転章 僚友

転章 その1

 気がつけば、飛行士として空を飛ぶようになって三か月ほどが経過していた。その間、延々と空から地上を撮影し続けている訳だが、飛行それ自体が楽しみであるおれにとっては、好きなことを満喫していられる心地のいい日々だった。アトラスとの同居や人間たちとの会社勤めも、悪い気はしていない。

 とはいえ、不満がない訳ではない。常に人間の姿でいると、どうにも窮屈なときもあるが、それは我慢できる。いざとなったら、どこか広い土地に行って竜の体で伸びでもすればいい。容易に対処できることで鬱憤を溜める必要はない。問題は自力では解決できないところにある。

 空を飛ぶことの魅力はいくつもあるが、竜として自らの翼で飛んでいたときの感覚は、飛行機に乗って飛ぶときにも全く同じという訳にはいかない。その最たるもののひとつは飛行速度だ。

 おれは速く飛ぶのが好きだった。無論、それだけを好んでいたのではないが、速度の追求はおれが空を飛び続ける理由のひとつだった。風を切る感触が、そのときに耳元で鳴り響く音が好きだった。すさまじい速さで流れていく風景が、全力を尽くした後の心地よい疲労感が好きだった。

 飛行機の速度には性能上の限界があり、力を込めたからといって何が変わることもない。動作が安定していることは、機械としてはいいことなのだが、画一的な反応しか返らない退屈さの裏返しでもあった。

 以前、ジャンにその不満を話したことがあった。彼は、おれが飛行機に不満を感じる部分があることが気に入らない様子だったが、おれの鬱屈には概ね理解を示してくれた。彼の場合、標準的な人間に比べて体が大きく力も強いので、どこかにぶつかったり物を壊したりといったことで、やや神経を使うという。

「もっとも、最初は鬼の膂力のおかげで雇われたようなもんだから、文句は言えねえけどな」

「だからといって、何でもかんでも合わせてやらなければならないというものではないはずだ」

「まあな。それに、今じゃあ俺も一端の技師だ。お前の方に合わせて飛行機を調整してやることもできる。試してみるか?」

 その会話を交わしたのは先月のことだった。そして今日、おれはジャンに呼ばれて飛行場の格納庫を訪れていた。明日は北の平原の航空撮影に向かうが、今日は非番だった。

「それで、なぜお前が付いてくる?」

「それはヴァーミリオン君が明日、北を飛ぶからです」

 事務作業を中断しておれに同行するエミリーの答えは、何のことだか要領を得なかった。彼女に限らず会社の者たちは社内に竜がいることに慣れたようで、最初の頃のようにおれを恐れる様子はなくなっていた。

「理由になっていない」

「私の婚約者がその辺りで地上班の仕事をしているんです。ちょうど今日も測量の作業があるはずです。だから、明日、君が撮影に行ったら、彼は地上から君の飛行機を見るかも知れない」

 その婚約者、マーカスと同じものを見たいのだと、エミリーは説明した。婚姻という社会制度については理解しているが、彼女の言うような愛情や思慕のことは、おれにはよく分からなかった。あまり興味の湧くものではなく、誰かに説明させる気にもならなかった。

 格納庫にはジャンが待ち構えていて、おれが訪ねると彼は得意げな表情で一機の飛行機を指し示した。

「お前のための機体だ。仕上がりは俺が保証する」

 それは深みのある朱色に塗装された飛行機だった。不意にその色を目にしたせいで、おれは思わず目を瞠った。全体的な形状はアントワーヌ航空で通常使用される機体と大差なかったが、翼の付け根の辺り、胴体の両側面に吹き出し口のようなものがあった。

「既存の機体を改造したんだが、中身はもう別物と言っていい。まず、魔力式の発動機だ。従来通り燃料でも動くが、機内の経路を通じて魔力を送り込んで稼働させられる。言っておくが、それで速度を出すのは無理だ。それはこっちの噴射機構でやる」

 彼は胴体の吹き出し口を軽く叩き、説明を続けた。それによると、発動機が魔力式になったことで、魔力の供給が続く限り航続が可能になり、特におれが操縦するときには燃費が大幅に向上する。

「もちろん、発動機がどれだけ元気でも、減速機構で調節するから、飛行速度には影響しない。が、その余剰分の回転を魔力に再変換して、噴射機構の魔力回路に蓄積させる。加速ボタンを押せば、刻印された術式が起動して噴射が起こり、大加速ってなもんだ」

「噴射機構に直接、魔力を供給するのはだめなのか? 間に発動機を挟む必要はないように思うが。それと、回転を魔力に変換して蓄積するのなら、従来の発動機でも可能だっただろう?」

