03 就活
朝起きると兄は床の上で身を丸めており、やかましいイビキをかいていた。どうせ昼まで起きてこないだろう。俺はキッチンで立ったままコーヒーを飲み、今日は一体どう過ごせばいいものやらと考えを巡らせた。
兄はとにかく勉強もできなければ素行も悪く、高校を出た後はお情けであの工場に拾ってもらったような男だった。おそらく自発的に就活などすることはないだろう。
俺は高卒でも大丈夫な働き口を探すことにした。いくつか目星をつけて兄のスマホに送りつけた。受けてくれるといいのだが。
「ふわぁ……静紀、おはよ……」
「もう昼だよ」
「タバコ吸いたい」
「部屋の中はダメ。ベランダ行って」
一服して戻ってきた兄は、ボサボサの髪を指でほぐしながら、さらなる要求を伝えてきた。
「おなかすいた」
「スーパーでも行く? 夕飯もないし」
「適当に買ってきて」
「何でもいいんだね?」
兄を連れて行って酒でも買わされる方が面倒か、と思い、一人で部屋を出た。スーパーまでは歩いて十分ほどだ。
食材を見ながら、兄が好きだったものを思い返していた。好き嫌いがややこしいのだ。卵は食べるが完全に火を通さないとダメだし、野菜もそう、生は無理で焼くか煮るかすれば食べられる。
生姜焼でもするか、と豚肉を手に取りかけてやめた。そういえば豚は食べはするけど文句も言う気がする。牛こま肉を選び、タマネギも買った。昼は唐揚げ弁当だ。
「はい。買ってきたよ」
狭苦しいローテーブルに二人分の弁当を置き、兄と肩を寄せながら食べた。俺は尋ねた。
「スマホに送ったやつ、見た?」
「あー、何かきてたな。もう肉体労働系は嫌なんだけど。事務がいいな」
「あのさ、事務なめないでよね。マルチタスク要求されるしけっこうしんどいんだから」
俺が今居るのもそういう部署だった。月末は作業が集中するしなかなか帰れない。昨日だって休日出勤している同僚や上司も居たようだが、俺は母の墓参りだからと休ませてもらったのだった。
「朝早くないやつがいいなぁ」
「いっそ深夜帯に入れば?」
「えー、夜は寝たい」
兄は食べ終わるとそそくさとタバコを吸いに行った。明日から俺は仕事だ。ダラダラ過ごさせるわけにはいかない。今日のうちにある程度話を詰めておかないと。
「あーちゃん。とにかくどこかに応募して。そもそも髪切ったら? 見た目で落とされるよ?」
「せっかくここまで伸ばしたのに? 長髪オーケーのとこならいい」
口を開けばワガママな要望しか出てこない。こんなのでよくここまで生きてこれたものだ。遠慮というものがないのか、さらに兄は言ってきた。
「服ボロボロなんだよね、静紀買って」
「まあ……必要経費か……」
俺たちは電車に乗ってショッピングモールに行き、安いが小綺麗な服を買い揃えた。下着も同じものを何日もはいていたと知り多めに買ってやった。
それから兄は雑貨屋へフラフラ、マグカップも買ってほしいらしい。
「僕専用にしてよ」
「それくらいならいいけど」
兄が選んだのは白地にネコの柄のもので、三十歳の男が持つにはいささか可愛らしすぎるのではないかという感じだった。
帰宅して早速そのマグカップにコーヒーをいれてやり、兄をけしかけて応募フォームの入力までこぎつけさせた。
「静紀、住所どうしよう」
「とりあえず俺のとこでいいよ。貸して、入力するから」
兄のスマホは画面が割れており、古い機種なのか動作ももたついた。何とか応募が完了し、あとは返事を待つだけとなった。
「ご飯作るよ。他の求人も見ときなよ」
「んっ」
俺が作ったのは牛丼だった。兄に合わせて砂糖は多め。母の味を再現したものだった。
「んー、美味しい。これからも色々作ってよ」
「あのねぇ、俺はさっさと出て行ってほしいんだけど? っていうか、今まで誰の家にいたの?」
「昔のツテを片っ端からあたってた」
「ふぅん……」
兄の交友関係はよく知らない。きっとろくでもないには違いないが。犯罪に手を染めてさえしなければ、それでいいかもしれないと考えるようになってきた。
「やっぱり静紀のとこが一番落ち着く。兄弟だもんな」
「落ち着かれても困るんだよ」
風呂に入り、寝ようとしたのだが、兄がしつこくベッドの上に乗ってきた。
「やっぱり床は痛いよぉ。一緒に寝てくれよ。今まで泊めてくれた奴らもそうしてくれてたぞ」
「……女?」
「いや、男ばっかりだけど」
「はぁ……わかった、わかったよ」
俺は後ろから兄に抱きかかえられた。
「こうしてるとガキの頃思い出すな、静紀」
「そうだっけ」
「母さんが夜職行ってから、静紀寂しくて泣いてたろ。僕が毎晩慰めてたんだよ」
「まぁ……そんな頃もあったんだろうね」
こんな兄だが、嫌いだと思ったことはなかった。むしろ、幼い時は、励まし合える生き物がもう一人居るという安息感はあった。
「可愛いなぁ。やっぱり可愛いなぁ、静紀は」
「ほだされないからね。明日もしっかり就活するんだよ」
兄の体温を背中に感じつつ、俺は深い眠りに落ちた。
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