第2話

私がガゼルに出会ったのは、隣国との戦争が終わって、しばらく経った頃だった。


ひどい戦争だった。数年間にわたるそれは、おびただしい被害をもたらした。

破壊された住居、トラウマを負った兵士、両親を失った孤児。


当時7歳だった私もまた、例外ではなかった。


父である国王の死、そして母である王妃の衰弱。

停戦協定は結ばれたものの、事実上、私の国は隣国の植民地になってしまった。


そんな中で残された、2つ年上の第一王女ルリアと第二王女の私。


女二人。

強い君主をひそかに熱望していた国民の、無言の落胆を私たちは誰よりも敏感に感じ取っていた。


押しつぶされそうな空気の中で、けれどルリアだけは違った。


「私たちで見返してやりましょう。必ずや富国を実現し、復興を果たすのです」


ルリアは、私にはまぶしすぎる人だった。


揺るぎない意志の強さ、皆が振り返るほどの美貌、そして大人を凌ぐ高度な知性。

幼い頃の私にとって、ルリアはまさに自分の理想だった。


そんなルリアと私には厳しい教育がなされた。


いつかの復興を果たすべく、

社交術から護身術まで、ありとあらゆるものを厳しく植えつけられた。


時折行われた、隣国との交流会では、辱めをうけることもあった。


辛く厳しい日々。

けれど、その中で唯一、心休まるひとときがあった。


それは、ルリアとともにお忍びで町に繰り出すことだった。


戦禍せんかの中で作られた、王宮の地下道。

避難用のこの道を使って、こっそりと町に繰り出すのである。


町にある市場では、珍しい食べ物やアクセサリ、かわいい洋服に満ちあふれていた。

そして、市場を歩く人々や商人たちはことさらに私たちに優しくしてくれたものだ。


今思えば、慣れない変装をしていた私たちのことなどお見通しだったのだろう。


そんなある日である。


ルリアが1人の男の子を抱えて帰ってきた日は、心底驚いたものだった。


避難用の地下道から戻ってきた彼女の背の上のガゼルは、

骨の浮いた痩せこけた体で意識を失っていた。


明らかに戦争孤児だった。


身寄りのないガゼルは、命の灯火が消えるまさにその狭間にいたのだ。


城の医務室にガゼルを連れて行った後、ルリアは数日間ほぼ寝ずに彼の容体を見守っていた。


そして、数日の介抱ののち、ガゼルはついに目を覚ました。


ルリアや医師が喜びの声を上げる中、ガゼルは放心状態で周囲を見渡した。


そして、その瞳が私と交差した。


まだ回復しきってはいない。

けれど、生命力を感じさせる鋭く力強い彼の瞳は、私の心をつかんで離さなかった。


それが、私とガゼルとの出会いだった。


ーーー


それから10年間、私とルリア、そしてガゼルは城の中でいつも一緒に過ごしていた。


身寄りのなかったガゼルは、城の衛兵として雇われていた。

城内の兵舎で暮らしていたガゼルは、私たちとすぐにでも会うことができたのだ。


中には、血筋のないガゼルと私たちが戯れることを快く思わない人たちもいた。


ガゼルはそうした視線を気にすることもあったが、

私とルリアがお構いなしに関わろうする、というのがお決まりのパターンだった。


年の近かった私たちは、すぐに意気投合した。

とりわけ、衛兵ガゼルの話は、王女生活に縛られていた私たちを楽しませてくれた。


最新武器を使用した隣国との合同訓練、地方視察で見た顔を覆うふしぎな民族、兵舎で行われる月に一度の腕自慢大会…


時にユーモアを交えて話されるそれを、私はいつも楽しみにしていた。


けれど、一つだけ、私には密かな悩みがあった。


ルリアとガゼルについてだ。


私は、ルリアとガゼルの間に、どこか入ることができない何かを感じていた。


二人が同い年だったからだろうか。

ガゼルを助けたのがルリアだったからだろうか。


二人が互いに交わす、誰にも見せることのない優しげな瞳を、私はいつも遠くから見つめることしかできなかった。



ーーー

だからきっと、私は嫉妬していたのだ、自分の姉、ルリアに。

私は大きな過ちを犯してしまった。


ある日のことだった。


隣国の貴族との舞踏会に、私とルリアが招待されたのだ。


事前に渡された招待状には、数曲の曲名が羅列られつされていた。

そして、各曲の横には踊りたい貴族の名前を書く欄があるのだ。


「サラ、誰選ぼうか!」

「私は…誰でもいいかな」

ルリアの好奇心に満ちた顔を横目で見ながら、私は極力、身分の低い男性の名を記入した。


きっと、ルリアは私に気を遣ったのだろう。

彼女も同様に、身分の低い男性の名を書いた。

私の目から見れば、極めて不釣り合いに見えるほどに。


