第12話 一方通行

 放課後、そこは私の秘密基地になる。

 遠くに吹奏楽部が練習する音が聞こえ、時々図書委員が本を借りる生徒とヒソヒソと会話をする。

 私は古い百科事典に守られて、今度のアンソロに寄稿する二次小説のプロットやアイデアをノートに書きとめる至福の時間を過ごしていた。

 ここを江澤のみならず、斉藤にまで教えることになるとは、全く不本意以外の何物でもなかった。

 だが、やがて斉藤がやって来た。

「ヘエ、図書室の奥に、こんな場所があったんだ」

 部活を抜けてきたのだろう、セットアップのトレーニングウェアを着ている。これがまた、憎らしいほど体形に合っていてイラッとくる。

 誰もいない場所でと言うから、嫌々ここを教えたのだ。早く話を済ませて退散して頂こう。

 私はノートを閉じた。

 精一杯の愛想笑いを浮かべる。

「放課後は良くここに来るの。時間が止まった様な感覚が好きだから」

「宮里さんって詩人なんだね。そのノートには、ポエムが沢山書かれているんだろうな」

 違います。

 そんなキモいこと書きません。書いているのはエロい妄想ばかりです。

 私が曖昧な笑顔で黙秘していると、斉藤は私の前の席ではなく、わざわざ隣に座った。しかもイスに横に座って私の方を向き、机とイスの背もたれに両肘を乗せる。

 そして、顔を私に近付けた。

「はい?」

 一瞬驚く私。

「今日は江澤のこと、アリガトね。あいつ、結構チャランポランだけど、エルサちゃんのことは真剣なんだ。それはオレが保障するよ」

 斉藤は小声で言った。

 誰かに聞かれないよう用心するのに越したことはないと思うが、あまり顔が近いとさすがに私もドキドキする。

「あ……ああ、大丈夫ですよ。斉藤くんにも十分チャンスは残っていますから」

「えっ?」

 斉藤の目が丸くなる。

「エルサちゃんは、斉藤くんのことも好きだと思います。今は江澤くんと同じくらいかな。だけど……」

「ちょっと待って……」

「……江澤くんは情熱的だから、斉藤くんもこれからはグイグイ行かないと、取られちゃいますよ……」

「ストップ」

 斉藤は人差指を立て、私の唇を押さえた。

 突然の事に、私はフリーズする。

「エルサちゃんは好きだよ。性別抜きで素敵なコさ。だけど、オレにはもっと好きなコがいるから……」

 ゆっくりと、人差指を私の唇から離す。

「……宮里さんが好きなんだ。オレと……付き合ってくれないか?」

 思考まで完全フリーズの私は、口を利くことすらできない。

「突然と思われるかもしれないけど、オレなりにアプローチはしていたつもりだよ。だけど、はっきり伝えないと、宮里さん、気付いてくれそうもないからさ」

 斉藤は立ち上があった。

「そろそろ練習に行かないと。返事は急がないよ。よく考えてもらえると嬉しいかな」

 余裕の笑顔。

 後ろ姿を見送りながら、斉藤の辞書に「失恋」という文字は無いのだろうと思った。



 その後、プロットを考える気分ではなくなったので、下校して真っ直ぐ家に帰った。

 玄関には良牙くんの靴だけがある。帰宅しているようだ。

 継母はおでかけらしく、リビングにもキッチンにも姿はない。

 部屋着に着替えて良牙くんの部屋へ行った。

 ノックをしても返事が無い。

 中を覗いたが、やはり誰もいなかった。

 トイレかなと思っていると、浴室の方から人の気配がした。

 耳を澄ますと、大きく呼吸を繰り返す音が聞こえる。その呼吸音はどんどん大きくなり、やがて苦しげなうめき声に変わった。

 異変を察した私は慌てて浴室へ向かい、ドアを開ける。

「良牙くん! 大丈夫!」

 だが、そこで私が目にしたのは、左手で父のパンツを鼻に推し当て、右手で勃起した己の陰茎を握りしめた、下半身裸の良牙くんだった。

 良牙くんが叫んだ。

「イヤぁ! 見ないでェ!」

 男の子の生理はわからない。だから、見ないでと叫びながら、右手の小刻みな上下運動を止めない良牙くんの精神状態もわからない。

 恐らく、絶頂寸前で止めるに止められなかったのだろう。次の瞬間、短く叫んで仰け反った。

「んあっ!」

 その時、私はいかに自分の知識が頭でっかちであったかを痛感していた。

 私がマンガやイラストを描くとき、ソコは他の作家さんの模写だ。勃起した男性器の実物を見た事が無いのだから仕方ない。

 だから、BLマンガで描かれるソコは多分にデフォルメされ、実物より巨大かつグロテスクに表現されているのだと思っていた。

 ところが違っていたのだ。ソコは驚くほどの精密さで詳細に描写されており、各先生方の画力には驚くばかりだ。

 だが、違っている所もあった。

 射精の勢いである。

 マンガでよくある様な「ピュッ、ピュッ」なんて生易しいものではなかった。中には「トローリ」などと表現する作家さんもいるが、大間違いもいいところだ。

 目の前で実際に見た者の実感としては、「ドッカン!」としか表現が見つからない。

 テーマパークなどで真夏に行われるイベントで、キャストから巨大な水鉄砲で水をぶっかけられる、あの感覚である。

 良牙くんから私まで約二メートル。その距離から私の顔面に直撃したのだ。平手打ちされたような衝撃に、一瞬何が起きたのか理解できなかった。

 その直後に、二発目が再び顔面を襲う。

 ヤケドしそうな熱さと子宮まで届きそうな匂い。青臭いなどと表現される精液の匂いは、私には漂白剤を強烈にした匂いのように感じた。

 それからも、三発目、四発目と白濁した粘液が断続的に飛んで来る。三発目は胸に、四発目は腹に命中した。

 この日、二度目のフリーズをした私は、飛んでくる粘液を避ける事もできない。

 良牙くんは、射精のたびに「んあっ! んあっ!」と短く叫び、これでもかと右手首を高速で上下に動かした。

 やがて精液は勢いを失い、床を濡らす。と同時に、良牙くんも力無く床に座り込んだ。

「ああ……こんな恥ずかしい姿を見られて、ボクはもう生きて行けません……」

 泣きじゃくる良牙くん。

 私は、身体の前面を精液まみれにしたまま、茫然と良牙くんを見下ろした。

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