろうと想像はついた。今日の人間たちの社会が受け入れることのない悪徳を並べてみればいい。そして、ここまで説明されれば、最初の問いの答えに思い至るのは難しくない。

「灼獄砂漠に〈大罪〉がいるのか」

「その通りです」

 戦争が終わったからといって、大陸全土のどこであっても安全な場所になったのかといえば、そうではない。特定の条件下で災害や事故が起こりやすくなるという地域性があることもあれば、悪意を持って他者に危害を加える人間や幻想生物がいなくなることもない。そういった危険地域の上空を飛んでいて消息を絶つ飛行機の話を聞くこともあり、おれにとっても無関係なことではなかった。今まで南方に飛ぶことがなかったので把握していなかったが、灼獄砂漠の上空はそうした危険な空域の一つなのだろう。

「進捗図の空白の原因が竜だということは理解した。しかし、竜は定住しないものだ。しばらく待てばいなくなるだろう」

「当初はそう考えられていましたが、何年経っても離れる様子はありません。灼獄砂漠という仮称が付けられたのも、〈大罪〉の魔力による変性作用で一帯の気温が異常に上昇しているためです。今のところ人的被害は出ていませんが、〈大罪〉が確認されて以来、あの一帯は上空まで含めて進入禁止になっています」

 もしもアズールが、竜同士なら話ができるはずだと考えておれに会いに来たのなら、それは見当違いだ。同じ竜だからという理由でおれたちが互いに心を開くことはない。

「アズール、お前か誰か、〈大罪〉と接触したのか?」

 アトラスが口を出すと、アズールは首を振って否定した。

「安易な接触はできません。下手に刺激して、第二の亡国を生み出す訳にはいきませんから」

「分からないな。じゃあ、何のためにヴァーミリオンに会いに来たんだ? てっきり、竜となら話すと〈大罪〉から言われたのかと思ってたんだが」

 どうやら、話の核心に触れたらしい。一瞬、アズールの目が光ったような気がした。彼は熱を帯びた口調でアトラスの疑問に対する答えを語った。

「接触はしていませんが、大気中に残るわずかな魔力痕を頼りに〈大罪〉の足取りを逆算しました。辿るのに長い時間がかかりましたが、ぼくの結論はただ一つ。あの竜は天嶮山脈であなたと接触しています、ヴァーミリオン」

 スカーレットは一度、落ちぶれたおれに会いに来たことがあった。つまり、アズールが正しければ、彼女が〈大罪〉ということになる。

 彼女はよき友だった。おれの知る限り、争いを好まない温厚な竜だった。最後に会ったとき、おれはまともに話そうともせずに彼女を追い払ってしまったが、あの同情と悲しみに沈んだ目は覚えている。そんな彼女が怒りや憎しみに任せて戦争に身を投じたはずがない。

「ぼくはあなたに命令する立場にはありません。なので、これは依頼です。何とかして灼獄砂漠の航空撮影を実現してください。あなたなら〈大罪〉との交渉も可能なはずです」

「お前の話が全て事実なら、確かにおれはその竜を知っている。だが、そいつは国を滅ぼすようなやつではない」

 会って話がしたいと思った。スカーレットの方から会いに来たときに無下に扱っておいて、今さら何をできる立場でもなかったが、彼女の抱えていた悲しみにおれへの憐れみ以外の理由があったのなら、おれはそれを気にかけるべきだったと、今なら分かる。

 とはいえ、アズールの依頼を引き受けるかどうか、おれの一存で決める訳にはいかなかった。

「会って確かめたいとは思うが、残念ながら、おれが接触しても穏当な結果が得られる保証はない。かなりの危険を伴う仕事になる。会社の飛行機を使う以上、おれの独断という訳にはいかないな」

「いいでしょう。特に期限は設けないので、よく相談してください。色よい返事を期待しておきます」

 アズールは応接室を出ていき、おれとアトラスの二人が残された。回答の想像はついたが、まずはアトラスの意向を確認しておくことにした。

「貴様の意見は?」

「お前が行くなら、俺も行く。通信士なしでも飛行機は飛ばせるが、操縦中の連絡手段がなくなるだろう。俺の同行は確定事項だぜ」

「そう言うだろうと思っていたが、そもそも、おれは砂漠に行くべきなのか、というところはどうだ?」

「会いたいんだろ。なら行けばいい。どこを飛ぶのもお前の自由だ」

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