第3話
嫌な予感を感じたのは、それから数週間経った頃だった。
ルリアは、城を空けることが多くなった。
教育係や、侍女、執事、誰に聞いてもその答えを教えてくれない。
しかし、不自然に目をそらす彼らが、何かを隠しているのは明らかだった。
日に日に会えなくなっていくルリアの表情が、胸を締め付けるほどに暗くなり始めた頃、私は思いがけずガゼルを問いつめた。
ガゼルもまた、教育係たちと似た反応を示した。
けれど、明らかに彼らとは違う感情が含まれていた。
唇を
明らかに深い感情の渦中にあった。
「ガゼル、私だけ知らないなんて、そんなの嫌よ。
また、ルリアに守られるなんて、嫌」
私だけが知らない理由。それはルリアがきっと口封じをしたからだ。
私に余計な心配をかけさせないように。
ガゼルはしばらくの間、
「舞踏会で一緒に踊られた、隣国の王族に、身初められたようです」
ーーー
「私は、国のためならこの身を捧げることができる。そう考えておりました。
ですが…人の心というのは、こんなにも脆い」
数日後の夜。ルリアの部屋で、ベッドに腰掛けるルリアが、おもむろに目を伏せた。
隣国の王族に見初められる、それは植民地の立場にとどまる私たちの国にとって、この上ない名誉に違いなかった。
上手くいけば、対等な立場まで国の地位を上げることができるだろう。
それは、ルリアが幼き頃から望んでいた富国、その実現でしかなかった。
「ガゼルには、なんて」
「私のことは忘れるように、と」
一段と深い影を落としたルリアの、悲痛に歪んだ表情は、私の心を深く揺さぶった。
そしてその感情は、愚かな言葉を私の口から吐き出させた。
「…忘れる必要なんて、ないよ。恋人のまま、いられなくなったとしても、
ガゼルは、私たちの良き友人でしょう?」
ルリアは、思い悩むように床を睨めつけたのち、小さく頷いた。
「ルリア、ガゼルに謝ってきて」
「そうね」
そして、ルリアは立ち上がり、私に背を向けて部屋を出た。
迷いのない、昔の彼女のようなその背中は、しかしなぜか私の胸をわずかにざわつかせた。
ーーー
それから半年後のことだった。城の中で、大きなニュースが駆け巡った。
ルリアが、妊娠したのである。膨らみ始めた腹を幸せそうに抑える彼女は、もう以前の翳りある彼女ではなくなっていた。
これで全てがうまくいく、そう思い始めた頃、私はとある夜にルリアの部屋に呼び出された。
ベッドの上で、大事そうにお腹をさする彼女は、見ているだけでこちらまで頬が緩むほどだった。
彼女はぽつりと言った。
「彼との子よ」
「隣国の王族でしょう?私の好みじゃないけど、整った顔立ちよね。きっと、子供も…」
「ガゼルとの子よ」
ルリアはピシャリと言った。しかしその表情にはもう迷いのようなものはない。
「この子を産んで、私たちの国の次の王としましょう。きっと、皆が喜ぶわ」
「どうしたの、ルリア、何言ってるのか、わからないよ」
その時の私の戸惑いを、どう表現すればよいだろうか。
けれど、ルリアは私の言葉がわからないかのように、ガゼルとその子の未来を楽しげに語り始めた。
きっと勇敢で国思いの子に育つわ、ああガゼルが大変ね、新しく王族になるのだもの、社交の基本を教えてあげなくちゃーー。
「ねえ、ルリア、隣国の王族にはなんていうつもりなの。
もしかしたら、ルリアもそしてガゼルも、お腹の中の子も、殺されちゃうよ。
私たちの立場を、わかっているでしょう」
しかし、ルリアは屈託のない笑顔で言った。
「もちろん、全てを包み隠さず言うわ。きっと彼も喜んでくれるでしょう」
すでにルリアはこの時、壊れてしまっていたのだろう。
私は、ルリアが強い人だと信じて疑わなかった。
けれど、それは違ったのだ。
私の二つ上の、まだ10代で瑣末なことで憂い、喜ぶ、脆く儚い存在なのだ。
ガゼルを忘れる必要がない、と私は言った。
けれど、ルリアには忘れることなどできなかった。
そして、どうにもならない葛藤の末の答えが、今目の前にいるルリアだった。
「そうだね、きっと…喜んでくれる」
私はただそう言い、部屋を出た。
自室に戻ると、私は考えを巡らせた。
もしもルリアが、このまま真実を王族に話せば、ルリアだけの問題ではなくなる。
隣国を侮辱したも同然だろう。きっとこの国はもうーー。
長き思案の果て、夜明けを告げる朝日が小窓のレースをほのかに照らし始めたころ。
私は、一つの結論に到達した。
ルリアを、壊れてしまったルリアを…生かしておくことはできない。
ーーー
その日の夕暮れ、私は、ガゼルを城の花畑に呼び出した。
10年前、彼と向かい合ったあの思い出の花畑だ。
私は全てを話した。
ルリアのお腹の子供、彼女の心の状態、そして国の未来。
「このままでは、この国は滅びゆくでしょう。
ですが一つだけ、全ての問題を解決する方法があるのです」
夕日を見上げながら目を細めた私に
彼もまた、その答えに辿り着いていたのだろう。
「私がやりましょう。すべての罪を、私が今ここで…」
私は彼に向き直る、ガゼルもまた私の方を見た。
10年の時を超え、私たちはまた同じように向き合った。
「私は、この国を守らなければなりません。…ガゼル全てを託します」
「仰せのままに、サラ様」
ガゼルが、背を向け、城の方に歩き出したその瞬間、
私はガゼルの手を取り、私の口元に彼の耳を当て、秘めた思いを告げた。
彼は目を丸くし、私の方を見る。
私は優しげに微笑むと、彼を突き押し、背を向けた。
「行きなさい」
「…はい」
私は、夕焼けに染まる空を見上げ、心の中で一つ呟いた。
長き時を超えたその先で、またーー。
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