顔を上げたルリアの、健気な作り笑顔に、私は顔を背けることしかできなかった。


舞踏会当日、ガゼルら衛兵に連れられ、隣国の城内にある大広間に私たちは入っていった。


そこで、私は分かり切っていた結末を目の当たりにしてしまう。


隣国の上級貴族の男性が、こぞってルリアにダンスを申し込んだのだ。


上級貴族の誘いを断れば隣国との関係が悪化しかねないことを、私たちは事前に再三伝えられていた。


なのに。


ルリアは私の方にたびたび視線を送りながら、私を気づかうように貴族たちの申し込みを断ろうとした。


壁際でぽつりと立つ、周囲に誰もいない私の方を見ながら。


それが…当時の私には、耐え難かった。


「踊りなさいよ!私たちに、選ぶ権利なんかないでしょう?」

私はそんな捨て台詞を吐きながら、舞踏会の大広間を抜け出してしまった。


煌びやかなシャンデリアに照らされた、隣国の城内を無心で駆け抜けた。


そして、どれくらい走っただろうか。


気づくと、私は城外の庭園に一人立ちつくしていた。


夜空に浮かぶ三日月が、庭園をほのかに照らしている。

冬の冷たい夜風が、火照った頬を優しくなでるように過ぎ去っていった。


この夜の中で、いつまでもたゆたうことができるのならーー。


そんなことを考えた時だった。


「サラ様」

誰もいないと思っていた背後から靴音が聞こえた。

私は大慌てで瞳を拭いながら、振り返る。

そしてそこに立つ人物に、思わず目を丸くする。


「ガゼル、なんで」


灰色のミリタリーコートを着たガゼルが、白い息を吐きながら

私を見つめていた。


「わかりません。気づいたら私も、広間を抜け出しておりました。

 少しの間だけ…お供させてもらってもよろしいでしょうか」


私のことなんて、何とも…。

一瞬、そんな考えが頭をよぎって、けれど私は頭を振った。


そして私は唇を噛み締めながら、ガゼルの前で小さく頷いたのだった。


ーーー

「…私には、何もございません。

 第一王女としての地位も、意思の強さも、知性も、そして美しさも。

 人を思う…優しさでさえも」


庭園の噴水を囲む縁石に、ガゼルと共に座りながら、私は一人悔いていた。

ルリアへ言ってしまった心ない言葉を。


ガゼルはただじっと私の言葉を聞き、そして独り言のようにつぶやいた。


「そんなことはございません。…サラ様は覚えておいででしょうか?」

「…?」

「私が、小さき衛兵として雇われ始めた頃を覚えておいででしょうか。

 あの時の私はまだ、自分の過去に囚われておりました。

 けれど、城の花畑で、サラ様にいただいた言葉で私は…救われたのです」


花畑。その言葉で、私は10年前、自国の城の花畑で、ガゼルと二人きりで向かい合ったことを思い出す。


あの時のガゼルは、両親を戦争で亡くした心の傷を抱えていた。

そして、それは兵役をこなす上で大きな障害となっていたのだ。


彼は、武器を手に取るだけで、体が震えてしまった。

戦争の恐怖が、彼の体の自制を奪ったのだ。


花畑の中で彼は一人、その葛藤に苛まれていたのだ。


「サラ様はあの時言いました。

『もしも、私とガゼルが二人だけになって、敵が襲いかかってこようとしたとして。

その時、もしやはりあなたが怖くて戦うことができないのならば』」


ガゼルは一呼吸おき、晴れやかな顔で夜空を見上げた。


「『私を盾にしてでも逃げ延びなさい』、と」

「…言うだけなら、簡単だもの」

「ですが私は、その時、ようやく覚悟が決まったのです。

 この人のためなら、命を捨てることが、きっとできると」


ガゼルはこの時を境に、体の震えが止まったという。

そして、これまで衛兵としての務めを果たすことができたのだと。


私は一人、無言で地面を見つめる。


「サラ様、サラ様は誰にもないものを持っております。

 ルリア様にさえ、ないものです。

 サラ様は…誰よりも人の痛みを知っております。

 その優しさに、私は確かに救われたのです」


私は顔を上げて、横に座るガゼルを見た。

ガゼルは優しげな瞳で、私を見ていた。

その瞳はやはり、ルリアに向けられるそれとは違う。


けれど、私はこの時、ようやく生きるべき道を知ることができたのだ。


この胸に宿る思いをすべて秘し隠して、ルリアとガゼル、そして国のために、この身を捧げる道を。


「ガゼル、ありがとう。私、行かないと。…ルリアに謝らないと」

「…ええ」


そして、私は立ち上がった。

この覚悟が、事件を引き起こすことを知りもせずに。

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