第13話 忘却
お湯で洗ってはダメなのは、血液と同じではないか?
そう直観した私は素早く水で顔を洗うと、次にトレーナーを脱いで精液が付着した部分を洗い流した。
幸い、ジーンズは無事だった。
良牙くんは、上半身ブラジャーだけになった私から目をそらす。
「そんな、あられもない姿を……」
「人の事を言う前に、自分のオチンチンを何とかしなさいな」
私は、良牙くんの股間にチラッと目をやる。そして仰天した。
射精により、急速に収縮を始めていたソレが、再び巨大さを取り戻していたからだ。
私の下着姿に良牙くんのソレが反応している事に気付くと急に恥ずかしくなり、洗った部分が濡れているトレーナーをそのまま着てしまった。
良牙くんはベソをかいたまま、脱ぎ散らかしたパンツとズボンをフラフラとかき集める。
死にたい、消えてしまいたい、と繰り返し呟いた。
まあ無理もない。
私だって、家族にオナニーしている所を見られたら、同じように思うだろう。
良牙くんがパンツとズボンを穿いている間に、私は床に飛び散った精液をティシュで拭き立った。
脱衣所にこもった精液の匂い……アソコがジュンとくる。自分もオスの匂いに欲情するメスなのだと実感する。
「初体験より早く、顔射を経験してしまったわ。良牙くんには責任を取ってもらわないと」
泣き止まない良牙くんをリラックスさせようと言った冗談だったが、良牙くんは思いつめた顔でうなずくだけだった。
私は諦めて本題に入る。
「それで、お父さんが良牙くんの恋愛の対象になったのは、いつからなのかしら?」
「最初から……です。初めて会った時から……」
私は良牙くんから父のパンツを受け取り、代わりにティッシュを渡す。
「そう……それは辛かったわね。でも、既婚者を好きになって傷付くのは、いつも未婚者よ」
もちろん、私自身はそんな経験した事ないけれど。
良牙くんの泣き声が一層激しくなる。
私は哀れに思い、良牙くんの細い肩を抱き締めた。
まあ、責任の半分が私にあるのは明らかだ。
良牙くんにエルサというもう一つのキャラクターを与えた事により、秘するしかない恋心に抜け道を与えてしまったのだ。
良牙くんは、土曜日になるとエルサに変身し、偶然を装って父に会って二人きりの時間を過ごしていたという。
父も絶世の美少女から好意を持たれて気分が悪い筈がなく、楽しく過ごしていたに違いない。
だが、それも毎週となると話は別だ。『友達のお父さん』ではなく、『一人の男』として見られている事に気付いた時の父の困惑は想像に難くない。
とうとう父は、次の土曜日を最後に二人で会うのをやめるとエルサに告げたと言う。
その寂しさが、父のパンツの匂いをオカズにオナニーに耽るという行為に走らせたのだった。
「この恋はみんなを不幸にするわ。だって、お父さんは、良牙くんのお母さんの旦那さんですもの……」
自分の部屋に戻っても、良牙くんは泣き続けた。
私は、そんな良牙くんの背中を撫でることしかできない。
「……でもね、新しい恋はいつでも始めることができる。江澤くんと付き合ってみてはどうかしら。江澤くんはね、本気で良牙くんを愛しているわ。男だと知っていてもよ」
だが、良牙くんは首を横に振った。
「お義父さんのことは、最初から諦めています……だけど、だからといってすぐに他の人を好きになるなんて、できません」
正論だろう。
そういえば、私の周囲で失恋した人は、みんな同じことを言っていた。
「そうね。だから、お友達から始めればいいわ。良牙くんは、これから沢山の人と出合って、世界を広げていかないといけないのだから……」
どの口が言っているのだろうと、私は自分自身に呆れる。
リアルな友達などごく僅か、ネットで繋がっているのも同人関係の人だけ。
広いのは、BLの妄想の世界だけである。
それでも、口が達者な私は、それっぽい事を言って人を説得することができる。
「……いっぱい恋して、いっぱい失恋して、その中から本当の恋は見つかるの。自転車と同じよ。何度も倒れて、人はようやく自転車に乗れるようになる。恋も二度や三度は破れて当然、次へ進む大切なレッスンなのだから」
良牙くんは、ようやく自分で涙を拭いた。
「はい……ボク、前を向きます。普通の失恋と違って、家族として毎日顔を合わさないといけない、辛い失恋だけど」
私は、良牙くんをギュッと抱く。
「今度の土曜日は、お父さんに思いっ切り甘えてらっしゃい。思いの全てを伝えたらいいわ。そして、この恋もエルサも封印するの」
「はい……」
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
「何ですか、それ?」
「古いドラマのセリフ。忘れられる筈ないのに、忘れないといけない恋の悲しさを表しているの」
「何だか胸に沁みます……忘却を誓う心の悲しさ、か……義姉さんには恥ずかしい所ばかり見られて……忘れてくれますか?」
「そうね、忘れ得ずして忘却を誓う、ってとこかしら」
ようやく良牙くんは笑顔を見せてくれた。
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