あーちゃんは働かない
惣山沙樹
01 墓参り
桜が咲く季節になると、母のことを思い出す。あの日はよく晴れていて、絶好の花見日和で。そんな日に母は死んだのだ。飲酒運転の車に轢かれたのだった。
母の人生は何だったのだろうと思う。父の記憶はないけれど、家事育児をするわけでもなければろくに金も入れない、酔って殴ってくるだけの男だったと聞いていた。
そんな父から逃げ出して、母は俺と兄を女手一つで育ててくれた。昼も夜も働き、それでいて兄弟に等しく愛情を注いでくれた。俺の就職が決まり、これから恩返しができると思った矢先のことだった。
あれから五年。もうすぐ命日だからと兄に連絡した。三歳年上の彼とは、こんな時ぐらいにしか会うことはない。別に仲が悪いわけではないのだが、お互い大人になったんだ、そんなものだろう。
母の墓は山奥にあり、霊園まではバスが出ていた。そこのバス停で待ち合わせるのが毎年のやり方だった。
「よう、
兄は胸まで伸びた黒髪をまとめもしないでそのまま垂らしていた。よれよれの黒いシャツに汚れたスニーカー。俺も私服だし、フォーマルな格好をしろとまでは言わないが、それにしてもどうにかならないのか。
「あーちゃん、せめて髪束ねて」
「今ヘアゴム持ってないんだよ」
俺はため息をついて、兄と並んで立ってバスを待った。俺たちの身長は同じくらいだ。百七十センチ程度。顔も声もよく似ていた。母の葬儀の時は、まだ兄も髪が短かったから、どっちが
バスが来て、俺たちは隣同士に座った。特に会話はなかった。うねうねとした山道の先をぼんやり見つめながら、酔う前に早く着かないかと思うだけだ。
三十分ほどして霊園に到着した。兄は真っ先に喫煙所に行った。毎年そうなのでもう咎めていなかった。俺は一人で事務所に入り、掃除用具を借りた。
タバコの匂いを引きずった兄を連れて、
「あーちゃん、掃除くらいは手伝ってよね」
「はいはい」
墓石を綺麗にして、母の好きだったカステラを備え、手を合わせた。今年も来たよ、母さん。俺は元気でやってるよ。心の中でそう報告した。
それからは、バスで山道を下り、バス停の近くにある蕎麦屋で昼食を取るのが恒例となっていた。特に美味くも不味くもないのだが、他に食べる店がないのである。
俺も兄も一番安いざる蕎麦を注文した。兄はアゴの下まである前髪を耳にかけ、蕎麦をすすった。
「なあ、静紀」
「ん?」
「泊めてくれない?」
「えっ、何で?」
「その……今、家なくてさぁ」
「はぁ?」
兄は確か、社員寮に暮らしていたはずだが。俺は問い詰めた。
「どういうことなの?」
「仕事クビになっちゃって、追い出されて」
「じゃあ今無職?」
「うん」
兄はヘラヘラと笑いながら頬をかいた。
「笑い事じゃないんだよ。いつクビになったの?」
「三ヶ月前。それから色んな奴のとこ転々としてたんだけど、限界きちゃって」
「……はぁ、もう」
そういう事情なら泊めないわけにはいくまい。昼食代も払ってやって、駅まで行った。兄はコインロッカーから大きなボストンバッグを取り出した。そこに兄の全ての持ち物が詰まっているらしかった。
そこから俺の暮らすマンションまでは、電車で一時間ほどだ。土曜日の昼下がり、車内は空いており、席に座ってさらなる事情を聞いた。
「なんでクビになったのさ」
「寝坊。みんな大目に見てくれてたんだけど、工場長が変わって厳しくなってさぁ」
「……職場のすぐ側に住んでたんだよね?」
「うん。同僚がよく起こしにきてくれてた」
全く悪びれる様子のない兄。昔からそういうところはあったが、三十歳になっても変わらないのか。
「とりあえず泊めてあげるけど、早く仕事探して出て行って。俺だってそんなに余裕のある生活してるわけじゃないんだから」
「わかってる、わかってる」
兄はポンポンと俺の頭を撫でてきた。
「いやぁ、優しい弟がいて助かった」
「やめてよね」
兄の手を払いのけた。よく見ると爪だけは綺麗に切られていたから、どういう衛生感覚なのだろうと思った。
まさか泊めることになるだなんて考えもしなかったから、何の準備もしていなかった。俺の部屋はワンルームだ。ソファなんて置ける余裕がなかったから、クッションに座ってもらうしかないし、寝るところはローテーブルを動かして何とか作るしかない。
ただ、物をあまり持たない生活をしていたので、片付いてはいた。そういえば兄をこの部屋に入れるのは初めてのことだった。
「何か……生活感ないね」
それが兄の感想だった。
「静紀、テレビは?」
「見ないから買ってない」
「パソコンは?」
「スマホあれば十分」
「えー、何も暇つぶしないじゃん」
「うるさいなぁ」
居候になるくせに。もう少し慎ましい態度を取ってほしい。
「あーちゃん、夕飯どうする? うち何もないけど」
「飲みに行こう」
「……金は?」
「静紀持ち」
「はぁ……今夜だけだからね」
そうして、近所の居酒屋に出かけた。
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