第11話 大噓も方便

 図書室の百科事典のコーナーは、この学校で最も人の少ない場所の一つだろう。こういった一角があることを知らない生徒も多い。

 何でも簡単にネットで検索できるこの時代に、わざわざ百科事典で調べものをする生徒などいない訳だが、私はこういった辞典が編集された時代の解釈を読むのが好きだった。

 案の定、今日も誰もいない。

 強制的に江澤をイスに座らせると、自分からボソボソと喋り始めた。

「オレ……ガキの頃から女のコにはよくモテててさ、よく考えたら自分から誰かを好きになったことなんて無かった。実はエルサちゃんが初めてなんだよ……なのに……」

 江澤の視線が宙を泳ぎ回り、言葉が出なくなった。

 仕方ないので、私が言葉を続ける。

「自分から好きになった初めてのコが男子だったなんて、かしら?」

 江澤は黙って頷いた。

「そうね、最初に自分が同性を好きになったと自覚した時、誰しも戸惑うと思うわ。私もそうだったもの」

「えっ? 宮里もこんな経験があるのか?」

「あるわ。中学の頃よ」

 大嘘である。

 だが、江澤はすがるような目で私を見た。

 チクッと胸は痛んだが、大嘘はつき通すためにある。

「何度か人を好きになったけど、同性は彼女だけだった。その時は悩んだけど、今は人を好きになるのに、性別で壁を作るのはバカげたことだと思ってる」

 私は、江澤の目を真っ直ぐ見た。大嘘は、目を逸らしたら負けである。

「大切なのは、自分の心に正直になること。自分が自分の味方でなくて、誰が味方なの? 江澤くんの取り巻きの女子だって、江澤くんを好きなのは所詮自分のため。江澤くんだって、自分の心に正直に誰かを好きになる権利があるわ……」

 江澤の目がうるんだ。

 私はダメ押しの一言を付け加える。

「……たとえ、それが同性であっても」

 涙がこぼれ落ちないように江澤は上を向く。

 そして、大きく息を吐いた。

「そうだよな。オレは、自分の心に正直でいいんだ……」

 勝負はついた。勝者とは、これすなわち正義なのだ。

「エルサちゃんも悩んでいるの。心と身体の不一致は、多様性の時代にあっても、本人には大きな問題だから」

「あのコも……悩んでいるのか」

「そうよ。だから、江澤くんにはエルサちゃんを支えてほしい。性別なんて簡単に乗り越える、江澤くんの大きな愛で」

 憑き物が落ちた様にサッパリとした顔になった江澤を一人残し、私は図書室を出た。

 単純な男とは、こうもやり易いものかとつくづく思った。


 早く教室に戻ってお弁当を食べねばならない。

 私は急ぎ足で教室へ戻る。

 ところが教室では、斉藤が私の席に座り、私の帰りを待っていた。

 向かいの席で身体の小さなシノちゃんが、更に小さくなりながら斉藤と話している。

「そう、イヌ飼っているんだ。犬種なに?」

「ヨークシャテリアです」

「カワイイよね、ヨークシャテリア。オレも好きだよ」

 シノちゃんが小さくなっている理由を、斉藤が気付くことはないだろう。カースト制人種差別主義のグループにとって、私たち陰キャが身分を越えて斉藤のような類の男子と親しくするのは、罪に等しい事なのだ。

 教室の向こう側から、先程のギャル三人が怖い顔で睨んでいた。

 私が近付くと、シノちゃんがホッとした表情で顔を上げる。

 お弁当を食べたいのに、斉藤が馴れ馴れしい。

「やあ、宮里さん。江澤と話しできた?」

「ええ、できました」

「良かった。でも、とても信じられないよ。顔に合わない、ハスキーな声だとは思ったけど」

「騙したつもりはありません。人は性別で簡単に分別できるものではないから」

「わかっているよ。誰だって、自分らしく生きる権利があるから」

 私は安堵した。斉藤は江澤より、更に物分りがいいらしい。

 これで、モテ男二人が一人の美少年を巡って争う修羅場を見るという夢に、また一歩近付くことができた。

「ありがとう、斉藤くん。斉藤くんのような人が、多様性のある社会を実現してくれるのね」

 この思いに嘘は無かった。

 斉藤✕良牙くん、江澤✕良牙くん。

 どちらに転ぼうと、腐女子が身悶えするカプになるのは間違いない。

 ああ、スチルがあれば回収できるのに……。

 だが、好事魔多しとはよくは言われるが、その後立て続けに想定を超えた事態が起こるとは、この時点で誰が想像し得ただろう。

「お弁当、まだ食べ終わってなかったね。ゴメンよ。放課後、少しだけ時間もらえないかな」

「構いませんけど」

 ようやく斉藤から解放された時、昼休みは残り五分だった。

 慌てて食事するのは嫌なのに、私は腹ペコの男子の様に、お弁当をかき込むハメになった。

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