05 後悔

 週末になった。兄は何もしなかった。タバコを吸って食事をして寝ていただけだ。応募した会社は面接に進むことなく落ちていた。

 極めつけに、スマホの充電はできているのに、使っていると電源が落ちると言ってきた。これも就活のためだ、俺は土曜日に店に行って新しいものを買ってやることにした。


「一番安いやつにしてよ……」

「わかってるって」


 ところが、在庫があるものとなると最新機種しかなかった。今のスマホがいつ壊れるかもわからないし、渋々それを買ってやった。


「おおー! 画面すっげー綺麗!」

「よかったね」


 手続きに二時間くらいかかったからぐったりだ。腹が減ったのでファーストフード店に来ていた。


「静紀、カメラのレンズニつついてるんだけど!」

「無駄に機能はいいみたいだね」

「こっち向いて」

「はぁ?」


 勝手に一枚撮られた。


「可愛い。ホーム画面にしよう」

「もうなんでもいいよ」


 山盛りにされたポテトをつまみつつ、俺は切り出した。


「で、仕事どうするの。俺だっていつまでも面倒見れないよ」

「そのうち見つけるから。もう少し居させてよ。静紀と一緒に過ごせるの楽しいんだよ」


 兄は大きな口であんぐりとハンバーガーを食べた。


「……あーちゃん、ソース口についてる」

「取って」

「もう」


 俺は紙ナプキンでぬぐってやった。幼児じゃないんだからそれくらい自分でしてほしいのだが、つい手が出てしまうのが俺の悪い癖だ。


「それより静紀、酒飲みたいよぉ。今夜は飲みに行こうよ」

「ダメ。家で少しくらいならいいけど」

「静紀酒好きじゃないの?」

「飲めるけど……父親アル中だったんでしょ。だから何かこわい」


 認めたくはないけど、俺にも兄にもその血が入っている。酔ってしまえばどうなるのかわからなかったし、俺はいつもふわふわした気分になる程度で止めていた。


「まあ、宅飲みもいいよな!」

「帰りにスーパー行こうか……」


 兄を連れてスーパーに行くと、カゴにどんどん酒やお菓子が入った。棒つきのチョコレートまで。俺はつい笑ってしまった。


「あーちゃんこれ好きだね」

「静紀だって。二人でよく食べたよな」


 時間はまだ早かったが、帰宅するとすぐに兄はビールのロング缶を開けた。わざわざ例のマグカップに注ぎ、ごくごく飲み始めた。

 兄はスマホをいじりっぱなしだった。変えたところだ、設定したいことが色々とあるのだろう。俺はチューハイを開けて直接ちびりと飲んだ。

 改めて兄の長髪を見ると、特に手入れしていないのが見て取れて、量も多いし毛先も揃っていなかった。


「美容院行ったら? お金出してあげる」

「マジで? 行く行く」


 兄はすぐに近所の美容院の予約を入れた。明日行ってくるらしい。


「俺としてはスッキリ切った方がいいと思うんだけど」

「長いの気に入ってるんだよ。似合うだろ?」

「まあね……」


 俺たち兄弟は顔立ちは似ているが、顔付きは違うなというのはよく思っていた。俺は無愛想な方だが兄は違い、コロコロと表情が変わって人懐っこい笑みを見せる。それで今までもどうにか切り抜けてきたのだろう。


「それより静紀、もっと飲めって。家なんだから気にすることないだろ。寝たらベッドに運んであげるから」

「うん……」


 俺は缶を傾けた。そして、開けた数がわからなくなるほど進めてしまった。


「本当、あーちゃんって取り柄ないよね……家置いといても掃除も洗濯も料理もしやしない……」


 俺はブツブツと溜まっていたものを吐き出していた。兄は能天気な笑顔でそれを聞いているだけだった。


「大体、そんなのでよくも三ヶ月間他の人のとこに居れたよね」

「まあ……昔の客だったしね」

「はぁ……?」


 俺は缶を握りつぶした。


「どういうこと」

「性欲処理はしてやってたからさぁ。僕、巧いよ。静紀にも穴貸そうか? 口でもいいし」

「ちょっと……何それ?」


 よくよく聞いてみると、兄は高校生の時に男の先輩に犯されたらしい。それから、売春して小遣いを稼いでいたと。


「そんな話聞いてない……」

「言えないよー、静紀中学生だったし。それより一発抜かせてやるって。僕、静紀なら抵抗ないし」

「はぁ?」


 兄は酒くさい口を近づけてきて、俺の唇をふさいだ。


「んっ……!」

「泊めてもらってるお返ししてあげる。なっ?」


 兄が売春していたという事実と酔いとで頭が回らなくなっていた。そのまま俺は……流された。

 ベッドにもつれこみ、甘い言葉としなやかな指に翻弄され、すっかり身をゆだねてしまった。

 ……どうしよう。最後までやっちゃったよ。実の兄と。男と、というより、そういうことを誰かとするのは初めてだったのに。

 特有の気だるさが俺を包み、徐々に意識もハッキリしてきた。兄は素足を俺に絡ませて頭を撫でていた。


「静紀、可愛かったぁ」

「まさかあーちゃんに童貞奪われると思ってなかった……」

「あっ、マジで初めてだったんだ? 気持ちよかった?」

「うん……」


 服を着て、兄がタバコを吸いにベランダに出たので、俺も一本もらった。二人分の煙は夜空に溶け、今更ながらに自分のしでかしたことを後悔した。

 

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