第14話 最後のデート

 その日、私はいつもより念入りに良牙くんをメイクした。

 何度も良牙くんの目に涙がこみ上げてくるので、そのたびに中断しなければならなかった。

 それでも、最後の思い出のために、私は過去最高に美しいエルサにできたと思う。

 そして、私はエルサを送り出した。

「いってきます」

 そう言ったエルサに、私は気の利いた言葉の一つもかけたかったが、何も思い付かない。

「いってらっしゃい」

 ただ、そう返しただけだった。


 それから二人は映画館に行ったという。

 古いフランス映画のリメイクだ。

 エルサが勇気を出して手を握ると、父は黙って握り返したらしい。

 映画の後は、夜景のきれいなイタリア料理のレストランで食事したそうだ。

 父が窓際の席をリザーブしていたので、本当の恋人同士のように過ごせたと良牙くんは後に語った。

 食事が終わり、エルサは最後に、この街のシンボルでもある大観覧車に乗りたいとねだる。

 デートの定番。一周一五分、お一人様九〇〇円の空の旅。

 そして当然、『頂上でキスしたカップルは結ばれる』という定番のジンクスも付いてくる。

「キスして……」

 エルサが言うと、父はためらわずに唇を重ねたという。

 その時の父の心理状態を私が知る由も無いが、男はやはりスケベだと、聞いた時は単純に思った。

 観覧車を降りた時、涙を堪え切れなくなったエルサは、精一杯の笑顔で「さよなら」と言って走り去る。

 心のどこかで追いかけてくる事を期待していたが、父はそうしなかった。

 こうして、最後の悲しいデートは幕を閉じた。


 スマホにメッセージが届いて、すぐに着替えとメイク落としを持って約束の場所に向かった。

 ホテル併設のカフェ。

 エルサは既に到着しており、テーブル席に座っていたが、涙で顔が凄いことになっていた。

 店員が怪訝な顔でエルサを見ている。

 私は慌てて荷物を渡し、トイレへ向かわせた。ここのトイレは、全て男女兼用の個室タイプだ。

 良牙くんに戻って席に帰ってきた時の店員の顔がケッサクだった。

 だが、良牙くんに戻ったからと、心の平静が取り戻せる訳ではない。落ち着くまでコーヒー一杯で粘り、それから家に帰った。


 義母には、遠方で行われたアニメイベントに参加してきたことになっているので、帰宅が遅くなっても、早く入浴するようにうながされただけだった。

 父はまだ帰ってなかった。

 その父が帰って来たのは、間もなく日付が変わろうとする頃だ。

 ここまで酒に酔った父の姿を見たのは初めてだった。ベロンベロンという形容がピッタリだ。

 義母に支えられて千鳥足で歩く父を見ながら、もしかすると父もエルサのことを愛してしまっていたのではないか、と思った。



 そして、日常が戻った。

 良牙くんは素直な息子に徹し、父は女子高生(本当は違うけど……)とデートしてキスまでした事など、おくびにも出さない。

 私はアンソロ用の二次小説の執筆に全力を傾けていた。

 リビングに家族が揃うと、父は最近特に磨きのかかったおやじギャグを連発する。

 良牙くんはそれを楽しそうに笑う。

「良牙くん、いちいち反応しなくていいからね。お父さん、図に乗っておやじギャグが止まらなくなるから」

「でも、本当におもしろいから」

 一見、ご機嫌そう良牙くんだが、事情を知っているだけに、私にはどこか寂しげで無理をしているように見える。

 良牙くんは今、どんな気持ちなんだろう?

 泣けるほど誰かを好きになったことのない私には、想像すらできなかった。


 しばらくして、良牙くんは、良牙くんの姿のまま、江澤に会った。

 港が見下ろせる小さな公園。向かい合う二人。

 私たちの他にもカップルが一組いたが、自分たちがイチャイチャするのに夢中で、他人など眼中に無いようだ。

 江澤は固まったまま良牙くんを見つめていたが、やがて右手を差し出した。

「男でもやっぱり好きだ。付き合ってください」

 江澤、あんた偉いよ、漢だよ。

 正直、少しウルッとしてしまった。

 だが、良牙くんがその手を取ることはなかった。

「ごめんなさい。失恋したばかりで、今はそんな気持ちになれないんです」

 江澤はスゴスゴと右手を引っ込める。そして、やせ我慢の笑顔を浮かべた。

「そっか……はっきり言ってくれてアリガトな。でも、当分諦めないから」

 その様子を少し離れたベンチから見ながら、斉藤は言った。

「片が付いたみたいだね。宮里さん、オレの先日の返事も聞かせてもらえないかな?」

 おっと、コッチも来たか。

「私、人を好きになるというのが、まだよくわからなくて……男の人と付き合いたくないというのが本音です」

 斉藤はゆっくりとうなずいた。

「そうか……やっぱりね。覚悟はしていたけど、ショックなものだね」

 ショックですか? 凄く落ち着いていますけど?

 斉藤は、港を出て小さくなっていくフェリーを見つめる。

 その表情は、シミジミと失恋を噛み締めているように見えた。

「オレもさ、そう簡単には宮里さんのこと、諦めないよ。また、友達からお願いできないかな?」

 おいおい、このモテ男、なんで私みたいな陰キャな地味コに固執するんだ? 確かに乳はデカいが、女はそれだけじゃないだろ?

 私は思わず首をすくめた。

「斉藤くんがそれで良ければ。だけど、ファンの女のコがあれだけいるのに、わざわざ私なんかじゃなくても……」

 そう言いかけて、私は一つの仮説に思い当たった。

 もしかすると斉藤は、片思いや失恋といったものを経験したかっただけではないか? だから、敢えて自分に関心を示さない私にアプローチをかけたのではないか?

 この仮説は、私の疑問の全てを解決してくれるものだったので、そう結論することに決めた。

 それだけで、私の心はスッと軽くなった。モテ無い者にはモテ無い者の悩みがあるように、モテ過ぎる者にはモテ過ぎる者なりの悩みがあるのだろう。

 それでも斉藤は、一応嬉しそうに微笑んでくれた。

「ありがとう、宮里さん。今回は性急過ぎたかな。ゆっくりお互いを知る時間が必要だよね」

「そうですね、もっと時間が必要かもしれません」

 大丈夫よ、斉藤くん。

 私がアナタに失恋のフルコースを経験させる悪女を演じてあげるから……。

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