02 居候
俺は酒には強いがあまり飲まない。会社の付き合いくらいだ。対する兄は、弱いくせに好きなのを知っていた。最後に一緒に飲んだのは母の葬儀の時。翌日なかなか起きてこなくて大変だった。
その経験があるから、今夜もあまり飲ませないようにしよう、と注文用のタブレットを自分の方に引き寄せた。
「あーちゃん、ビールでいいね。つまみは適度に頼むから」
「よろしく」
わざわざ兄に合わせて喫煙ができる店にしてやった。ビールが届く前に兄は火をつけてぷかぷかやりだした。
「あーちゃんさぁ……無職なんだからタバコ控えてよね?」
「無理無理。酒は何とか我慢できるけどニコチン切れたら死んじゃう」
「このヤニカス」
ビールが届き、俺たちはジョッキをぶつけた。兄はぷはぁと息を吐き出して言った。
「久しぶりのビールは旨いなぁ」
「どれくらい飲んでなかったの」
「三日くらい」
「どこが久しぶりだよ」
そして、枝豆やらエイヒレやらがテーブルに並んだ。それらをつまみながら、俺は兄に尋ねた。
「次、仕事どうすんの。ブランクは短い方がいいよ」
「そうなんだけどさぁ。どこもキツそうで」
「より好みしてる余裕なんかないよ。とにかく住み込みができるとこ探して……」
「まあまあ、そんな話は後でよくない? せっかく兄弟水入らずで飲んでるんだから」
兄が一気にジョッキを傾けたので掴んで止めた。
「ペース早すぎ。金も出さないんだからわきまえて」
「ケチ」
鉄板の上に乗った熱々のもも肉がきた。ゆず胡椒をつけて早速頂いた。悪くない。兄はまだ手をつけず、二本目のタバコを吸いながら言った。
「もう五年かぁ。早かったね」
「うん。あっという間だった」
育児を終えて、母の人生はこれからだったのに。葬儀には母の友人が大勢来てくれて、いかに周囲から慕われていたかということを俺は実感したのだ。
「静紀は結婚とかしないの?」
「ないない。そんな気になれないよ」
父のことを聞かされてから、結婚についてはいいイメージが持てなくなった。子供も別に要らないし、このまま一人で生きていく未来しか想像していなかった。
「あーちゃんは、父親の記憶あるんだよね」
「うん。ない方がいいよ。母さん殴ってるとこしか覚えてないから」
父が今生きているのかどうなのか、それすら知らなかった。戸籍を辿ればわかるのだろうが、その必要が出てくるまでしなくてもいいだろう。
「静紀、ビール追加」
「次で最後だからね」
「えー、三杯は飲みたい」
「仕方ないなぁ」
俺もジョッキの中身が尽きそうだったので頼むことにした。もう少しくらい料理が欲しいな、とタブレットを眺めた。
「あーちゃん、あとどれくらい食べる?」
「甘いものほしい」
「デザート……アイスくらいしかないけど」
「それでいいよ」
いくつか放り込んで送信した。店内はけっこう賑やかになっており、隣のグループが大きな声で乾杯をするのが聞こえていた。その間に皿の上はすっかりなくなっており、兄は満足そうにもしゃもしゃ口を動かしていた。
追加の注文が届き、俺も兄も無言でそれぞれ食べたいものを食べていた。母は仕事でいないことが多かったから、兄と二人で食事をすることがほとんどの子供時代だった。それを思い出した。
「静紀ぃ、最後の一杯」
「本当に最後だからね」
俺はお茶にしておいた。兄がダラダラとタバコとビールを消化するのを見ながら、互いに年を取ってしまったなぁと思った。
会計を終え、帰ろうとしたのだが、兄の足取りは覚束なかった。途中から腕を掴んで引っ張って、部屋に戻った。
「あーちゃん、シャワー先に使いな」
「うん……」
俺はその間にローテーブルを動かして隙間を作った。朝方は冷えるだろうから、ブランケットも出しておいた。勝手にボストンバッグの中身を見てみたのだが、服とタバコくらいしか入っていなかった。
兄が終わるまで呆れるくらい時間がかかった。入れ替わりに風呂場に入ると、兄の長い髪の毛が壁に張り付いていたのでシャワーで流した。
出てくると、兄はさも当然かのように俺のベッドに転がっていたので、揺り動かした。
「ちょっと。床で寝てよ」
「やだ。固い」
「泊めてもらう分際でその態度何? 家主の言う事聞いて」
「兄貴を敬えよ」
「敬うとこどこ?」
大体、小学生の時だって、兄の忘れ物を俺が届けたり、母に三者面談の予定を代わりに伝えたりと、散々面倒を見てやっていたのだ。尊敬できるところなど微塵も見当たらなかった。
兄はにんまりと笑って両腕を差し出して言った。
「じゃあさぁ……一緒に寝よう」
「狭いし嫌だよ」
「むぅ」
兄は口を尖らせてベッドからおりた。
「おやすみ」
俺は電気を消した。朝から外に出ていたのでヘトヘトだった。すぐに眠りについたのだが、夜中に寝苦しくて目が覚めた。兄が俺にへばりついてヨダレをたらしていた。
「……もう!」
俺は兄を蹴落とした。
「痛ぁ」
「こっちくんな」
「冷たい」
「嫌なら早く職探して出て行って」
兄は……いつまで居座る気なのか。俺は長期戦を覚悟した。
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