17 虫歯

 週明けに出勤し、まずは喫煙所に行くと、和哉さんが先にいた。


「おはようございます。兄の誕生日の時はありがとうございました」

「ああ、おはよう……」


 よく見ると、和哉さんは首に絆創膏を貼っていた。


「それ、どうしたんですか?」

「その……誰にも言うなよ」


 和哉さんは耳打ちしてきた。


「抱かれちゃった……」

「えっ」


 相手はまあ……室井だろう。


「あの後何があったんですか……」

「ショットバーで飲んでて、気付いたら連れ込まれてたなぁ、あはは」


 そう言って笑う和哉さんは、どことなく幸せそうだったので、俺はそれ以上追及しないことにした。

 昼休み、いつも通り兄の弁当を開け、ゴボウの煮物を噛んだのだが、奥歯に違和感があった。そういえば今年は歯科検診を受けていなかった。もしかして……できたか。

 帰って兄に口の中を見てもらった。


「うーん、わかんない」

「だよなぁ。歯医者行くか……」

「頑張ってね!」

「そういえばあーちゃん。あーちゃんは歯医者……行ってないよね」


 兄はあからさまに目を泳がせた。


「いい機会だし一緒に行こう」

「やだやだ! こわい!」

「検診するだけだから」

「だって絶対虫歯あるもん!」

「じゃあなおさら行かなきゃダメでしょ!」


 俺は無理やり二人分の予約をして、土曜日に兄を引きずって連れて行った。俺はやはり虫歯が一本あり、治療が始まった。終わって兄に聞いてみた。


「どうだった?」

「えへっ、五本あった」

「五本……」


 兄のことだ。どうせちゃんと通わないだろう。とにかく次の予約は俺と一緒の時間にしてもらって、その次からが肝心だ。


「あーちゃん。治るまでキスなしね」

「へっ……?」

「俺の虫歯だってあーちゃんからうつったのかもしれないし」

「そんなぁ、僕耐えられないよー!」

「したかったら早く治して」


 俺だって……我慢してるんだからな。それから、兄の歯医者の時間には連絡して促し、きちんと行ったかどうか報告させるということを繰り返した。


「静紀ぃ、もう無理、麻酔打たれるだけで僕死にそう」

「歯が悪いとそこから色んな病気になるんだからね? この機会にキッチリ治して」

「うう……」


 そんなことをしているうちに、室井のマンガがアニメ化されるという正式な発表がされた。さすがに俺も気になってきたので、一巻を買ってみた。


「ふぅん……ありがちな設定だけど、主人公に芯があるっていうか……引き込まれるね」

「へえ、そうなんだ。アニメの方は観てみようっと」


 続きが気になってしまい、十五巻あるものを全て揃えた。マンガを買うという習慣が無かったので、置くところがなくてしばらくは積み上げていたが、あんまりだと思ったのでカラーボックスを購入してそこに置いた。

 人は見かけによらないものだ。室井の描くキャラクターたちは皆作り込まれており、一筋縄ではいかない性格をしていた。こんな繊細な感情の機敏を描けるなんて、大したものだと思う。


「あーちゃん、一緒に読んでみる?」

「うーん、僕さ、マンガってどの順番で文字読んだらいいのかわかんないんだよね。セリフの他にも音が字で出てくるじゃない? あれが気になって……」

「そっかぁ」


 無理して読ませる必要はないか、と一人で最新話まで読み、昼休みに和哉さんと語り合った。


「あそこで伏線回収されるとは思いませんでしたね」

「だよな、話の作り込みが上手いんだよ先生は」


 共通の話題が増えたことで、和哉さんとの時間は楽しくなったのだが、気になるのは室井との関係だ。俺は和哉さんを飲みに誘い、聞いてみた。


「で……あれからどうなんですか」

「部屋にお呼ばれしちゃった……」


 室井は忙しいようだが、仲は順調らしい。生々しい話まで打ち明けられた。まあ、性癖が合うというのは結構なことだろう。


「静紀こそ、嵐士とはどうなんだ? まあ……兄弟なんだからそういうの聞くのも変かもしれんが」

「今ね……キス禁止期間中なんですよ」


 わけを話すと和哉さんはケラケラ笑った。


「虫歯五本は凄いな」

「もっと早く受けさせるべきでしたよ」


 そして、兄の治療が終わったのは、街中がクリスマスに染まる頃だった。俺が仕事を終えて帰宅すると、兄は玄関まで出てきて抱きついてきた。


「静紀ぃ、終わった終わった」

「うん、頑張ったね」


 俺は兄の髪をさらりと撫でて唇をふさいだ。


「んっ……」

「あーちゃん……」


 二ヶ月ぶりだ。まあ……やらしいことはしていたが。二人とも止まらなくて、冷えるというのにしばらく玄関にいた。


「静紀っ、今日はおでんにした」

「おっ、マジで? 楽しみ」


 大きな鍋にたっぷり入った具材をつつき、汁も余さず堪能した後、兄とゆっくり風呂に入った。兄も頑張ったのだ。俺は思いっきり甘やかした。

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