第15話 保健室にて

 ところが、想定外の事態が起きる。斉藤が私にフラレたという話が、学校中に広がったのだ。

 話の出処は、もちろん私ではない。何と斉藤本人だった。

 普通なら悲しくて、恥ずかしくて、心の奥に秘めるようなことを、斉藤はベラベラと吹聴して回っている訳だ。全く理解しがたい精神構造だ。

 恐らく、斉藤は失恋して他人から同情されるという経験をしたいだけだろう。自分も失恋に心を痛める、普通の男子であるとアピールしたいのだ。

 斉藤は初めての経験に嬉しいかもしれないが、私は堪らない。

 教室からトイレに行くだけで、少なくとも三回は悪態をつかれた。

「身の程を知らない女だね」

「なんだブスじゃん」

「とんでもないビッチらしいよ」

 わざと言っているのだろうから、当然耳に入る。

 やっとの思いで教室へ戻っても安息の場所ではないが、少なくともシノちゃんがいてくれる。

「梨花ちゃん、大丈夫?」

「うーん、あまり大丈夫じゃないかな」

「そだね、学校で一番の有名人になっちゃったもんね」

「一番の嫌われ者、ね。まあ、それもあるけど、今は別の意味で大丈夫じゃないの。机の教科書やノートが全部無くなったわ」

「大変! きっとギャル達よ。さっきウロウロしてたもん。すぐに捜さないと」

「時間が無いわ。飯野先生が来てしまう」

 言うより早く、古典の先生が教室に入って来た。

 私の席は教室前方のほぼ中央、机の上に何もなければ、いやでも先生の目に入る。

 挨拶の直後に言われた。

「宮里さん、教科書は?」

「トイレから帰って来たら、全部無くなっていました」

 先生の目が丸くなる。

「無くなった?」

「はい」

「そんな、中学生みたいな嫌がらせ、高校生にもなって誰が……」

 いや、嫌がらせに中学生も高校生もありませんから。

 教室の後ろから含み笑いが聞こえた。

 まだ二十代独身の若い先生がヒステリックに叫んだ。

「宮里さんの教科書を隠した人、すぐに返しなさい!」

 先生、ありがとう。感謝します。だけど、もういいから。ムキになればなるほど、アイツらを喜ばすだけだから。

 その時、思わぬことが起きた。

 斉藤が立ち上がると、ギャル連の席へ歩いて行ったのだ。

 ギャル連は教室の一番後に、横一列に三人並んでいる。その真ん中にいるギャルの前に立つと、バレーで鍛えた巨大な手のひらを、机の上に叩き付けた。

 雷が落ちたかの様な破裂音が響き、窓ガラスがビリビリと震えた。

「おい。今すぐ宮里さんの教科書を返せ」

 三人のギャルは真っ青になった。

「ち……違うのよ、斉藤くん。宮里があんまり生意気だから、私たちが斉藤くんの為に……」

「返せと言っている」

 斉藤の声は平静だ。その分、恐ろしい。

 私は絶対に斉藤を怒らすような真似はしまいと心に誓う……お誘いを断る時も言葉に気を付けよう。

 ギャル連は転がるように教室の後ろへ行くと、掃除道具を入れる棚の奥から教科書やノートを取り出した。そして、ゾンビの様な不自然な歩き方で私の所まで来ると、それを差し出す。

 私がそれを受け取ると、再びゾンビの様な歩き方で戻って行った。

 斉藤も自分の席に戻った。

「先生、お騒がせしました。授業を始めてください」

「え……ええ、そうね。授業を始めます。そこの三人は、あとで職員室に来るように」

 何事も無かったかのように授業は行われたが、教室の空気はピリピリと張り詰めたままだった。



 こんな事があれば、私にも何かしら指導があるだろうと思っていたので、放課後に保健室まで来るように言われても別に驚きはしなかった。

 イジメや人間関係で悩む生徒は、まず保健室でのヒアリングがお約束らしい。

 私が訪れた時、不登校から脱却した女子生徒が二人、保健室でのリハビリを終えて帰るところだった。

「先生、さよなら」

 二人同時に言った。

「はい、さようなら」

 そう応えた保健室の香坂先生は三十代半ば。やる気なさげだが、それがようやく学校へ戻ってきた生徒にプレッシャーをかけないための演出であることを知っているのは、私だけの特権かもしれない。

 私が保健室に入ると、その香坂先生の顔がパッと輝いた。

「RINKA先生、待ってたよ。最近来てくれなくて寂しかったわ」

「学校では先生と呼ばない約束ですよ。すみません、今はアンソロ用の作品で忙しくて」

「まあ、ステキ。マンガ? ノベル?」

「ノベルです。有名な作家さんばかりで、とてもあの方々と並んで絵を晒す勇気はありませんでした」

 香坂先生は結婚していて子供もいるが、なかなかの腐り具合だ。あるオンリーイベントで妄想全開のドエロな本を出した時に、お客さんで来てくれてお互いの性癖を知った。

「そう? RINKA先生の絵、好きだけどな。挿し絵だけでも入れてよ」

「だから先生は……」

 説明の必要はないと思うが、一応言うとRINKAは私の同人ペンネームだ。

 その時、古典の飯野先生が入って来た。

「宮里さん、あの後どう?」

「陰口は叩かれます。でも、それだけです」

「陰口ねえ。あのイジメっ子軍団の言ってたこと、本当なんだ」

 香坂先生が食い付いた。

「エッ、なになに? なんのこと?」

「宮里さんが斉藤くんをフッたって」

「うっそ……本当なの、RINKA先生?」

 こうなると香坂先生はメンド臭い。

「いえ、付き合ってほしいと言われたので、お断りしただけです」

「それ、フッたって言うんだよ。斉藤くんって、バレー部の斉藤くんでしょ?」

「ええ」

「バカじゃない?」

「は?」

「顔が良くて、背が高くて、スポーツもできて、性格まで良くて、あんな男のコ、他にいる? 私なら、旦那も子供も棄てて斉藤くんと生きるわぁ」

 さすがにマズイと思ったのか、飯野先生が香坂先生をなだめる。

「香坂先生、落ち着いて。女の本音がダダ漏れですよ」

「飯野先生は違うの?」

「私は……独身ですから」

「そうじゃなくて……」

「もちろん、生徒と教師でなければ、101番目の恋人でいいからなりたいですよ」

「101番……ずいぶん謙虚なのね。でも、その気持ちわかるわぁ。だけど、RINKA先生の気持ちは理解できない」

 香坂先生、あくまで私をRINKA先生で通すつもりらしい。

 腐女子であることを隠している訳ではないが、ことさらアピールもしたくないのだが……。

「まあまあ、世の中には色んな趣味や志向の人がいる訳ですから。でも、なぜ宮里さんが先生なんですか?」

 飯野先生が言い出したので、私は必死に話題を変えた。

「でも、斉藤くんがピシッと言ってくれたし、実害のある嫌がらせはもう無いと思います。明日もいつも通り教室に登校しますから」

 香坂先生にもようやく私の気持ちが伝わったようで、こう言って話を逸らしてくれた。

「101番目ということは、斉藤くんが毎日女を取り替えて遊んでも、1年に3回はデートできる訳ね」

「1年に3回も抱いてもらえたら十分だわ……」

 自分の言葉にうっとりする飯野先生も、女としての本音がダダ漏れだった。

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