04 仕事
六時のアラームで目を覚ました。兄はぴくりとも動かなかった。俺は身支度をして家を出た。朝食はとらない。昼食を買いにコンビニに行ってコーヒーも調達し、デスクで飲むくらいだ。
仕事がたまっていた。俺は始業よりも三十分早く着いていて、ちらほらと出勤してくる同僚たちに挨拶をしながら、作業を進めた。
役員とアルバイトを合わせて四十人くらいの規模の会社であり、入社してもうすぐ五年になるが、俺は正社員の中では一番下っ端だった。
「おはよう、福原」
二年先輩の安田さんに声をかけられた。短く刈り上げた髪が爽やかで長身の男性だ。事務の俺とは違い彼は営業だったが、出身大学が同じことがわかり、それから世話を焼いてくれていた。
「おはようございます」
「なんかげっそりしてない? ちゃんと休んだ?」
「実はですね……」
俺は兄のことをかいつまんで話した。
「大変だねぇ」
「よそに迷惑かかるといけないんで、仕事決まるまでは置いときますけどね……」
こうして愚痴れる相手がいるだけマシだ。多少スッキリした俺は業務に集中した。
会社の近くにはあまり食べる店がない。なので、ほとんどの社員が昼食を持ち込み自分のデスクか休憩所で食べていた。俺はいつも通り休憩所に行き、安田さんの隣に座った。
「福原くん、またサンドイッチだけ?」
「まあ、考えるのも面倒なんで」
安田さんは手作りの弁当だ。俺もならってやってみようかと考えたことはあったが、弁当箱を買うことすらせずそのままだ。
「福原くん痩せてるしもっと食べた方がいいよ」
「夜はきちんと食べますよ、一応」
そうだ、兄の夕食も考えてやらなければならない。しかし、今日は何時に帰れるだろうか。そんな物思いが顔に出ていたのか、安田さんが肩を叩いてくれた。
「まあ、お兄さんの件が片付いたら、飲みに行こう」
「ええ、お願いします」
自分の作業で手一杯なのに、未だに新人だから電話も取らねばならず、結果どんどん遅れていく。定時にはあがれず、俺は会社を出て駅までの道で兄に電話をかけた。
「あーちゃん、今会社出た。夕飯どうした?」
「食べてない。買ってきて」
コンビニでパスタを買って帰ると、兄は巣で待っていた雛鳥みたいにぱあっと顔を輝かせて口を開けた。
「お帰り。寂しかったぁ」
先に兄の分のナポリタンをレンジで温めてやった。俺はその間に尋ねた。
「昼はどうしたの?」
「食べてない。寝てた」
「えっ、今日何もしてないの?」
「しんどかったんだもん」
そして……キッチンが焦げ臭い。
「あーちゃん、換気扇の下で吸ったでしょ。やめて。外行って」
「あっ、バレたか」
ナポリタンを渡して今度は俺のカルボナーラ。兄はもちろん俺を待つことなく食べ始めた。兄は言った。
「母さんのナポリタン、旨かったよなぁ……」
「ああ。ソーセージがゴロゴロ入ってて」
「食べたいなぁ。静紀、レシピ教えてもらってないの?」
「うん、知らない。まあ、機会があればやってみようか」
俺の分も温まったので食べ始めた。一人の食卓に慣れたつもりではいたが、やはり誰かと一緒というのは心強い。問題はその相手が無職で何の役にも立っていない居候の兄だということだが。
「スーツ姿の静紀、カッコいいなぁ。ちゃんと社会人やってるって感じ」
「給料はそんなに貰ってないんだよ。だから……」
「あはっ、言いにくいんだけどさぁ」
兄はわしゃわしゃと自分の髪をかいた。
「スマホ代払ってくれない? 止まりそう」
「マジか……うん……使えないと困るもんね……」
どうしよう、貯金足りるか。最悪、あれに手をつけるべきか。兄が徹底的にだらしないことで、母も諦めていたのか、俺名義の口座にちょっとした蓄えがあることを、俺だけにこっそり教えてくれていた。
「とにかくあーちゃん、一日でも早く職見つけて」
「簡単に言うなよぉ。もう少し充電期間が」
「早く働かないとどんどんダメになるよ」
兄はむくれてベランダにタバコを吸いに行った。子供の時からそうだ。分が悪くなると俺から逃げる。
兄と交代で風呂に入って洗濯物をした。明日はゴミの日だからそれもまとめた。風呂場の排水溝に兄の髪が絡まっていたのでうんざりした。出ていくまでは我慢しなければならない。
そして、寝る時は兄とぴったりくっつく。今度は後ろから俺の首筋に鼻をうめて匂いをかいできた。
「静紀、赤ちゃんみたいな匂い」
「はぁ……やめてよね」
「僕の匂いもかぐ?」
「やだ」
同じ石鹸とシャンプーを使っているのだから、違いも何もないと思うのだが。兄の手が俺の腹にきた。
「ぺったんこだなぁ」
「あーちゃんも似たような体型でしょ。っていうか触らないで」
「人恋しいんだよぉ……」
まだ一週間は始まったばかりだというのにこれか。寝ても疲れが取れなさそうだし、金曜日まで持つのだろうか。俺は兄の手を掴んで離させた。
「はい、おしまい。おやすみあーちゃん」
「おやすみ……」
それからも兄はしつこくて、もそもそと触ってくるので払いのける、ということを繰り返し、兄が諦めてくれるまで眠れなかった。
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