「発動機の回転を利用するのは、魔力を供給する者によって噴射機構の挙動が左右されないようにするためだ。従来との違いに、さっきの燃費の話が効いてくる。二系統の減速機構があるようなもんだから、燃料の消費が激しくなる」

「燃費の大幅な向上が必須だったという訳か。ところで、噴射機構への供給は操縦中に止められるのか?」

「当然だ。いつでも切り替えられる。安全面への配慮を怠ってちゃ、一端の技師とは言えねえよ。まあ、そういうことだから、これも正直に言うが、設計はアトラスさんに手伝ってもらった」

 アトラスのやつは魔術の構築に関して、天賦の才でも有しているらしい。やつに並外れたところがあるからといって、今さら驚くこともない。

「やつの実力は認めているが、実際に作ったのはお前だろう。ジャン、礼を言わせてくれ」

「おう」

 ジャンは嬉しそうに笑い、それを見ていたおれも何となく気分がよかった。会話が途切れたのを見計らったのか、エミリーが口を挟んだ。

「綺麗な色ですけど、ジャンさんがこういう塗装をするのは珍しいですよね」

「実は、これもアトラスさんの提案なんだ」

「そう言えば、ヴァーミリオン君は赤とか橙っぽい色の竜だと聞いたことがあります。もしかして、本当は朱色なんですか?」

「アトラスさんによると、そうらしい。黄昏のような色なんだってな。実際のところは?」

 二人の視線を受けて、おれは首肯した。隠すようなことではない。竜としての自分自身と同じ色の飛行機に乗るというのは奇妙な倒錯に感じられたが、機体を眺めているうちに、それほど気にすることでもないように思えてきた。

「じゃあ、この飛行機に名前を付けてやってくれ。お前用の機体だからな、相応しい呼び名が必要だ」

 ジャンは飛行機の胴体にその名を記すと言って、ペンキの缶をいくつか見せてきた。文字の色も選ばせてくれるという。

「少し考えさせてくれ」

 しかし、すぐにそれどころではなくなってしまった。格納庫に何人かの人間が駆け込んできたと思うと、何やら慌ただしく作業を始めた。その中にはアトラスの姿もあり、やつはおれの方へと真っ直ぐに向かってきた。

「救援要請があった。すぐに出発する。ジャン、その飛行機はいつでも飛ばせる状態だな?」

 アトラスは朱色の飛行機を指さし、ジャンはうなずいた。救援要請とは飛行機の不時着時など、助けが必要な状態になった者が発する連絡だが、時には墜落の直前に連絡が入ることもあれば、要請した後に痕跡も残さず失踪してしまうこともあった。とかく、この仕事は危険と隣り合わせなのだった。

 要請があれば現地に向かい、捜索や救助を行う。これには航空会社の垣根を越えた連携が結ばれていて、目下の大陸地図プロジェクトにあっては、地上班に不測の事態があった場合も救援の対象となっていた。

 現在、おれの知る限りでは、アントワーヌ航空からはノクトとほか数人の飛行士が共同で大陸西部の広範な海岸地域の撮影に行っている。彼らに何かあったのだろうか。

「アトラス、行き先と救援の対象は。そいつらの状況はどうなんだ?」

「北の平原だ。明日、向かう予定だったから航路は頭に入ってるだろう。だから、お前が行くことになった。詳しい説明は現地に向かいながらでいいな」

「分かった」

 おれたちは飛行機に乗り込もうとしたが、エミリーに呼び止められた。彼女の顔は酷く青ざめていて、今にも気を失いそうに見えた。

「救援要請は北の平原で作業中の地上班からですか?」

「……行方不明者が二名、彼らの名はマーカスとウェインウェインだ」

 彼女が何を知りたいのか察したらしいアトラスの端的な答えを聞いて、エミリーは力なく床に座り込んだ。マーカスは彼女の婚約者だ。エミリーは絶望のために泣き始めたが、アトラスは彼女を放って飛行機に乗り込んだ。薄情なようだが、ここで彼女をなぐさめることに時間を使うより、一刻も早く出発した方が遭難者を助けられる可能性は高い。だが、おれは彼女に声をかけた。

「エミリー。マーカスはおれが必ず見つけ出す。それまで無事でいられるよう祈ってやれ。ついでに、ウェインウェインとかいうやつのこともな」

 彼女の返事を待たず、おれはアトラスの後を追って飛行機に乗り込んだ。操縦席に向かう途中、アトラスが何か言いたげな表情で見てきたが、悠長に話をしている時間はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る