15 弁当

 兄の料理の腕はどんどん上達した。料理本のレシピ通りにキッチリするし、煮込んでいる間に洗い物をするということまでできるようになった。

 どれだけ疲れて帰ってきても、兄の笑顔と夕飯があれば頑張れた。そして、遂には昼の弁当まで作ってくれるようになったのである。


「おっ、それ嵐士が作ったの?」


 昼休み、和哉さんが俺の弁当箱を覗き込んできた。


「そうなんです。兄って今までやったことなかっただけで、こっちの才能あったみたいですね」

「卵焼きもよくできてる。良かったなぁ」


 和哉さんとの仲は付かず離れずといった感じだ。今まで通りいい先輩を装ってくれていて、仕事でも世話になっていた。

 普段の和哉さんはやっぱりカッコよかった。上司に対してハッキリと物を言うし、アルバイトさんには慕われていた。

 それだけに、本性がアレなのは残念すぎるのだが、人間、どこかでバランスを取らねばならないのだろう。


「なあ、静紀。今日部屋行っていいか」

「ええ、いいですよ。兄に連絡しておきます。三人分食事作ってもらいましょう」


 兄が買い出しに行くのは夕方だから間に合うだろう。連絡すると、了解のスタンプがきた。

 和哉さんを連れて帰宅すると、ダシのいい香りがした。


「おかえり。今日は肉じゃがだよぉ」


 味のしっかり染み込んだホクホクのじゃがいもを堪能した。和哉さんも目を丸くして驚いていた。


「嵐士、本当に作るの上達したなぁ」

「えへへ。段々楽しくなってきたよ」


 和哉さんが兄に尋ねた。


「嵐士は日中何してるんだ?」

「あっ、今日はね、競馬場行った」

「あーちゃん! ギャンブルはやらないでって言ったでしょ!」

「僕は賭けてないよ。直己くんに着いてってお馬さん見ただけ」

「本当だろうね?」

「本当だってば」


 兄の真っ直ぐな瞳を見れば、嘘ではないとわかったので、ひとまず胸を撫で下ろしたが、未だにあの室井という男とつるんでいるのは少し心配だ。


「あーちゃんは騙されやすいんだから、気を付けてよね」

「もう、僕だってこりてるから失敗しないって」

「……これまでも何かあった?」

「脱毛サロンで変な契約結んじゃって、直己くんに肩代わりしてもらった」

「うわぁ」


 和哉さんが口を出した。


「その、直己って奴は何の仕事してるんだ?」

「ああ、俺も気になる。あれだけ派手な格好してるんだから、勤め人じゃなさそうだけど」

「えっとね、今はマンガ描いてるって言ってたよ?」


 兄はスマホで画像を見せてきた。


「少年誌で連載してるんだって」


 和哉さんが叫んだ。


「リモ先生じゃないか!」

「和哉さん知ってるんですか?」

「超有名人だよ! おれ最新刊まで全部持ってる!」

「へえ、直己くんのマンガって面白いんだぁ」


 それから、和哉さんはマンガの内容をまくしたててきた。前世の記憶と能力を持つ高校生たちのバトルものらしい。


「嵐士、頼む! サイン貰ってきてくれ!」

「いいよー。今度会った時に言っとくね」


 和哉さんは興奮が冷めやらない様子で、マンガのバトルシーンの良さをくどくどと話し始めたが、俺は興味がないので退屈であった。兄も途中からあくびを始めた。


「それより和哉くん、今日はその気で来たんでしょー?」


 兄は和哉さんの鼻先をつんとつついた。


「ま、まあな……持ってきたものがあってさ……」


 和哉さんが取り出したのは手錠だった。俺はげっそりした。


「こんなもの会社のカバンに入れてたんですか? 職質されたら一発アウトでしたよ。それとも捕まりたかったんですか?」

「和哉くん相変わらずだね。どういう風にして欲しいのかきちんと言ってごらん?」

「えへ、えへへ……」


 後ろ手に手錠をかけ、ネクタイで目隠しをして、和哉さんの期待に応えてやった。撮影もして欲しいとのことだったので、俺がスマホを構えた。


「ほら、和哉さん。恥ずかしいところまでくっきりと写してますからね。俺と兄に感謝してくださいね」

「ありがとうございますぅ!」


 事後のタバコも恒例となった。今夜はけっこう涼しくて、湿り気のない、気持ちのいい風が俺たちの間を吹き抜けていった。


「そういえば、あーちゃんもうすぐ誕生日だね」

「そうなのか。いつだ?」

「十月二日だよぉ」

「じゃあおれが祝ってやるよ」


 事が終わると頼れる先輩に戻るので、やはり和哉さんのことは嫌いにはなれなかった。


「僕、中華食べたい! テーブル回るやつ!」

「ああ、いいよ。その日は……土曜日か。ちょうどいいな。予約しとく」


 和哉さんを見送ると、兄が俺の手をさすってきた。


「ふふっ……虐めるのも好きだけど、頭使うし疲れちゃうんだよねぇ」

「甘えたいの?」

「うん」

「しょうがないなぁ」


 俺も今回は撮影に徹していて物足りないところだった。たっぷりと時間をかけて兄をほぐし、嬌声をあげさせた。

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